外国出身者に対する不当な差別的言動の解消を目指す「ヘイトスピーチ解消法」が施行されてから、今年で10年を迎えた。
かつて在日コリアンの集住地域などで繰り返されたヘイトデモは減少したとされる。一方で、SNSでは外国人に対する差別的な投稿が後を絶たず、クルド人など新たな標的への攻撃も目立つようになった。
ヘイトスピーチ解消法は、この10年で何を変え、何を変えられなかったのか。その現実を象徴するかのような出来事が、法律施行10年を迎えた川崎市で起きた。(碓氷連太郎)
●10年前の写真で「差別投稿」殺到
川崎市に住む在日コリアン女性に対し、SNS上で差別的・侮辱的な投稿が大量にされたとして、女性と代理人弁護団は6月26日、投稿者を侮辱罪で告訴。あわせて投稿の削除を求める仮処分を申し立てたと明らかにした。
女性は2016年、川崎市内の在日コリアン集住地域を標的にしたヘイトデモに直面し、以来、差別をなくすための活動を続けてきた。同年3月の参院法務委員会では参考人として民族差別の現状をうったえ、ヘイトスピーチ解消法の制定に寄与したことで知られる。
今年6月4日、X上で匿名アカウントが、2016年5月に全国紙に掲載された女性の顔写真を転載したうえで「この女は、川崎市のデモをヘイトスピーチだと言いがかりをつけて潰しました」と投稿した。
投稿は2日間で8万7000回以上閲覧され、1400件以上リポストされた。100件を超える返信の多くは、「ナメクジ」「ダニ」など侮蔑的な表現や、「出ていけ」「強制送還しろ」といった排除を求める言葉だった。「BBA」「奇形」など、女性であることや外見を揶揄する人格攻撃もあったという。
最初の投稿者は、弁護団から削除を求められるとアカウントごと削除した。しかしこのアカウントの書き込みと、6月26日時点でも残っていた悪質な投稿の合わせて6件について、弁護団は川崎臨港署に侮辱罪で告訴状を提出し、後日受理された。また30件の投稿について、削除を求める仮処分を申し立てている。
●女性だから「被害」が拡大している
投稿の中で「出ていけ」「国に帰れ」など排除型にあたるものが最も多いが、2023年に横浜地裁川崎支部において、女性に対して「国に帰れ」などと誹謗した相手に対し、100万円以上の慰謝料を命じた判決が下されている。地域からの排除はヘイトスピーチの典型で、解消法でも明確に差別にあたるとしている。しかし、いまだにやむ気配がない」
代理人の一人、神原元弁護士は、マイノリティが権利を主張するとヘイトスピーチにさらされる事態が繰り返されてきたと指摘する。さらに今回は、別の要素も被害を拡大させたという。
「女性だから、被害が拡大しています。2013年からヘイトスピーチについての裁判にかかわってきたが、被害者は女性が多く、同じことをしていても男性よりはるかに多い攻撃が集中している。女性に対しては必ず、容姿への攻撃が見られる」
彼女は声をあげたことで、解消法施行以降も、自身や家族を標的にしたヘイトスピーチにさらされ続けてきた。
2017年には勤務先にゴキブリの死骸が、2020年には「在日韓国朝鮮人をこの世から抹殺しよう」などと書かれた年賀状が届いた。翌2021年にも「死ね」「祖国に帰れ」「日本から出ていけ」などと書かれた年賀状を送り付けられ、送り主は当時70代の元川崎市職員だった。
●SNSが「差別の温床になっている」
法律ができて10年。それでも「ヘイトが解消した」とは言い難い状況が続いている。
なぜ、差別を止められないのか。神原弁護士は「日本の法制度の欠陥と直結している」と指摘する。
「X社に投稿をヘイトスピーチだと報告しても、『違反は生じていないと判断した』という回答だった。違法性を指摘しても、内容証明を送っても削除されることはなかった。
2025年4月にネット上の誹謗中傷に対して、事業者側に被害を迅速に処理する責任を課した『情報流通プラットフォーム対処法』が施行されたものの、機能しているとはとても言い難い。
とりわけX社は発信者情報が請求できる期間が短く、悪い意味での『表現の自由』が横行してやりたい放題になっている。まさに地獄絵図が展開され、差別の温床になっている」
●「現行法が差別解消の歯止めになっていない」
2026年5月25日、衆議院議員会館で「ヘイトスピーチ解消法から10年」をテーマにした院内集会が開かれた。司会をつとめた有田芳生衆院議員も、女性の会見に同席した。
有田議員は、街頭からネットへとヘイトの舞台が移りつつあると指摘した。
「たしかにヘイト集会は減った。2022年にヘイトスピーチ認定されたうちの65%がインターネット上におけるものだった。ネットを通じて、差別扇動が増えているのが現状だ。
ヘイトスピーチ解消法制定に関わった1人として、尽力してくれた女性に対して、非常に申し訳なく思っている。
10年前の写真を使い、このような差別扇動行為がおこなわれたことは許しがたい。現行法が差別解消の歯止めになっていないことを正面から見つめていきたい」
●「加害者への制裁を定めた法律を」
では、差別を止めるためには何が必要なのか。
弁護団メンバーでもある師岡康子弁護士は同集会で、解消法の限界を指摘した。
「解消法には罰則規定がないからヘイトデモを止められない。ヘイトスピーチ解消法は差別的な言動を対象としているが、差別は社会構造そのものの問題。
たとえばクルド人の人は今、賃貸物件を申し込んでも排除されるし、さまざまな契約が打ち切られる。あらゆる分野において嫌がらせにさらされている」
一方で、師岡弁護士は、解消法がヘイトスピーチを「差別」と明確に位置づけた意義は大きかったと評価する。
ただ、「◯◯人が日本を支配している」といった言説など、現行法の定義に収まらない差別的言動についても、禁止類型に加える必要があるとみている。
「ヘイトスピーチのみならず、ヘイトクライムや公的な差別政策が止まらず、事態が悪化している立法事実がある。
そこで人種差別撤廃基本法と、加害者への制裁や被害者への救済を定めた人種差別禁止法を提案したい。また政府から独立した、国内人権機関の設置を定める法律の制定が必要だ」
●在日コリアンからクルド人へ?広がる標的
解消法の施行後、街頭では変化もあった。
ヘイトデモの現場では、警察が「ヘイトスピーチをしないように」と繰り返しアナウンスするようになった。東京都も2018年、「東京都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例」を制定した。
都はこれまで、デモや街宣での「てめぇら腐れゴキブリ朝鮮人」「朝鮮人を叩き出せシナ人も叩き出せ」などの発言を「不当な差別的言動」と認定・公表している。
ただし、都条例にも罰則規定はない。そして近年、目立つようになったのが、クルド人へのヘイトだ。
東京都でも2023年ごろから、「クルド人は日本から出て行け」「日本にいらねえんだよ。クルド人みたいな、ああいうクズども」などの発言が不当な差別的言動と認定されるようになった。
クルド人が多く暮らす埼玉県川口市や蕨市付近では、クルド人の子どもが盗撮されたり、「ぶっ殺してやる」と叫ばれたりする事態も起きている。
在日クルド人団体の日本クルド文化協会は、「クルド人は日本から出ていけ」「自爆テロを支援するクルド協会は日本にいらない」など、事実に反するヘイトスピーチによる被害を受けたとして、右翼団体代表を相手取り、さいたま地裁に訴訟を起こしている。
さらに、この訴訟で協会側の代理人をつとめる在日コリアンの弁護士にも、「被害者ビジネス『ヘイト』は利権の塊」などの誹謗中傷が寄せられ、弁護士側も提訴に踏み切った。
●標的は「拡大し、拡散している」
ヘイトの標的が在日コリアンからクルド人に「移った」のだろうか。
早稲田大学人間科学学術院の樋口直人教授は、そうではなく、標的が「拡大し、拡散している」とみる。
「クルド人にもヘイト被害が広がったきっかけは、2018年に入管法が改正されて特定技能制度が導入されたことだと思います。これまでは日系ブラジル人などに限定されていた外国人労働者の枠が拡大し、単純労働を担えるようになりました。
一方で、2023年に入管法が改正されましたが、送還停止としていた難民申請者の申請を原則2回とし、3回目以降は送還できるなど、在日外国人に対して厳しいものでした。
この改正入管法が制定されようとしていた際に抗議活動がありましたが、在日クルド人の人たちも改正に反対するために、記者会見を開いて窮状を訴えました。そのときに多くの人に、存在が可視化されたという側面があります。
ヘイトスピーチや差別扇動は、2009年の京都朝鮮第一初級学校(当時)への襲撃事件や、2010年の徳島県教職員組合への乱入事件など、2010年代初頭までは団体や組織に対するものが多く見られました。
しかし2013年頃から差別に抗議する個人がよりわかりやすい存在として、狙われるケースが増加しました。クルド人に対しても、同様だと思います」
さらに2023年7月には、クルド人同士のトラブルを発端として、川口市立医療センター周辺に100人以上のクルド人が集まる騒ぎが起きた。
樋口教授は、入管法改正を巡る動きとこの騒動が重なったことで、クルド人の存在が急速にクローズアップされていったとみる。
「自民党の河野太郎議員が『クルド人の集住が問題視されるようになった』として川口市に視察に出向くなど、川口市が政治利用の場として取り上げられるようになりました。
またクルド人の多くが難民申請者、もしくは過去に難民申請をして現在は仮放免で暮らしていることが『送還してもいい対象だ』と見られることにつながりました」
●「外国人問題」という言葉が生み出すもの
樋口教授がもう一つ指摘するのが、「外国人」をめぐる問題が政治的なテーマとして一括りにされていることだ。
「2025年の参院選で参政党が『日本人ファースト』をスローガンにし、そこから『外国人問題』『移民問題』という言葉が取りざたされるようになりました。
しかし特定技能は労働問題で、オーバーツーリズムは観光問題、また外国人の不動産取得問題は国土政策。一つひとつの問題に関連性はありません。
また自民党も参政党に対抗しようとするあまり、『外国人問題』に関心を示し始めたことで、在日外国人の存在が政治問題になってしまいました。政治的なメリットがあるうちは、自民党は『外国人問題』と言い続ける可能性は高いと思います」
外国人をめぐる個別の問題が大きな枠にまとめられ、政治的な争点になっていく。その先で、現実に暮らしている外国人への敵意が強まる──。樋口教授は、そうした構図を問題視する。
●企業こそ「差別反対」の姿勢を
高市政権は、外国人が日本で会社を設立し事業をおこなう際の「経営・管理」ビザについて、資本金要件を500万円から3000万円に引き上げるなど、取得要件を厳格化した。在留許可に関する手数料についても、引き上げる方針が示されている。
こうした外国人政策をめぐる議論に呼応するように、SNSでは「帰化するか帰国しろ」「排外主義万歳」などの投稿もみられる。
政治と外国人への敵意が結びつく中、ヘイトスピーチの被害を減らすことはできるのか。
樋口教授が可能性の一つとして挙げるのが、経済界からの働きかけだ。
「状況を打破する可能性の一つが、経済界が政府に働きかけることです。たとえば外食産業で働く外国人の数が増えて、受け入れが停止になりました。
これは個々の企業が責任を負うべき話ではないはずなのに、自分の企業で外国人を受け入れるために作った学校も受け入れ停止にせざるを得ないなど、理不尽な目に遭っている企業も出てきています。
いわば在日外国人を『政治のおもちゃ』として利用した結果、労働力が不足してしまっている。これは経済界としては、大きな不満材料と言えます。そういった点を企業が認識して政府に提言していけば、潮目は変わっていくと思います」
コンビニや外食産業、ビル清掃現場など、外国人が働く姿はすでに日常の一部となっている。一方で、差別扇動の標的は在日コリアンや中国人、クルド人、さらには「モスク反対」といった形へと広がっている。
ヘイトスピーチ解消法ができて10年。街頭のヘイトデモを抑える一定の効果があったとしても、差別そのものがなくなったわけではない。むしろ別の形で広がっている。
この先の10年をさらに差別が深刻化する時代にしないために、法律や行政だけでなく、外国人を雇用し、ともに社会を支える企業も、差別を許さない姿勢を明確に示すべき局面にきている。