「これまでの経歴の資料です。思い出しながら書いていたら集中しちゃって、お昼ごはんを食べ損ねちゃいました」。午後2時すぎにファミリーレストランで顔を合わせた彼女の手には、雇用期間や形態、給与などの情報が整然とまとめられた4枚のA4用紙があった。
アスペルガー症候群(診断当時。現在はASD:自閉スペクトラム症に統一)の琴子さん(仮名・47歳)は4年前に、大手企業グループ会社(メーカー)の障害者枠正社員になった。約5年間のひきこもり生活から抜け出し、就労して12年。遅い社会人デビューだが3社で経験を積みスキルを身につけ、自信がついた末に手に入れた「安定した職」のはずだった。
しかし、10人ほどいる配属部署でメンバーの紹介はなく、名前も担当もよく分からない。部署の業務は教えてもらえず、一人離れた席でデータ入力やファイリングなどの単純作業。同僚に話しかけられる雰囲気ではなく、挨拶以外に口をきくことなく過ごした。組織改編直後で混乱もあり、受け入れ態勢は全く整っていなかった。
「それまでの就労経験やスキルを評価されて採用されたと考えていたのに、他の中途採用正社員とは明らかに違う、差別的な扱いでした。現在は休職中です」
弁護士ドットコムニュースがLINEで障害者雇用の体験談を募集すると、琴子さんのように定着がうまくいかない実態とともに、受け入れ側の苦悩も浮かんできた。
●スキル上がれど正社員が遠い
琴子さんが美術系大学を卒業したのは1990年代後半で、いわゆる「ロスジェネ」に当たる。発達障害と診断されたのは20代前半だが、その頃は成人の発達障害者に対する支援はほぼなかった。卒業後、アルバイトや留学などを経験したが、体調を崩して30代前半は実家に引きこもった。
「診断当時は発達障害があまり知られておらず、犯罪者にその特性があったと報道されたこともあり『私はああいうのとは違う』と障害特性があることを直視せず、受け入れてきませんでした」
「特性を否定していても人生はうまくいかず、だんだんとうつや将来への不安が強くなって家に引きこもるようになりました。少し回復し、当事者の会に行くと同じ障害を持つ友人ができ、徐々に特性を受け入れるように。また障害者手帳や障害者雇用、就労支援や職業訓練などの情報を得られて、社会に出ていくきっかけになりました。仕事を始めたころには36歳になっていました」
最初は会社で事務職として働く上で、何が苦手で何が得意なのか具体的に自覚できていなかったという琴子さん。集中力のムラや処理速度の遅さをカバーするために、少しずつ工夫してできることを増やしていった。例えば、完璧な仕上がりを求めて、いくらでも突き詰めるのではなく、業務上求められている完成度を把握して仕上がりを調整することなどだ。
2社目に入った特例子会社(障害者への配慮など一定の要件を満たすと親会社の雇用率に算定できる子会社)では、ホームページのデザインなどを担当。写真加工ソフトの使い方を独学し、広告バナー作成や商品撮影のスキルを付けた。そのスキルをマニュアル化して他の障害者に教えることで、チームとして業務をこなせるようにもなった。
ただ、特例子会社では給与テーブルが本社の正社員とは異なり、伸び率も基本給も低かった。本社とは離れた場所にあり、ほとんどのメンバーはめったに本社に行くこともなかった。全国の販売員を集めたイベント等にも呼ばれない。そこでは、琴子さんが作ったノベルティやグッズが使われていたにもかかわらず、だ。
「ポテンシャルを見込んで勉強させてもらい、スキルアップもできたことには感謝しています。でも実績を出して自信もついてきて“もっと挑戦したい、業務の幅を広げたい”と思った時に、天井がとても低いとわかりました。一般企業の障害者雇用枠で働くことにしました」
●定年まで勤めるつもりがミスマッチ
3社目も社員は仲が良く環境はよかったが、障害者雇用契約社員の正社員化は「前例がない」という理由でかなわなかった。40代にもなり、定年まで安定して働ける場所を求めて、大手企業グループの面接会に赴いてみて出会ったのが今の会社だった。
「給与待遇は今までで一番高いけれど、職場環境としては今が一番悪い」という琴子さん。差別や偏見に基づく発言や扱いをされたり、パワハラではないかと感じる場面があった。出産して産休や育休を経た際にも、「復職後は元部署に戻るのが慣例」とされ、ハラスメントの当事者だった上司の部下になるように求められた。
これらの会社の対応に疑問を感じ、労働局にも相談したが「障害者関連法と労働法は管轄が違うので、パワハラと障害者差別などは同一の案件として扱うことができない」とされた。休職中の今は、うつ症状が悪化しないよう療養しながら、デザイン関連の学習をし直して再度転職を考えている。
総合人材サービスのパーソルグループの特例子会社で障害者雇用支援事業を手掛けるパーソルチャレンジの大濱徹ゼネラルマネジャーによると、琴子さんのように、発達障害者の中には、学歴や語学力、技能を身につけても定着できなかったり、新入社員の時点で会社の風土に合わずにつまずいたりする場合があるという。
「ミスマッチによってうつ病を発症するなど2次障害を引き起こしてしまい、一家離散にまでつながってしまった例もあります。雇用する企業側で、障害者雇用に取り組む意義や、障害に対する社内理解などが十分でないことが一因として考えられます。求人票を見れば、障害者雇用に本気で取り組んでいるか、障害に理解のある企業かどうかは一目瞭然です」
●「変われない企業は淘汰される」
一方、LINEには実際に障害者と一緒に働く現場から苦悩の声も寄せられた。
「障害者雇用をするなとは言いませんが、雇う側に対しても教育すべきだと思います。ケアや接し方への教育も何もないままに制度だけが強要されて、辞める時には一方的にこちらが悪者にされる始末です」(食品工場の管理職)
「50代の人事課長は見下しています。『障害者はみんな同じ』という感覚を見直さなければ、一緒に働くことは難しいです」(レジ打ち・品出しなどショッピングセンター勤務)
パーソルチャレンジの大濱氏は「発達障害には、あいまいな指示がわからない、特定の物事にこだわりが強い、集中力が高い、などの特性があります。その特性を活かすよう、仕事内容や働き方を多様化することが大切です。固定化された制度や働き方を前提に設計された旧来の日本の会社制度のままでは、ミスマッチや退職が発生するのは当然。企業側の変化が求められています」と指摘する。
「企業は、障害者も企業活動に貢献する人材として戦力化を図る企業と、そうでない企業に二極化しています。違いは、経営者が社会の変化にアンテナを張っているかどうか。多様な人材を生かそうとしない会社は、いずれ淘汰されるのではないでしょうか」