中学のときの通知表は「オール1」。両親のケンカが絶えず、公園のすべり台で眠ることもあった。そんな女性が今、弁護士として活躍している。
松本亜土(あど)さん(35)。「留置場のブラトップ着用」や「取り調べ拒否Tシャツ」などをめぐり、国や捜査機関の対応を追及している。
権力を相手に、なぜそこまで闘おうとするのか──。以前から抱いていた疑問を確かめるため、大阪市内の事務所を訪ねると、想像もしなかった過去が語られた。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)
●私立女子中に入学も「みんな同じ制服が気持ち悪い」と2日で退学
──どうして弁護士になろうと?
高校3年のときに「司法試験を受けたい」と思ったんです。でも、中学生のころの私は、通知表がオール1で、通信制高校に行くしかなかったんですよ。センター試験の1週間前、リーマンショックの余波で父の会社が倒産して…。
──いきなり情報量が多いですね。松本さんはどちらの出身ですか?
兵庫県姫路市で生まれました。小学校は地元でしたが、中学受験で岡山の私立女子中に入学しました。でも、入学式の日、みんな同じ制服を着ているのを見て「気持ち悪い」と感じたんです。「なんか違うな」と思って、2日で辞めました。
親は驚いていましたが、「もう行かへん」「辞めさせてくれへんなら、学校に行ったふりして駅前のゲーセンに行くから」と言って押し切りました。その後は地元の公立中に転校して、上下ジャージで通いました。
制服とか、学校が指定した色に縛られるのが嫌だったんでしょうね。それに、みんなが地元の中学に進学する中で、なんで自分だけ一人で岡山に行くんやろって。今でも悲しかった記憶は残っています。
松本弁護士が中学時代に友だちとたむろした姫路駅の周辺は、昔と景色が大きく変わっているという(ツツカメ / PIXTA)
●「もう来なくていいよ」と学校に見放され、通知表はオール1
──現在の松本さんにつながるようなエピソードですね。それからは?
父が浮気性で、ある日、浮気相手の夫が家に乗り込んできたんです。それで父の浮気が発覚し、母はショックから毎日ワインを1本空にするほど酒に溺れるようになりました。中1の終わりごろの話です。
家の中では、ガラスの灰皿が飛び交い、ケンカが絶えない。家にいるのが怖くて、自宅近くの公園のすべり台の間で寝てました。すべり台に寝転んで星空を見ながら、「なんで自分って生まれてきたんかなあ」と涙が出ることもありました。
そうして悪い仲間とつるむようになり、学校に行っても授業の内容が頭に入らなくなる。なので授業には出なくなり、当然、通知表はオール1。
学校に行っても授業の邪魔をしていたので、先生には「卒業証書は渡すから、もう来ないでください」と言われる始末でした。
でも、人と話すのは好きだった。夜になれば駅前に行けば誰かいて、悪い子同士でつながっていく。そうやって寂しさを紛らわしていたんだと思います。
──典型的な「非行少年」の荒れ方ですね。
そんな調子だったので、誰も私に期待していませんでした。だから進学校なんて無理で、母と担任が相談して通信制高校に進むことになりました。
課題を出す必要があるんですけど、そのほとんどに答えが付いていたので、丸写しをして提出していました。
「中学時代の通知表はオール1でした」と話す松本亜土弁護士(2025年8月13日、大阪市で、弁護士ドットコム撮影)
●「お前の言葉を誰が信じる?」警察官に反論できなかった中学時代
──そこからどう変わっていったのでしょう?
中学3年のとき、友だちが起こした傷害事件に巻き込まれたんです。たまたま現場を自転車で通りかかっただけなのに、疑われて警察署に呼ばれました。
警察官に「お前みたいな不良と、真面目に学校に行ってる子(被害者)、どっちの言葉を信じると思う?」と言われたんです。その時、「ふざけんな、そんなん関係ないやろ」と暴言を返すことしかできなかった。きれいな言葉で反論できなかったのが、すごく悔しかった。
その経験がまずあって、高校生のときに母から紹介された大平光代さんの本『だから、あなたも生きぬいて』を読みました。当時どこまで理解していたかはわかりませんが、すごく感動したことを覚えています。
子ども時代にいじめを受け、中卒から29歳で弁護士になった大平さんの話で、衝撃を受けました。「自分もグレた子たちの側に立つ弁護士になりたいな」と思ったんです。
公園のすべり台で夜を明かしたとき、誰にも助けを求めることができなかったという記憶もありました。SOSすら出せないまま孤独にいる人の存在を知っていたからです。
そこで初めて「勉強せなあかんな」と思い、バイトで貯めたお金で塾に通い始めました。高3になっていました。
「私は取調べを拒否します」と書かれたTシャツ。松本弁護士は被疑者にこのTシャツを差し入れているという(オンライン会議の画面をスクリーンショット)
●リーマンショックで父の会社が倒産、学費半額制度に救われる
──司法試験を目指す道のりも順風満帆ではなかったと。
2009年ごろ、リーマンショックのあおりで父が経営する会社が倒産し、自己破産しました。「もう大学進学は無理かも」と思ったとき、甲南大学がリーマンショックの影響を受けた世帯を対象に学費半額制度を設けるという情報を見つけました。しかも、後期試験は内申点重視。
進学校で良い内申点を取ることは難しいですが、幸運なことに、通信制の高校で課題を答え丸写しで出していたおかげで、内申点が高く、甲南大学法学部に進学できたんです。
「司法試験はシューティングゲームだと思う」と話す松本亜土弁護士(2025年8月13日、大阪市で、弁護士ドットコム撮影)
●司法試験は「シューティングゲーム」4度目で合格
──司法試験突破までの道のりは?
中高で勉強していなかったので授業についていくのが大変でした。甲南大学ロースクール(法科大学院)では2回留年。バイトやウーバーイーツで生活費を稼ぎながら勉強しました。
司法試験には4回目で受かりました。ロースクールを卒業してから一人で勉強していましたが、不安でしょうがなかったです。
3回落ちたあとは予備校に通い、割り切って全科目の論証パターンを一文ずつ30回ほど声に出して読み上げ、あるワードを見たら定義や意味をすぐに言えるようになるまで暗記しました。集中力がないので「書くよりも声に出すほうが頭に入る」タイプなんです。
司法試験はシューティングゲームみたいだと思います。出題される論点を次々と撃ち抜いていく。一つの論点だけ膨らませてもダメなんです。
合格した瞬間、「やっと報われた」「これでやりたいことができる」と思い、ほっとしました。景色が変わったようで、しばらくは目の前が輝いて見えました。
──「しばらくは」ですか。
司法試験に受かる前はすごく高い壁があるイメージだったんですが、その壁をよじ登って弁護士になったら、さらに高い壁がドンと目の前にあるんです。
入管問題や刑事事件は、社会に理解されにくい分野なので、輝かしさはありません。乗り越えなければならない壁が常にあり、権力と向き合う仕事なので、一歩間違えると自分がどうなってしまうのか、という怖さも常にあります。
「あなたは一人じゃないよと伝えたい」と話す松本亜土弁護士(2025年8月13日、大阪市で、弁護士ドットコム撮影)
●「人権は、自分が嫌いな人のためにある」
──留置場のブラトップ問題では、松本さんの働きかけでブラトップの貸与制が導入されました。
理解されにくい問題を改善するためには、弁護士として国民の共感を得なければなりません。すぐに理解されなくても、問題提起し続けることで少しずつ社会が気づいていく。「なんかおかしいかも」と思ってもらうことが大事です。
政治家が声を上げない問題でも、弁護士として提示して解決に導く。それが私の役割だと思っています。弁護士が声を上げなかったら、誰が声を上げるのか。警察などの国家機関と対峙していくことも私の役割だと思っています。
ブラトップの件で警察の対応が変わったときは、素直に警察に感謝しました。正確な定義ではないけれども、人権って「自分が嫌いな人のためにある」と思うんです。
──今後、どんな弁護士でありたいですか?
昔は、「大人は全員敵だ」と思っていました。まっとうな人になりたいと思っても、人は一人じゃ変われない。人間って、たぶんそういうものだと思います。
犯罪を犯す人の多くも、過酷な環境を生き抜いてきた人たちです。いきなり「今日から失敗しない」なんて無理ですよ。
だから私は伝えたいんです。「失敗しても仲間はいる」「あなたは一人じゃないよ」「困ったときは頼れる人がいる」。そんなメッセージを仕事を通じて届けていきたいと思っています。