アイコさん(仮名)は現在、在留資格を持たず、仮放免の状態にある。3カ月に一度、仮放免の更新のために東京入管を訪れるが、そのたびに収容や強制送還の恐怖に苛まれ、強いストレスを抱えている。
入管職員から「国へ帰れ」と迫られることもあり、その言葉に胸を締め付けられるような苦しさと悲しさを覚える。しかし、深いトラウマから母国フィリピンに帰ることはどうしてもできない。(織田朝日)
●親族から性被害を受け、自殺を図ったことも
アイコさんは、トランスジェンダー女性に対する迫害を理由として、国を相手取り、難民不認定処分の取消訴訟を起こした。7月28日の第1回弁論期日には、多くの友人たちが東京地裁まで応援に駆けつけた。期日後には司法記者クラブで会見を開いた。
現在47歳のアイコさんは1978年にフィリピン・ケソン市で男子として生まれた。幼い頃からバービー人形や女の子の遊びに惹かれ、小学1年生のころには自分がトランスジェンダーであることを意識し始めた。
しかし、それを理由に、いじめや嘲笑を受けて、心に深い傷を負った。このころから悪夢を見るようになった。
9歳のときには父や兄から「役立たず」「社会のくず」と罵られ、殴る蹴るの暴行を受けて命の危険にさらされた。映画館で痴漢に遭い、親族から性被害を受け、自殺を図ったこともある。
大人になっても差別や暴力は続き、身内や警察に助けを求めても誰も救ってはくれなかった。
●日本への渡航と新たな苦難
1995年、トランスジェンダー美人コンテスト「Miss Gay」に出場したことがきっかけとなりタレント事務所に所属したが、そこでマネージャーから性被害を受け、ビデオ撮影までされた。家族に相談できず、職を失いたくない一心で耐えるしかなかった。
その後、日本でエンターテイナーとして活動するメンバーに選ばれ、1999年、20歳のときに興行ビザで来日した。赤羽のショーパブで働いたが、パスポートを取り上げられ、保険証もなく、劣悪な労働環境に置かれた。
それでもフィリピンのようにマネージャーから性被害を受けない、という安堵もあった。
しかし、一時帰国した際に再び性被害を受けて、もう二度とフィリピンには帰らないと誓った。その後、在留資格を失い、難民申請をしたが認められず、今回の裁判に至った。
●アイコさんの代理人「厳しい戦いになる」
代理人の笹本潤弁護士は、アイコさんのケースについて、難民条約上の「特定の社会的集団の構成員であることを理由とする迫害」に該当すると主張した。
一方、国側は「トランスジェンダー女性を殺害した犯人が逮捕された事例がある」「LGBTQを自認する団体が正式に登録を認められた」「プライドパレードがおこなわれている」などとして、フィリピンで保護を受けられないとは言えないと反論。
さらに「トランスジェンダー女性の国会議員が誕生した」「入国から16年経ってから難民申請したのは不自然」などと60ページにも及ぶ答弁書を提出した。
笹本弁護士は「入管が力を入れてきており、厳しい戦いになるが、反論は可能だ」と語る。今後はフィリピンでの被害事例や、警察・公共機関の対応を現地調査し、証拠を提出する方針だ。
次回の期日では、アイコさん自身が日本語で5分程度の意見を述べる予定である。
●同じように苦しんできた人たちのために
アイコさんには、日本に在留資格を持つ妹がいる。仕事で多忙な妹に代わり、姪や甥の食事を用意したり、遊びに連れて行くなどしている。姪や甥は心の支えであり、「彼らと離れて暮らすことは耐えられない」と話す。
支援者たちも「イギリスやカナダでは同様のケースで勝訴例があり、フィリピンでは今もトランスジェンダー女性が命を奪われる事例がある。日本では命の危険にさらされるほどの扱いはない。だからこそ、日本で保護してほしい」と願う。
もし勝訴すれば、トランスジェンダーの権利が認められる画期的な判決となり、多くの人の希望につながる可能性がある。アイコさんは「自分と同じように苦しんできた人たちのため、そして助けてくれた人たちのために頑張りたい」と裁判への強い決意を示している。