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「容疑者」ではなく「さん」じゃダメですか? 「逮捕≠犯人」無罪推定ないがしろの報道にさらば
芸能人は「容疑者」ではない呼称がされることも(背景:Ystudio / PIXTA)

「容疑者」ではなく「さん」じゃダメですか? 「逮捕≠犯人」無罪推定ないがしろの報道にさらば

刑事裁判で有罪が確定するまでは、罪を犯していない人として扱わなければならない――。いわゆる「無罪推定の原則」だが、十分に守られているとは言い難い。たとえば、犯罪報道では「逮捕=犯人」のように捉えられているのが現実だ。それゆえに実名報道は、冤罪時のダメージや更生阻害などを招いてしまう。

かつてメディアは逮捕された人を呼び捨てにしていた。「容疑者」をつけるようになったのは1980年代からだ。当初は新鮮味があったかもしれない。しかし、犯人視報道が変わらなかったために、「容疑者」はただの形式になっている面がある。

実名を報じながら、無罪推定の原則を守ることは可能なのか。鹿児島の地方紙・南日本新聞の元記者で、鹿児島大学でメディア論を教えている宮下正昭さんに寄稿してもらった。

【関連】「メディアは実名報道へのこだわりに腰が座っていない」元記者の大学教員が苦言

●「男」「女」の呼び捨てやめて

容疑者が逮捕されたり書類送検された場合、新聞やテレビは、それまで「男性」「女性」と呼んでいたのを一転、「男」「女」という呼称に替える。

これでは、事実として実名を報じたはずが、感情の入った報道となってしまう。私たちとは違う向こう側の人物、悪い人という印象を与えてしまう。いわば「容疑者」呼称以前の呼び捨てと同じだ。

メディアが司法手続きの完了(判決)前に罪人という烙印を押すようなものだ。新人アナウンサーのなかには、「男」「女」と言うことに最初は戸惑った人もいるかもしれない。でも、そのうちに慣れて「呼び捨て」するようになるのだろう。

その罪深さ(?)に気づいたのか、最近では事案によっては「男性」「女性」とする報道が散見される。

『毎日新聞』は2021年9月ごろから書類送検の記事で「男性」「女性」と表記するケースが目に付く。共同通信社の配信記事でもよく見かけるようになった。

NHKも2022年4月ごろから書類送検では「男性」「女性」を多用している。逮捕された容疑者を「男」「女」と言う代わりに「住民」とか「アルバイト」と表現したニュースもある。全国の地方局にも通達したようだが、東京発も含め事案によっては「男」「女」の表現も使われている。

●「容疑者」ではなく「さん」に

『産経新聞』と『毎日新聞』は、2021年5月21日付で、女性アスリートの競技画像をアダルトサイトに無断転載したとして著作権法違反の罪で略式起訴され、罰金を納付した男性を「容疑者」ではなく、「氏」と呼称を付けて報じている。共同通信の配信記事がベースのようだ。

元タレントの田代まさしさんは何度か盗撮の疑いで書類送検されているが、2000年11月1日付の『朝日新聞』、2015年7月11日付の『朝日』『毎日』そして『産経』=写真=などは「田代まさしさん」と呼称は「さん」にしている。「容疑者」でなくて、「さん」でも通用することを示した格好だ。

『産経新聞』2015年7月11日付

メディアが逮捕された人物や書類送検された人に「容疑者」という呼称を使い始めたのは1984年、NHKとフジテレビ、『産経新聞』が最初だった。

この年、共同通信社の現役記者だった浅野健一さんが『犯罪報道の犯罪』を上梓し、「マスコミの実名報道は社会的制裁」と北欧の例を基に容疑者の匿名報道の必要性を訴え、関心を集めていた。

マスコミはそれまで容疑者を呼び捨てしていたのをやめて「容疑者」と呼称を付けることで犯人と断定したわけではない、人権に配慮しているという形をとった。5年後の89年、『毎日』『読売』『朝日』そして共同通信、民放他局も「容疑者」を付け始める。

「〇〇」という呼び捨てから「〇〇容疑者」と替わった当初は違和感があった。と同時に、確かにまだ犯人と決まったわけではない、容疑上の人なのだ、という意識も出た。

しかし、それから30年以上たった今、そんな新鮮な思いで記事を読んだり、ニュースを視聴したりする人はどれくらいいるだろうか。

現在、20歳前後の学生たちに聞くと、「容疑者」イコール犯人といったイメージをもつのが大半だ。マスコミの報じ方が「容疑者」としながらも犯人視している報道が目立つのかもしれない。報じる側も「容疑者」と付ければ問題ない、と「容疑者」呼称に安住している気がする。

ここは、もう一歩踏み出して、「容疑者」の代わりに「さん」を呼称にしてもいい時期を迎えているのではないだろうか。「さん」の代わりに、その人物の肩書でもいいだろう。

本当に犯人だったとしても、罪を憎んで人を憎む気持ちは抑える。「〇〇さん」という呼称が定着し、「男」「女」という呼び捨てもなくなれば、実名で報じても社会的制裁の色合いは薄れ、その人物に対する関連ニュースにも感情的部分が減る可能性がある。制裁ではなく、検証に耐えうる、事実としての名前を報じるという姿勢が確かなものになるだろう。

ぜひとも「さん」に挑戦する記者、報道機関が出てきてほしい。最初は、報ずる側も読者・視聴者も抵抗があるかもしれないが、踏み出していただきたい。

容疑者に「さん」を付けて実名で報じても、被害者の実名報道同様、名前のフェードアウトは心がける必要がある。事実としての記録、検証のために一報は実名でも続報は匿名でいい。起訴や判決時など節目は実名が出るにしても、その際も「被告」ではなく、「さん」でいいと思う。

●「供述」報道は回りくどく

容疑の段階での配慮という意味でも「さん」は意味がある。しかし、その配慮を台無しにしかねないのが、容疑者が逮捕・勾留されている間の「供述情報」の報道の仕方だ。

注目事件で警察に勾留されている容疑者がどんな供述をしているかは報道する価値はある。ただ、その情報の大半は警察から記者が聞き出した内容で、記者が容疑者本人から聞いた話ではない。なのに、「――と供述していることが捜査関係者への取材でわかった」などと報じる。

日本の司法は、送検されて検察庁の身柄となった容疑者もそのまま、捜査を行っている警察の留置場(代用監獄)に勾留されるケースが大半だ。そこでの取り調べ状況から容疑者が語ったとされる情報は捜査側に都合のいい話になりがちだ。

のちに裁判で無罪となる事件では、勾留中の「供述」が取調官のストーリーを追認しただけで客観的事実と異なっていたことが判明することが多い。無罪判決後、新聞などは「自白偏重捜査」と警察の捜査を批判するが、その捜査当時、「自白」を「供述していることがわかった」と報道してきたのも同じ新聞だ。

「わかった」と報じてしまうと、それがあたかも事実のように読者や視聴者は思う。警察など捜査機関もマスコミが「わかった」と報じたことで、お墨付きを得た気になってしまうかもしれない。

日本新聞協会も2008年1月、「裁判員制度開始にあたっての取材・報道指針」のなかで、供述報道について「内容のすべてがそのまま真実であるとの印象を読者・視聴者に与えることのないよう記事の書き方等に十分配慮する」と表明している。

容疑者の弁護側からはなかなか情報は得にくいなか、警察からの情報だけで「供述」内容を報じざるを得ない場合、「わかった」の代わりに、「捜査関係者によると、〇〇さんは△△と供述しているらしい」とする。あるいは、「捜査関係者は『〇〇さんは△△と供述している』と語った」でもいいだろう。

回りくどいが、捜査している側からの一方的な情報であることを示すことはとても重要だ。「わかった」では事実のように独り歩きしてしまう。このことも容疑者を実名で報じる際に、冷静で客観的な報道であることを示す証しになるだろう。当然、見出しにも配慮、工夫が求められることになるだろう。

一線の警察担当記者のみなさん。社会の正義を求める気持ちは警察官と同じでも、捜査権力をチェックする立場であることを忘れないでほしい。そんな皆さんの日々の頑張り、事実を求める真摯な姿勢が、実名で報じることは商業目的ではなく、社会の財産であるからだという理解につながるはずだ。

【筆者プロフィール】宮下正昭(みやした・まさあき):1956年生。慶應義塾大卒。南日本新聞社32年勤務後、鹿児島大学法文学部准教授を9年間。現在、非常勤講師。著書に『予断 えん罪高隈事件』(筑摩書房)、『聖堂の日の丸 奄美カトリック迫害と天皇教』(南方新社)、『中国香港特別区最新事情』(社会評論社)など。

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