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「メディアは実名報道へのこだわりに腰が据わっていない」元記者の大学教員が苦言
宮下氏(本人提供)

「メディアは実名報道へのこだわりに腰が据わっていない」元記者の大学教員が苦言

実名報道をめぐっては議論が絶えない。多くのメディアは「実名が基本」という立場だが、社員や警察官など「身内」の不祥事は匿名が珍しくない。これに対し、事件事故の被害者の実名公表は度々物議を醸しており、「ダブルスタンダード」とも揶揄される。そもそも犯罪報道であれば、実名報道により冤罪や更生の阻害などの可能性も生じる。

鹿児島の地方紙・南日本新聞の元記者で、鹿児島大学でメディア論を教えている宮下正昭さんは、メディアの実名へのこだわりに腰が据わっていないと指摘する。特に容疑者の実名報道に不十分な点が多く、実名報道を続けるなら「報道の本気度が問われる」という。望ましい報道のあり方について寄稿してもらった。

【関連】「容疑者」ではなく「さん」じゃダメですか? 「逮捕≠犯人」無罪推定ないがしろの報道にさらば

●「検証に耐えうる報道」への覚悟はあるか?

事件事故報道の匿名実名問題は、最近では被害者の名前に関心が集まっている。36人もの命が犠牲になった2019年7月の京都アニメーション放火殺人事件で「遺族が匿名を希望しているのにどうして実名を報道するのか?」という声が高まった。

これに対しメディア側は「名前は事実を報道する上の基本。事件事故を検証するにも必要不可欠」と理解を求め、今年3月、日本新聞協会はあらためて被害者の実名報道の重要性を表明した。

一方で容疑者の報道はどうだろう。逮捕された容疑者は実名で報じ、捜査の本来の姿である任意調べで書類送検された事案では匿名報道も多い。

実態は捜査当局の発表次第でメディアはそれに追随している。司法手続きの端緒の一つに過ぎない逮捕が、まるで事案の全てであるような社会的制裁のための実名報道に陥っていると言われても仕方のない面がある。

事件事故の検証が重要なのは言うまでもない。そのためにはやはり実名が必要だと考える。一方で、メディア側に実名を報じて捜査権力のありようをチェックする、検証に耐えうる報道をしようという覚悟があるのか。被害者の実名問題にも通底するメディアの姿勢が問われている。

●身内は書類送検・匿名?

福岡県警行橋署の巡査部長が飲酒して車を運転し、信号無視したところをパトカーに見つかり、逃走。路上の手すりに衝突するなどして逃げた。翌日、警察署に出頭してきたため任意で調べを進めた結果、最終的に飲酒の事実も認めて道路交通法違反の疑いで書類送検した。

けっこう悪質な面もある事案だったようだが、警察は捜査の王道、任意で調べを進めて容疑を固めた事案だった。

その書類送検を報じた『朝日新聞』(2017年1月20日付西部版)=写真1=は、「県警は逮捕していないことを理由に名前を明かしていない」として、記事も匿名のままだった。

これでは事実の検証ができない。捜査権力が特定の人物を司法手続きに乗せる手段をとった。それを報じる以上、名前という事実も当然、一報では必要だろう。

『朝日新聞』2017年1月20日付(西部版)

宮崎県警ではこんな事案があった。日向署の地域課長(警部)が女性2人につきまといビデオ撮影したとして県迷惑防止条例違反の疑いで書類送検される。

これも地元の『宮崎日日新聞』をはじめ『朝日』『読売』『毎日』の全国紙、共同通信の配信記事も容疑が持たれた地域課長を匿名で報じた。これでは検証が難しい。

『毎日新聞』(2014年1月23日付西部版)=写真2=は、「逃亡や証拠隠滅の恐れがないため逮捕せず、懲戒処分の指針に従い氏名の公表を控えたという」とまで書いていた。

実名匿名の判断は報道機関自らがするはずではなかったか。被害者の実名匿名問題では各社ともそう表明している。地域課長であれば名前は調べればすぐ分かるだろうし、名刺交換もしている記者もいたはずだ。

なお、地元の民放、宮崎放送(MRT)とテレビ宮崎(UMK)は夕方のローカルニュースで実名を出して報じたようだ。

『毎日新聞』2014年1月23日付(西部版)

●お灸のための逮捕・実名?

全国の都道府県が迷惑防止条例(鹿児島県だけは「不安防止条例」)で処罰規定している痴漢や盗撮行為は、容疑者が被害者の名前などは知らず、目撃者への工作も難しい。証拠隠滅の恐れはないとみるのが一般的だ。定職に就き、住所もはっきりしていれば逃亡の恐れもないケースが多いだろう。

だから宮崎県警も地域課長宅の家宅捜索はしたが、取り調べは任意で行い、容疑が固まった段階で書類送検した。本来、あるべき捜査だ。

ところが一般には否認している容疑者は逮捕し、発表する。先の飲酒運転でもそうだ。多くの市民は物損など事故で飲酒が疑われると逮捕され、発表される(写真3参照)。

そのなかに証拠隠滅や逃亡の恐れがあるケースがどれだけあるだろうか。大半は送検後釈放され、略式起訴、罰金支払いで済んでいるとみられる。

『南日本新聞』2014年4月17日付(被疑者名を編集部でマスキング)

2006年、福岡市で飲酒運転車両に追突され、幼児3人が転落、死亡するという痛ましい事故以来、警察は飲酒運転に対して厳しい態度で臨むようになり、逮捕というお灸をすえるようになった。メディアも無批判にそれに乗っかり、社会的制裁のために実名を報じている格好だ。

逮捕された人物の実名を事実として報じる以上、たとえ小さな記事であろうと、なぜ逮捕が必要なのかも取材し、そのことにも触れるべきだろう。書類送検された案件も含め、実名で報じた以上、その後、略式も含め起訴されたのかどうか、裁判までなったら判決はどうなったかまでフォローする。実名を報じた側の責務だと思う。

●逮捕は最後の最後の手段

「身柄拘束というのは本当に最後の最後の手段であって、そのほかの方法では目的が実現できないという場合に初めて採られる手段だと思います。任意捜査の原則というのは法律上定められているという御意見はありましたけれども、身体不拘束の原則、あるいは身体拘束は最後の手段であるということをもっと法律上明確にしておくということも意味があると思っています」

法務省の法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」(2011年6月~14年7月)の第17回会議(12年12月)で委員の1人(弁護士)が熱心に訴え、同じ在野の委員からも同様な意見が出された。

刑事訴訟法規則(143条の3)は、容疑者が逃亡や証拠隠滅の恐れがないなど「明らかに逮捕の必要がない」場合は、「逮捕状請求を却下しなければならない」と裁判官の行為として規定している。しかし、先の委員の発言は、現実には安易な逮捕が横行していることを危惧しての問題提起だった。

安易な逮捕、身柄拘束の横行は、社会的制裁、お灸をすえたいという思惑のほか、地道な客観的証拠収集の捜査より手っ取り早く自白をとりたいという狙いがあるのだろう。冤罪の温床とも言える人質司法の重い課題が付いて回っている。

しかし、法制審議会の答申には盛り込まれず、16年5月、成立した刑事訴訟法改正では一部事件の取り調べの録音・録画義務化、司法取引などが定められた。容疑者の私生活を奪い、捜査当局の管理下に身柄が置かれる逮捕という強硬手段を厳密化する規定は設けられなかった。

それでも捜査の基本は任意で、逮捕は例外的な強硬措置であることに違いはない。その意味では、メディアは本来、書類送検こそ事件報道のメインとして扱わないといけない。当然、容疑者の実名は事実として報じる。任意捜査が文字通り原則となるように日々の取材のなかで警察の捜査のありよう、発表のありようをチェックする必要がある。

朝日新聞社の『事件の取材と報道 2012』では、「逮捕された時点で実名・容疑者呼称とする」「書類送検の場合は原則実名で肩書呼称とする。不起訴が見込まれる場合などは匿名という判断もありうる」としている。多くの報道機関も同様だろう。

しかし、実態は違う。書類送検は警察が発表しないことも少なくない。匿名発表も多く、それをメディアも無批判に受け入れて、匿名のまま報じている。

繰り返すが、逮捕の場合は、なぜ逮捕しないといけなかったのか取材し、それも報じる。書類送検の場合も報道するなら容疑者名を発表するように強く求めて、実名を報じる。困難を伴ってもそういった日々の取材・報道を積み重ねないと、警察が社会的制裁を加えたいケースは逮捕し、メディアに報じてもらう。そんな警察主導の実名報道に陥ってしまう恐れがある。

【筆者プロフィール】宮下正昭(みやした・まさあき):1956年生。慶應義塾大卒。南日本新聞社32年勤務後、鹿児島大学法文学部准教授を9年間。現在、非常勤講師。著書に『予断 えん罪高隈事件』(筑摩書房)、『聖堂の日の丸 奄美カトリック迫害と天皇教』(南方新社)、『中国香港特別区最新事情』(社会評論社)など。

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