「うちの田んぼを貸してあげるよ」
近所の人のそんな一言を信じ、農地を借りる準備を進めていた農家。ところが後日、思いもよらない話を耳にする。
「その土地、本当は別の人が持っているらしいよ」
契約書はない。農業委員会の許可もない。しかも、貸していた本人は地主ですらなかった──。
農地の売買や貸し借りは法律で規制されている。それにもかかわらず、地方では今なお「ヤミ小作」と呼ばれる違法な契約や無断の又貸しが少なくない。
コメや食糧価格の高騰などを背景に農業への関心が高まる中、東京から栃木に移住した筆者が、現場で見聞きした実例から、その実態を追った。(ライター・タカイワマサ)
●農地は勝手に「貸し借り」できない
農業に欠かせないのが、畑や田んぼなどの「農地」だ。農林水産省によると、日本の国土面積の約8分の1を農地が占め、その広さは宅地の2倍以上に及ぶ。
しかし、農地は土地だからといって、自由に売買や貸し借りができるわけではない。
農地法では、農地を売買・賃借するには、市町村の農業委員会の許可を受けることが原則とされている。
また、公的な仲介機関である「農地バンク」を利用して貸し借りすることもできる。この制度は、農地を適切に管理・利用できる人へとつなぎ、耕作放棄地の増加を防ぐ役割も担っている。
ところが実際の地方では、こうした制度を無視した「ヤミ小作」や、売買をめぐるトラブルが少なくない。
●「昔からそうだから」で続く違法な貸し借り
農村で起きるトラブルの多くは、農業委員会を通さず、地主と農家が直接貸し借りすることに原因がある。
栃木県在住の50代農家・Aさんはこう話す。
「近隣の人の田んぼを借りたり、自分の農地を貸したりすることはよくあります。ただ、農業委員会への申請は手続きが煩雑で、書類も多く、許可が下りるまで時間もかかります。そのため、当事者間で話をつけて貸し借りする人は少なくなりません」
法律違反と知りながら、なぜ横行してしまうのか。
「『昔からそうだから』『長い付き合いのあるご近所さんだから』という空気ですね。それまで慣習的に貸し借りをしてきたのに、突然、法律や行政を持ち出すと『面倒くさい人』『信用していない人』といった目で見られかねない。だから借りる側も言い出しにくいんです」
その結果、思わぬトラブルも起きる。
「最近も『この土地を貸してあげるから』と言われて、借りる前提で事業計画を立てていたら、地主から突然『数十年近く前から別の人に貸しているみたいだ』と告げられました。
貸したのは二世代前の祖父で、すでに故人。どういった契約だったのかもわかりません。返還してもらえるよう借主と交渉しているそうですが、突然の退去要請ですから、揉めずに借りられるのかどうか、ヒヤヒヤしています」(Aさん)
●「貸す」と言った本人が地主ではなかった
さらに複雑なケースもある。若手農家はこう打ち明ける。
「『うちの農地を貸すよ』とBさんに言われて喜んだものの、実際にはBさんの土地ではありませんでした。Bさん自身が借りている農地で、地主であるCさんに無断で“又貸し”していたんです。こういう話は往々にしてあるのです」
しかも、その賃借関係自体がヤミ小作だったというケースもある。
「口約束だけで何十年も貸し借りしていることも多く、誰が、いつから、どの土地を借りているのか記録が残っていません。新しく農業を始める立場としては、本当に厄介です」
農業委員会の許可制度は、こうした無断の又貸しや権利関係の混乱を防ぐうえでも重要な役割を果たしている。
こうした問題は決して特殊なものではなく、全国どこでも起こりうるという。
●違法な貸し借りは刑事罰の対象にも
そもそも、農地法に違反した農地の貸借や売買は、刑事罰の対象になりうる。
農水省経営局農地政策課は取材に対して、次のように説明する。
「農地法に反して貸借をした場合、3年以下の拘禁刑または300万円以下の罰金を科される可能性があります。ただ、いわゆるヤミ小作は行政から隠れておこなわれていることですので、その実態について正確な現状を把握することは難しいです」
「昔からつづいてきた」「これまで大丈夫だった」という理由で済ませられる話ではない。
親族が農地を所有している家庭では、一度、賃借関係が曖昧になっていないか確認しておきたい。
長年の慣習が、相続のタイミングで思わぬトラブルへ発展する可能性もあるからだ。