たとえ歌に影響されたのだとしても、盗んだバイクで走り出せば捕まるし、夜の校舎に忍び込み窓ガラスを壊し回れば報いは受ける。今年3月、神奈川県小田原市の中学校に侵入し、窓ガラス53枚(約111万円相当)を割ったとして、大工の少年(15)と県立高校1年の男子生徒(15)が、器物損壊の疑いで逮捕された。
報道によると、2人は「窓ガラスを割る内容の歌詞に影響を受けた」と供述しているという。2人はこの中学を卒業したばかりで、事件は卒業式の夜だった。県警は曲名を明らかにしていないが、世間一般の見方では、故尾崎豊さんの代表曲『卒業』だろうと受け止められている。歌詞の中に「夜の校舎 窓ガラス 壊してまわった」というフレーズが出てくるためだ。
尾崎さんが作詞作曲し、自ら歌った『卒業』が発売されてから、およそ30年。いまどきの中学生にまで、強い影響を与えている彼のカリスマ性に驚くが、歌や映画やゲームなどの影響を受けて、何かをしたくなった経験は、誰しも持ち合わせていることだろう。もし、何らかの「作品」がきっかけで犯罪が行われた場合、その作者の法的責任が問われることはあるのだろうか。齋藤貴弘弁護士に聞いた。
●作品を「スケープゴート」にするのは短絡思考の責任回避
「同じテーマの議論は古くから数多く存在しています。実際、『反社会的』だとみなされた音楽やアート、ゲームなどに対しては、さまざまな反対運動が行われてきました」
――有名なケースは?
「例えばビートルズの『ヘルター・スケルター』は、アメリカの犯罪者チャールズ・マンソンがカルト集団を結成し、数々の残虐殺人を行った原因として槍玉に挙げられました。チャールズ・マンソンはこの曲から『ハルマゲドン(最終戦争)』のメッセージを読み取り、犯行に及んだとされています。
また、そのチャールズ・マンソンから名前をとったロック歌手マリリン・マンソンも、コロンバイン高校の銃乱射事件の実行犯が愛聴していたとして、非難されました」
――そういった動きをどう捉えればいいのか?
「法的責任を問う際には、刑法の目的に立ち返って考えるべきでしょう。刑法には、歌手や作詞・作曲家に責任を負わせる根拠はありません。作品や作者をスケープゴートにするのは短絡思考の責任回避で、より根本的な問題から目を逸らすことにほかなりません。
チャールズ・マンソンの事件では、家族からの愛を全く受けることができず、社会から排除され続けた彼の生い立ちを無視してしまえば、犯行の本質は解明できません。コロンバイン高校事件でも、犯人に対して執拗ないじめが繰り返されていたという事実があります。本当に問題視し、検討しなければならない『根本的な原因』は、こういった地域共同体の機能不全や、社会的弱者に対するセーフティネットの欠落などでしょう」
齋藤弁護士は、そう力を込めた。
今回のようなインパクトのある「供述」に抗い、事件の本質を捉えるためには、捜査関係者やマスコミ、読者が、それぞれリテラシーを養っていかなければならないということだろう。