長年の裁判官経験を活かし、民事・家事事件に注力〜依頼者の正当な利益を守るため力を尽くしたい
社会問題への関心をきっかけに法律家を志し、裁判官に
ーー裁判官として法律家のキャリアをスタートされています。いつごろから法律家を目指していたのですか。
大学4年の終わり頃です。卒業間近の切羽詰まった状況のなかで、将来進む1つの方向として「法律家という道もいいかもしれないな」と考えました。
法律家の中には、子どもの頃にこの道を志した人も多いですが、私はそうではありません。ただ、社会で起きているいろいろな問題に対しては、中学・高校の頃から関心を持っていて、それが結果的に法律家を志すきっかけになりました。
私は東京の下町で生まれ育ち、高度成長期真っ只中の、非常に騒がしい空気のなかで子ども時代を過ごしました。中学1年生のときに前回の東京オリンピックがあり、高校を卒業した年に大阪の万国博覧会が開かれました。華々しいイベントの一方で、全国で大学紛争が勃発したり、日米安全保障条約に反対する大規模なデモが起こったりと、日本中が大きく揺れ動いていたんです。
激動の時代のなかで、社会の矛盾について関心を持つようになり、高校3年の秋にはクラスの有志で公害の多くの現場を取材し、各政党や官庁に話を聞きに行ったりした結果を文化祭で研究発表したりしたほか、新聞に投書をしたりいくつかの集会に参加したりという、勉強とはほど遠い日を過ごしていました。
社会で起きていることを知るほどに、高度成長のひずみが一般市民に対して重大な影響を及ぼしていることを実感し、「大人になったら、社会のなかでひどい目にあっている人を助けたい」と考えるようになりました。
ーー社会問題への関心から、人を助ける仕事に興味を持ったのですね。大学に進学されて、学生時代はどのように過ごしていましたか。
法学部ではありませんでしたし、熱心に勉強する学生ではなかったです。興味の赴くままにいろいろな分野を勉強していました。自分で学費や身の回りの費用を稼がなければならなかったので、アルバイトと、当時所属していた落語研究会の活動が忙しくて、ほとんど教室に行かない時期が多かったと思います。
大学4年になり、進路について考えたのですが、公害について調査したときの影響もあって、民間企業に対していいイメージを持てなかったんですね。「社会から非難されるようなことでも上から言われるがままに仕事をするのは避けたいな」とも思っていて、就職活動をする気にはなれませんでした。
就職活動をしないまま時を過ごすなかで、「やっぱり自分は、社会の役に立つ仕事がしたい」と、高校時代に抱いた思いが湧き上がってきました。
裁判官の仕事に興味を持ったのはその頃です。裁判に関係した本を読んだり、大学の先輩や教授から、法と自分の信念に基づいて正義を実現する本当にやりがいがある仕事だと聞き、魅力を感じました。
ーーそれから司法試験の勉強を始められた。
所有権と抵当権の違いも知らないような状態でしたが、とにかくやってみようと、まずは有名な先生が書いた民法の本を読み始めました。大学4年の冬を過ぎた頃だったと思います。
勉強のやり方もわからないところからスタートし、途中で同じ受験生と知り合って勉強仲間に入れてもらい、少し時間はかかりましたが、幸い合格できました。
合格後は岡山で司法修習を受けて、そこで初めて、直接法律家と接しました。法曹三者(裁判官、検察官、弁護士)それぞれの仕事に触れるなかで、自分にとってはやはり裁判所が魅力的な職場に映り、裁判官になる道を選びました。裁判所では民事、家事を中心に事件を担当しましたが、わがままを容れていただき、良い先輩同僚に恵まれ、充実した毎日を過ごすことができました。
65歳で定年を迎えたタイミングで弁護士に転身し、今に至ります。
裁判官・弁護士としての知見をもとに、最適な解決策を模索する
ーー弁護士の仕事を始めて、いかがですか。
弁護士登録してから今年で5年になりますが、非常に興味深くてやりがいのある仕事だと感じています。
弁護士になる前は、依頼者の相談に対して、「おそらく訴訟を起こしても、希望どおりの判決を得ることは難しいだろう」と裁判官の目で結果を見通してしまうのではないかと思っていました。弁護士として、見通しが厳しい事件でも依頼者の利益のために力を尽くせるだろうか…と不安を感じていたんです。
ところが、実際に仕事を始めてみると、それは杞憂だったことがわかりました。やはり悩みを抱えている方を目の前にすると、難しい案件であっても、「この方のためにとにかく力を尽くしたい。解決に向けてお手伝いをしたい」という気持ちになります。逆に言えば、そのような気持ちにならないときはお引き受けしない方がよいだろうと考えています。弁護士として、「何とか依頼者の力になれないだろうか」という発想で物事を考えるので、裁判官の目で見ていたときとは異なる発想が湧いてきます。
依頼者の正当な利益や権利を守るために、今までの知識や経験を総動員して、「こういう方針で進めていくのはどうだろう」と一から考えていくことが非常に楽しく、やりがいを感じます。
ーー現在注力されている分野はありますか。
離婚・男女問題と相続、不動産に力を入れています。
裁判官として36年間仕事をしてきたうち33年間は民事・家事事件を担当し、この3分野の事件を数多く扱ってきました。
特に離婚や相続といった家事事件は、1人の弁護士が一生で手がけるよりはるかに多くの案件を担当したので、そこで得た知見を活かして適切な解決の方針をご提案できると考えています。
記憶に残る裁判官時代のエピソード
ーー裁判官・弁護士として活動してきた中で、印象に残っているエピソードをお聞かせください。
裁判官時代で印象に残っていることは、やはり、大きな事件で苦労して判決を書いたことです。特に、高裁で裁判官を務めていたときのことは思い出深いですね。
裁判というのは、最初は1通の訴状が提出されるところから始まります。それに対して反論が出て、少しずつ証拠も提出されて…と、最初は数枚の書類だった裁判記録が、一審の判決の直前ではファイル2冊、3冊くらいの厚さになります。一審の裁判官は、訴状が提出された時点をゼロとして、そこから数年かけて事件を育てていくんですね。
ところが高裁というのは、一審の裁判官が育てた分厚い記録をいきなり渡されるんです。記録がきたらすぐに中身を読み込んで短期間で把握して、一審の判決でおかしいところがないかチェックして必要に応じて書き直し、高裁としての判決を書く…ということを、短ければ2〜3か月、長くても半年の間に全て終わらせなければならない。そういう、記録がファイル数冊程度の事件を月に10件以上処理する必要がありました。
並行して、高裁の裁判官はたいてい1人1件くらいは、マスコミで取り上げられるような大きな事件も抱えています。そういう事件は裁判記録のファイルが30~60冊くらいあって、ロッカー2つ分はゆうにいっぱいになります。
ーーそれだけの量の記録を読み込んで、判決を書くのですね。
平日の業務時間内だけではとても処理しきれないので、夜も昼も関係なく、休日や年末年始も返上して取り掛かっていました。大きな事件の判決をやっと書き終わったときのことは、どうしても忘れられません。
弁護士になってからは、事件の大きさにかかわらず、依頼者に「いい解決ができて本当によかった。ありがとうございました」と喜んでいただける結論を勝ち取れたときが一番嬉しく、印象に残りますね。
弁護士は、あくまでも依頼者がいてこそ成り立っている仕事です。今月で70になりましたが、健康である限り、私を信頼して事件を任せてくださる依頼者の力になれるように努力し続けたいと思っています。
ーープライベートについても伺います。休日の過ごし方やご趣味を教えてください。
平日とのメリハリをつけたいのでなるべく仕事はしないようにして、釣りに行ったり、ジムで身体を動かしたりしています。近くに住んでいる孫たちと一緒に遊ぶこともあります。
高校も大学も落語研究会に所属していて、文化祭で一席演じるのが毎年の恒例行事でした。今でも落語は大好きです。書籍だけでもおそらく1500冊は集めていて、音声や映像も含めれば膨大な数をコレクションしています。昔の落研仲間との交流も続いていますよ。
セカンドオピニオンでもお気軽に
ーー最後に、トラブルを抱えて悩んでいる方にメッセージをお願いします。
いつでも、気軽にお声がけください。
相談に来た方の中には、私のところに来る前に、すでに何人かの弁護士に相談している方が多くいらっしゃいます。医療の世界でもセカンドオピニオンというものがあるように、弁護士に対しても、方針に異論があったり、何となく違和感を感じたりして、「他の弁護士の意見も聞いてみたい」と感じることはあるでしょう。
私としては、自分が相談者にとって初めて相談する弁護士でも、2人目、3人目の弁護士でも、特にこだわりません。どんな状況でも遠慮なく声をかけてください。「他の弁護士はこう言っていた」というようなことも、気にせず話してもらえればと思います。
私の方針に対して納得できなければ、それはもうやむを得ません。ですが、納得して依頼していただけるなら、最後までしっかりと対応しますので、安心してお任せください。