「突然、多くのものを奪われた。車の運転、仕事も。何回、採用試験受けたかな。やりたかった職で充実してたけど。聴力も声も失くした。会話もできない。何も食べられん、飲まれん。楽しみも減った。体も動かんし、排泄さえもできん」。
これは2011年12月に過労で脳出血を発症し、寝たきりとなった元小学校教諭の男性(50代)の訴えだ。2015年に意思伝達装置を使い、指先にくくりつけたマウスで1文字ずつ入力して文章をまとめた。
男性は公務上の労働災害にあたるとして、地方公務員災害補償基金熊本県支部に公務災害認定を請求したが認められず、訴訟を起こした。
しかし、1審の熊本地裁も請求を棄却。舞台は福岡高裁にうつり9月25日、ようやく公務災害だと認める判決が出た。倒れてから約9年もの月日が経っていた。
男性は訴える。「こんなに取り返しのつかないことになるなら、もっと仕事の手を抜いて適当にすべきだった。考えれば考えるほど絶望に襲われるから。今も書きながら息苦しい。こんな学校現場での事故は私で終わらせて欲しい」
●モデル校に指定、研究主任が負担に
判決文などによると、男性は2011年12月、小学校から帰宅後に意識を失い、脳出血と診断された。現在、言葉を発せず自ら寝返りもできないため、介助が必要な状況で、身体障害者手帳の1級に認定されている。
男性が勤務していた小学校は2010〜11年度、県教育委員会の「学力向上モデル校」と市教委の「研究推進校」に指定された。男性は研究主任を務め、これが大きな負担となった。
クラス担任は担当していなかったが、全学年の算数の個別指導担当として、1時間〜5時間目まで全ての時間に授業があった。さらに、研究主任として毎週の校内研修の企画や準備をおこない、研究紀要の作成、計算大会の問題作成なども男性の業務だった。
また、部活動は夏から冬はサッカー部を担当し、指導者の補佐的な役割をになった。土曜日または日曜日に朝早くから自宅を出ていた。
(MakiEni / PIXTA)
地裁判決では、発症前1カ間の残業時間を校内と自宅作業で合わせて約90時間と認定したが、1つ1つの業務は過重でないとして、発症と公務との間に因果関係を認めなかった。
高裁判決では、発症前1カ間の残業時間は約93時間と認定され、地裁と同じく「1ヶ月に100時間を超える時間外労働」という認定基準には届かない数字だったが、「業務上の負荷については、控訴人の業務を全体として評価する必要がある」と総合的に判断がされた。
部活動についても「睡眠時間および休日の休息時間を減らし、疲労回復を遅らせる要因になった」としている。
●代理人「勤務実態を重視して判断した」と評価
代理人の中島潤史弁護士は「単に時間外労働時間の長さだけをとらえて形式的に判断するのではなく、原告の勤務実態を重視して判断をした。原告の置かれていた過酷な勤務状況を正面から受け止めた素晴らしい判決」と評価する。
一方で、「自宅持ち帰り残業」が本人以外には把握しにくいという問題は課題として残っている。原告側はパソコンの稼働時間などから、発症前1か月の自宅作業は93時間と主張していたが、それだけでは作業時間を推認することはできないとして、半分程度しか認められなかった。
「教員の『自宅持ち帰り残業』の実態とその時間が所属長によって適切に把握されていれば、月100時間以上の時間外勤務をしていたことは容易に把握され、勤務時間を減少させることで今回の発症を事前に防止できたはずです。
仮に発症した場合でも、容易に勤務時間が立証されて速やかに公務災害と認定され、今回のように9年も待たされることはなかったことは明らかです」(中島弁護士)
文部科学省の「公立学校の教師の勤務時間の上限に関するガイドライン」では、「校内」勤務時間の把握については触れられているが、「自宅への持ち帰り残業」の把握についてはあいまいにされている。中島弁護士は懸念を強めている。
「熊本県の方針を見ても、業務の持ち帰りの実態把握は現場に丸投げされている状況です。本人以外には把握しにくい『自宅持ち帰り残業』の問題をいかに解決するか。教員の命と健康を守るため、あいまいにせず正面から議論する必要があると感じています」