今年6月、パワハラ防止措置を企業に義務付ける「改正労働施策総合推進法(パワハラ防止法)」が施行されました。事業主にはパワハラ防止の周知啓発や、相談体制を整備する措置義務が課されます。「指導」との線引きが難しいパワハラは、セクハラやマタハラと比べて法制化が遅れていました。労働法が専門の成蹊大学法学部の原昌登教授に法制化の意義や、パワハラを繰り返す「クラッシャー上司」に会社としてどのような態度で臨むべきかを聞きました。(ライター・国分瑠衣子)
●パワハラに100%正しい線引きはない
――パワハラ防止が法制化されたことの意義は何でしょうか。また、セクハラやマタハラと比べて法制化が遅れたのはなぜだと考えますか。
「これまではパワハラ防止に取り組む企業と、そうではない企業の差が大きかったので、強制力が生じる法制化の意義は大きいです。また、見落としてはいけないのが、労働者がパワハラの相談などをした時の不利益な取り扱いの禁止が法律に盛り込まれた点です。明確にされたことで、行政も動きやすく、相談者も安心できる。これまで泣き寝入りしていたケースの改善につながります。
なお、既に措置義務が法制化されていたセクハラやマタハラについても、今回、不利益な取り扱いの禁止が盛り込まれました。
法制化が遅れた理由は二つあります。一つはパワハラという言葉が生まれてからまだ20年ぐらいです。パワハラ自体はもっと古くからありましたが、認知されたのはセクハラなどと比べて新しいという点です。もう一つは、指導とパワハラの線引きが難しいためです。『法律による対応がなじまないのでは』という意見が一部にあり、法制化まで紆余曲折がありました」
――改正法では、事業主にパワハラ防止に向けた周知啓発が措置義務として盛り込まれました。企業が研修を行う時のポイントは。
「ハラスメントはまだ『個人の問題』とか『コミュニケーションの行き違い』で片づけられることが多い。このためにハラスメント防止研修や教育が必要で、一回研修して終わりではなく、繰り返すことが大切です。
研修では3つのポイントがあります。1点目は基本事項の周知徹底。パワハラの本質とは何か、それは人格を攻撃したり、否定したりすることは許されないということです。『仕事だから』『ノルマだから』など職場では人格が横に置かれてしまうことがありますが、許されません。
2点目はパワハラの具体例を示すことです。セーフとアウトの線引きはイメージをつくってもらう上でわかりやすいと思います。
ただ、大事なのが3点目で、線引きだけでは絶対に解決できないということです。100%正しい線引きはありません。パワハラにならないような指導方法を共有することが事業者の役割として重要です」
――企業が行うパワハラ防止策の効果を測定する方法はありますか。
「法制化が始まったばかりなので、時間がかかると思いますが、企業への求職者数や離職者数のデータは一つの指標となるのではないでしょうか。ハラスメントがある職場は雰囲気が最悪で、皆会社を去っていきますから。パワハラ対策をしっかり行うと、ざっくり言えば、会社がもうかることにつながります。職場の雰囲気がよくなり、生産性も上がるからです。指標を工夫することによって、会社にプラスに働きます」
成蹊大学の原昌登教授
●昭和流「なぜこういう仕事をさせるのか自分で考えろ」は通用しない
――指導との線引きに迷った上司が委縮してしまい、部下に適切な指導ができなくなるといったことを解消するために必要なことは何でしょう。
「相手の人格を傷つけずに、言うべきことは言うことです。仕事でミスをした時に、原因や再発防止策は検証する必要があります。ですが『おまえはダメだ』など人格を損なうことは言わず、仕事に対する指導を効果的に進めていくことです。
例えば、負荷のかかる仕事や、これまで経験してこなかった仕事を課し、部下が成長することはあると思います。昭和の時代は『なぜこういう仕事をさせるのか自分で考えろ』という風潮があったかもしれませんが、『あなたになぜこの仕事をやってもらうのか』ということをきちんと説明しなければなりません。昔に比べ、このワンステップが重要です。
上司は指導の内容についてメモをつくると意外と効果が高いです。メモすると思うだけで指導の際に冷静になれますし、読み返すことで指導を客観的に振り返ることもできます。また、記録を残すことで、パワハラと言われた時の反論材料にもなりえます」
――企業はパワハラを繰り返す「クラッシャー上司」に対し、どのような姿勢で臨むことが求められますか。
「パワハラを繰り返す人に特効薬があるわけではなく、パワハラ防止教育を繰り返し行うしかありません。ハラスメントをする人が営業の数字を持っていたりするケースは少なくありません。数字をとってくれば多少振る舞いはダメでもいいというのが昭和の時代にはありました。しかし今の時代、ハラスメントが許されることは絶対にありません。
パワハラ防止教育と並び、会社としてハラスメントはダメということを社長がトップメッセージで発信することも大切です。それでも繰り返すようなら懲戒処分や懲戒解雇を考えざるをえない。いくら取引先からかわいがられていても会社として受け入れられないという毅然とした態度が必要です」
――トップがパワハラ防止を力強く発信している企業はありますか。
「法制化のタイミングで、社内のネットに動画配信した会社が複数あると聞いています。また、就業規則を改定して、懲戒処分の項目にパワハラという言葉を盛り込むことも効果的です。もちろんハラスメントという言葉が入っていなくても懲戒処分はできますが、一言盛り込むと、社員の気持ちが引き締まります。特別なお金も必要ありません」
――パワハラの被害にあった場合、どのように証拠を集めたらよいでしょうか。
「裁判で証拠として活用する場合、スマートフォンやICレコーダーを使った録音が有効です。裁判の証拠とするためであれば、録音の際に相手に断る義務もありません。
ただ、とっさに録音するということが難しいというケースもあります。また、パワハラをめぐる裁判では、周りの同僚などが加害者からの報復を怖れて証言をしてくれない場合もあります。裁判例を見ると、被害者が自殺したケースで、本人が残した日記やメモを見て判断した例もあります。上司がパワハラを否定しても、遺された日記の記述を重視し、パワハラがあったと認定した判決もあります。自分が何を言われたかを具体的に記録しておくが大事です」
●日本ではハラスメントは法律問題だということが十分に浸透していない
――パワハラ事案は、労災認定されても必ずしも民事責任に問われることが多くない印象を受けます。実態はどうなのでしょうか。
「最終的に裁判となると、経済的にも時間的にもコストがかかります。訴える相手が大企業の場合、一個人が争うことは精神的にも大変です。やはりパワハラを未然に防ぐことが重要だと思います」
――コロナ禍でリモートワークが進み、自宅での仕事が増える中で「リモハラ」という言葉も生まれました。
「今はリモートワークの過渡期なので、いずれ是正されるでしょう。リモートワークで、ただ会社にいるだけの人ではなく、実際に成果を上げている人がわかりやすくなったと思います。いい距離感が生まれて、プラスに働くのではないでしょうか」
――海外でパワハラ防止対策が進んでいる国はありますか。
「例えば、フランスのように刑事罰を科す国もあります。また、国際的な状況としては、ILO(国際労働機関)は2019年に、職場でのハラスメントや暴力を全面的に禁止する国際条約を採択しています。これは従業員だけではなく、学生インターンやフリーランスなど全ての人が対象で、より強い姿勢を打ち出しています」
――最後に、パワハラ防止を「自分ごと」と捉えることができる社会をつくるためには何が必要でしょうか。
「日本ではハラスメントは法律問題だということが十分に浸透していないと感じます。国、会社、学校、メディアなど社会全体がいろいろな角度からハラスメント防止について発信していく必要があります。
加害者がパワハラを重大なことと思わずに、裁判を起こされてびっくりするというケースもあります。賠償責任が生じたり、報道されて生活に支障が生じるなど、社内だけでなく経済的、社会的にも責任を負う問題なのだということを周知しなければなりません。
また、職場が多様だということを意識する必要があります。例えば育児や介護をしながら働くなどさまざまな人がいて、何を優先させるかが多様になってきている。相手の立場に立ってイマジネーションを働かせることが大切だと思います」