2023年10月25日、最高裁大法廷で、戸籍上の性別を変更する際に生殖機能をなくす手術が必要とされる「性同一性障害特例法」の規定を違憲とする決定が出た。
申立人の代理人を務めたのは、南和行氏(47)とそのパートナーの吉田昌史氏(46)だ。ふたりは2013年に「夫夫」で法律事務所を立ち上げ、同性カップルの弁護士として注目されてきた。
「立派な弁護士になりたかったわけではありません。ただ、パートナーと共にしあわせに生きていきたかっただけです」
こう語る南氏は、もともと法律家になるつもりはなく、建材メーカーに勤務する会社員だった。同性愛者であることや恋人の存在を隠しながら生きていた。
●「異性愛者」を演じた会社員時代
南氏は京都大学農学部を卒業後、同大学院の修士課程に進んだ。同じ大学に通うゲイの学生たちの交流を目的としたインターネット掲示板の管理人もしていた。同性愛者であることを隠す人が少なくない中、匿名性のあるネットは同じ属性の人と出会うことができる空間だった。
修士2年次の夏に掲示板のオフ会を開催し、法学研究科で民法を専攻する修士1年の吉田氏に出会い、その人柄に惹かれた。同年12月から恋人としての交際がスタートした。
修士課程を修了後、大阪の建材メーカーで商品開発と技術研究職に就いた。職場では吉田氏のことは隠し、異性愛者を演じた。社員が同性愛に忌避的な素振りを見せたわけではない。隠す選択をしたのは、自分自身だった。
「同性愛者であることに抵抗を強く感じていましたし、マイナス要素だと思っていました。社会の中で安全に生きていくためには、隠していかなければならない。それが当たり前だと思っていたので、異性愛者と同じように扱ってほしいとは思いませんでした」
吉田氏というパートナーがいるのに、社会生活を送るうえでは「存在しない」扱いになる。それでも、知られたくない気持ちが勝っていた。会社の居心地のよさは「異性愛者の男性を演じているからこそ得られる現実」だと思っていた。
同じころ、吉田氏は体調を崩し、大学院に思うように通えなくなっていた。「どうしたら、彼を見守ることができるのだろう」。
考えて行き着いた答えは、2人で弁護士になることだった。
●2人でしあわせになるために
きっかけは、吉田氏が「司法試験を受けて弁護士になるとかだったら、できるのかな…」と言い出したことだ。南氏が会社員になって約1年後のことだった。
「僕も弁護士になれば、パートナーがしんどくなったときに見守ることができる。自由な自営業だからこそ、仕事でも生活でも共にいられる。『世の中を変えてやる』との意気込みはなく、2人でしあわせになることだけを考えていました。法学の勉強をしたことはありませんでしたが、身近で憧れの職業でもありました」
南氏の父親は弁護士だった。小学生のころに『バラエティー生活笑百科』に出てくる「ご近所トラブル」などを素材に「これは何が問題だろうか」と問いを投げかけられたことがあった。
南氏の自宅と父親の事務所は近く、仕事の雰囲気はなんとなくわかっていたという(2月19日、大阪市内、弁護士ドットコム撮影)
「子どもなりに考えて答えたときに『きみは筋がいい。弁護士に向いている』と言われたことがあります。嬉しかったです。ただ、大学ではたくさん遊んで、就職したいと思っていたので、弁護士を目指すことはありませんでした」
父親は「司法試験は法学部でなくても誰でも受験できる」とも話していた。吉田氏とともに挑む覚悟を決め、2002年に会社を退職した。その後はアルバイトをしながら大手受験指導校として知られる伊藤塾に通い、受験勉強に励んだ。
このころ、司法制度改革によって2004年に法科大学院(ロースクール)が開設。大阪市立大学法科大学院の既修者コースに1期生として入学した。
●「恋人」「婚約者」と名乗れず…
2006年3月にローを修了後、初めての司法試験に挑んだ。結果は不合格だった。一方、吉田氏は8位で合格して先に司法修習生となった。しかし体調は改善せず、修習に行けない日があったり、弁護士登録後も、しばらくすると休みがちになった。
「病院に同行しようにも、裁判所に代わりに電話しようにも、自分の身分をどのように名乗ればよいのかわかりませんでした。異性愛者のように『恋人』や『婚約者』と言うこともできず、何も手出しできませんでした」
当時の司法試験は受験制限があり、ロー修了後5年以内に3回までしか受けられなかった。しかし、2回目の試験も不合格だった。焦りが募ったが、2008年に挑んだ3回目の試験で無事に合格を果たした。
修習では「異性愛者であることが当然」との風潮があった。男性の修習生に「もっと男らしく話せ」と注意する男性弁護士や、懇親会の席で隣に女性を座らせる男性検察官などを見るたびに「同性愛者であることを打ち明けることはできない」と思った。
体調不良で事務所を退所し、休業していた吉田氏は、2009年に南氏が弁護士になると、新たな事務所で仕事を再開した。2人は弁護士として、ようやく新たな道を歩み始めた。
●弁護士夫夫を公に、事務所を開設
南氏(2月19日、大阪市内、弁護士ドットコム撮影)
しばらくして、ローの同期会があった。同期生のほとんどは2人が恋人同士だと知っていたが、教授や実務家教員は知らなかった。ひとりずつ近況を報告する中で、吉田氏が「僕たちは交際しています」とカミングアウトした。
この出来事を機に、2人の間で結婚式をする話があがった。そのためには、同性愛者であることを打ち明けなければならない。不安しかなかった。「周囲がどのように思っているのかわからなかった」ためだ。
2011年にイタリアンレストランで挙げた式には、友人や家族、ローの同期や教員、事務所の弁護士などが集まった。挙式後、南氏が退職した会社の上司らに結婚の挨拶状を送ると、同じ部署で働いていた約30人が集まってパーティーを開き、2人を祝福してくれた。
「もしかしたら、会社員をしていたころにカミングアウトしても、受け入れてくれたのかもしれません。でも、当時はどうしても打ち明けられませんでした。本当に人のあたたかさがいっぱいある会社でした。1年しか働いていないにもかかわらず、弁護士になったことを喜んでくれて、当時の上司、先輩、同期とは今も付き合いがあります」
2013年に大阪市内で2人の事務所を開設した。ホームページには「同性カップルの弁護士夫夫の法律事務所です」と書かれている。同性を好きになる人、出生時の性と自認が異なるトランスジェンダーの人などが相談に訪れるようになった。
パートナーの存在を隠す日々は幕を閉じた。しかし、現状を手にしたのは「たまたま」だと南氏は語る。誰もが同じ道を歩み、社会的に承認を得られるわけではない。当事者の裁判に関わり、同性婚が認められていない今を生きる中で、同性愛者であることへの葛藤はあるという。