弁護士の南和行氏(47)は、同性愛者であることをカミングアウトしている。これまで「LGBT」とされる人への差別やいじめなどに関する裁判を複数手がけ、注目を浴びた。
戸籍上の性別を変更する際に生殖機能をなくす手術が必要とされる「性同一性障害特例法」の規定は違憲と判断した最高裁大法廷の決定(2023年10月25日)は大きく報じられ、法律の見直しが迫られることになった。
パートナーの吉田昌史氏(46)とともに申立人の代理人を務めた南氏は「当事者性がないからこそ自分の土俵で思うように相撲が取れた」という。一方で、当事者性があるために「砂を噛むような嫌な思いをしたこともある」と語る。
●同性愛者の裁判「自分自身も差別を受けている感覚」
南氏のもとには、多様なジェンダーやセクシュアリティの人が訪れる。同じ同性愛者の案件に関わることもある。そのひとつが、一橋大学法科大学院(ロースクール)で意に反して同性愛者であることをアウティング(暴露)された男子学生が2015年に亡くなった事件だ。
学生の両親は、2016年に一橋大学の責任を問う民事訴訟を提起した。学生は生前、南氏に相談を持ちかけていた。教授から「同性愛者の弁護士がいる」と聞いたためだった。南氏は、両親の代理人弁護士として裁判に挑んだ。
しかし、満足する結果は得られなかった。一審(2019年2月27日東京地裁判決)、控訴審(2020年11月25日東京高裁判決)ともに両親の請求は棄却された。
一審判決後に会見する遺族代理人の南氏(左)と吉田氏(2019年2月27日、編集部撮影)
学生は生前「なぜ、誰もアウティングがおかしいと言ってくれないのか」と問い続けていたという。一審はその問いに答えなかったが、控訴審は意に反して同性愛者であることを暴露されることは「(学生の)人格権ないしプライバシー権等を著しく侵害するものであって、許されない行為であることは明らか」と示した。
南氏も同性愛者だ。「当事者性」があるからこそのつらさもあった。
「裁判に関わる中で、自分自身も差別を受けているような感覚でした。ここにいう差別は、言いたいことが尊重されなかったり、存在を無視されたりすることです。『親が犯罪者』と暴露された学生を放っておくことはあるでしょうか。同性愛者であることを暴露されることが軽んじられているように感じました」
砂を噛むような思いをしたのは、一度や二度ではない。約50年ともに暮らした同性パートナーの急逝後に死別したパートナーの妹から仕事や住居を奪われた男性が、財産の引き渡しや慰謝料を求めた訴訟で、男性の代理人を務めたときのことを思い出す。
男性は、当初は葬儀への参列も拒否され、裁判では「居候の従業員と聞いていた」とまで言われたという。
大阪地裁は2020年、請求をすべて退けた。「男性は『葬儀に立ち会いたい』と言っただけなのに、なぜ、ここまでされるのだろう」。同じ当事者だからこそ、こころが痛んだ。
●当事者性がないからこそ、全力で闘えた
南氏は、出生時と自認する性が異なるトランスジェンダーではない。当事者性がないからこそ、性同一性障害特例法の規定については弁護士として全力で闘えた。「審判のためだけに手術するのは大変では」「自認する性で生きているのに、戸籍を一生変えられないのはおかしいのでは」などと自らの疑問を裁判官に直球で投げかけ、説得することができたという。
「戸籍の性別変更にあたって、形式的な判断をすれば現実とのギャップが大きくなることをアピールすることに努めました。違憲かどうかよりも、見て見ぬふりをしようとしている裁判官を説得し、逃さないようにすることに力を注ぎました」
南氏は、京都大学農学部と同大学院の修士課程を修了し、建材メーカーの会社員から弁護士に転身した「理系」でもある。知識や思考方法は、裁判官を説得するためにプラスに働くことが少なくないと強調する。
「これまで『性別適合手術をすれば染色体が変化する』と考えている裁判官にも出会いました。自然科学は、法律以上に生身の実生活を否応なく規律するものです。科学の観点から丁寧に説明すれば、わかってもらえることもあります」
裁判官をはじめとする法律家の言動に傷つく人もいる。しかし、南氏は法曹を養成するローでこころの寄り添い方などを教える必要性は感じていない。
「福祉的なケアができる人が能力的に優れた法曹とも限りません。一般に『こころに寄り添う』といわれるコミュニケーションも得手・不得手のものであり、それをことさら評価する必要はないと思います。むしろ『こころに寄り添う』ことが苦手だから、人と距離をとって理屈で割り切れる法律が好きなんだ、ぐらいの感覚でよいのではないかと考えています。ただ、こころに寄り添うことが苦手なこと、だからこそ人を傷つける可能性があることは、意識したほうがよいと思います」
「知らないこと、わからないことはたくさんあります。たとえ知らなくても、目の前にある事実についてはしっかり手に取り、感触を確かめる。そして、自分自身の体験として理解し、合理的な判断をして、妥当な結論を導き出す。これが法曹に必要なことだと思います」
●すべての同性愛者が「同じ」ではない
南氏は同性婚訴訟のアプローチに疑問を抱いていると語る(2月19日、弁護士ドットコム撮影)
南氏は「LGBTの弁護士」と一括りにされるたびに、違和感を覚えずにはいられない。全員が同じ考え方だとは限らないためだ。同性婚訴訟についても「必ずしもすべての同性愛者が肯定的に捉えているわけではない」と強調する。
「なぜ法律だけが祝福してくれないのだろう、と思うことはあります。法制度の問題として国会で議論されるべき課題だとも考えています」
「ただ『同性婚を認めないのは憲法違反』『同性婚ができればしあわせになれる』とする主張には疑問があります。社会的承認を得ることと、それに加えられる法律の保護は別もので混同してはならないと思います」
「同性婚がなくても、しあわせに生きている人もいます。同性婚は同性愛者だけの問題ではなく、個人と国家、個人と家族に関する法体系全体の問題であると考えています」
南氏は同性婚訴訟の原告や弁護団には加わっておらず、距離を置いているという。一方で、原告の思いを受け止めた判断を裁判所に望む気持ちもある。
これまで吉田氏とともに同性カップルの弁護士として注目され、数々の事件を手がけてきた南氏。今後について聞くと「正直、すこし疲れました」と吐露する。
「立派な弁護士」や「社会の最前線の弁護士」になりたかったわけではない。パートナーと共に生き、「ボチボチ」しあわせになりたかっただけだ。これからは「自分の得手・不得手を意識し、自分が自分を追い詰めないペースで歩いていきたい」という。