法曹養成に特化したロースクールの創設や法曹人口の増加などを掲げ、1990年代から進められた司法制度改革。国民にとって司法を身近にしようと始まった大規模な取り組みは、明らかに“迷走”している。
このような現状を疑問視した研究者らが、2022年に『平成司法改革の研究ー理論なき改革はいかに挫折したのか』(岩波書店)を出版した。
編著者の須網隆夫教授(早稲田大学法学学術院大学院法務研究科)は、EU法の専門家で以前は弁護士だった。なぜ、このような本を出版したのか。話を聞いた。
●理論化は「研究者」としての責任
ロースクール修了者のうち約7〜8割が新司法試験に合格できる教育、合格者数3000人を目指すことなど、司法制度改革審議会意見書では“壮大”なビジョンが描かれていた。意見書公表から20年経過したが、その理想は未だに現実化していない。
2004年に開校したロースクールは一気に失速し、2023年に入学者選抜をおこなったのはピーク時(74校)の半数以下の34校だった。2011年に予備試験がスタートすると、合格率の差は歴然となった(法務省のデータを参考に、弁護士ドットコム作成)
被疑者国選弁護制度や法テラスなど、個々にみれば改革が功を奏したものも少なくない。しかし、「法の支配の実現」という大きな理想を掲げた意見書を基準とすれば、改革は「失敗」といわざるを得ないーー。須網教授らが出版した著書は、このような視点から書かれている。
出版後、ある弁護士に「初めて『失敗』と述べているものを見た」と言われて衝撃を受けた。「これまで、改革が“成功だった”と語る研究者に出会ったことはない。なぜ、誰も『失敗』と言わないのか」と須網教授は疑問を呈する。
これまで、学問の枠組みの中で司法制度改革を理論化しようとする人はいなかった。「刑法学者は“刑法”のみ」「民法学者は“民法”のみ」というように、法学者がそれぞれの専門外の研究になかなか踏み込めない現状にも歯痒さを感じていた。
「審議会の会長を務めた憲法学者の佐藤幸治氏(京都大学名誉教授)は、制度改革の専門家ではありません。専門家以外の人がリードせざるを得なかったこと自体も問題ですが、そもそも“制度改革の専門家”はいるのでしょうか。制度改革とは、どういうものなのか。自分も分からずに改革に関わってきましたし、審議会の認識も不十分だったように思います」
須網教授らが出した著書『平成司法改革の研究ー理論なき改革はいかに挫折したのか』(岩波書店、2022年)(弁護士ドットコム撮影)
須網教授の専門はEU法だ。しかし、改革とは“無関係”ではない。審議会委員をサポートした経験がある。ロースクールでは教鞭を取り、法曹養成のあり方を問う論文も出してきた。
なぜ、改革はうまくいかなかったのかーー。自問し続けていたこの問いに答えることが研究者としての責任を果たすことだと思った。
「誰かが理論化しなければ、同じような失敗が繰り返されてしまう」。そう思いながらも、ひとりでまとめるのは気が重かった。改革から20年経ち、筆を執る覚悟を決めた。他の研究者らの協力を得て、まとめ上げた。
●ロー自体が「社会貢献すべき」
改革で法曹養成のモデルとされたのは、アメリカのロースクールだ。須網教授も旧司法試験に合格して弁護士になった後、渡米して通ったことがある。「アメリカではロー全体で弁護士を育てるが、日本で法律家になりたければ自分で勉強するか予備校に行くしかなかった」。だからこそ、改革の“目玉”として2004年に開校したロースクールの教育に期待していた。
アメリカのロースクールでは、自然災害時の社会貢献活動にも力を入れていた。須網教授らも、2011年に発生した東日本大震災後に「早稲田大学東日本大震災復興支援法務プロジェクト」を立ち上げ、現在も学生や卒業生とともに被災地の法的支援や現地調査を進めている。
震災当時、ほかのローにも「社会貢献活動をしませんか」と呼びかけた。しかし「応じたところは一つもなかった」。「ローの“予備校化”が進んでいる時代です。学生たちは試験勉強に追われていたのでは」と分析する。
早稲田大学東日本大震災復興支援法務プロジェクトの「2022年福島県浜通り聞き取り調査報告書」(弁護士ドットコム撮影)
2020年から運用されている法曹コース(3+2)や2023年から始まった在学中受験によって「ローの“予備校化”は加速した」と須網教授は指摘する。これまで続けてきた震災プロジェクトの存続にも危機感を抱いているという。
「学部3年、ロー2年で終わるようにカリキュラムを変えたことで、より学生は試験勉強に追われ、多忙を極めています。ローは、ほとんど“予備校”になっている。単純に、予備試験と競争するために期間を短くしたようにみえます。教員の多くは、予備試験との競争は『不当な競争』と思っているのではないでしょうか。これが、あるべき法曹養成の進む道とは思えない」
取材に応じる須網隆夫教授(2023年12月4日、弁護士ドットコム撮影)
須網教授は、最先端の問題を学生と一緒に考えながら、互いに知的な刺激を与え合える教育が必要だと考えている。「学生には現地に足を運んで人に会い、いろいろなことを考えてもらいたい」。ところが、“予備校化”したローは「創造的な刺激とは無縁」だと批判する。自ら考えるのではなく、「答え」が決まっている問いのみに向き合うためだ。
「社会は、本当に『点数がよかった』だけの法曹を望んでいるのでしょうか。新たな制度は、依頼者となる『市民』『企業』がどのような法律家を望み、どういう教育が必要なのか?という観点で物事を考えていないように感じます」
●ローは存続すべきか?
現状のロースクール制度には「枝葉が削ぎ落とされて幹だけ残っている状態」と批判的だ。「今後も募集停止が出るのでは」との懸念も抱いている。
「現状のままでは、うまく機能するのか疑問があります。さらに、予備試験が拡大していく現状を考えると、そもそも持続可能な制度なのか?との問いも生まれます」
もっとも問題視しているのは「法曹志望者自体が減っている」ことだ。少子化の時代に法曹界で生きる人から「弁護士は食えない・稼げない」などの言説が飛び出せば「破壊的な影響を及ぼすのは当然」と指摘する。
司法制度はどうするべきか。ローは存続すべきかーー。
革命家のように制度をすぐに変えることは難しいかもしれない。しかし、どんなに困難でも、すこしでもよくするための方法がみつかる可能性はある。重要なことは、すぐに答えを出すことよりも「どうすれば残った幹に新しい葉を繁らせることができるかを、考えること・議論すること」だと須網教授は語る。出版した本は、その素材としてすべての人に提供されている。
【プロフィール】
須網隆夫教授(早稲田大学法学学術院大学院法務研究科)
東京大学法学部卒。1981年弁護士登録。横浜国立大学助教授を経て、1996年から現職。それ以後、デューク大学・ペンシルバニア大学ロースクール客員教授、日本EU学会理事長、日本臨床法学教育学会理事長を務め、現在、日本国際経済法学会理事長、経団連21世紀政策研究所研究主幹。最近の主要業績として、(共編著)Global Constitutionalism from European and East Asian Perspectives (Cambridge University Press, 2018)がある。