4月にスタートしたNHK連続テレビ小説「虎に翼」。日本初の女性弁護士、判事、裁判所所長として、女性法曹の道を切り拓いてきた三淵嘉子さん(1914〜1984)をモデルにしたリーガルエンタメだ。日本弁護士連合会で初の女性会長に就いた渕上玲子さんが、4月22日の会見で「一生懸命見ています」と語るなど、法曹関係者も注目する。
「虎に翼」で法律考証を担当するのが、明治大学法学部の村上一博教授。明治大学は日本で初めて女性が学ぶ法学部を開設し、ドラマのモデルになっている。東京・お茶ノ水の明治大学史資料センターにて、制作の裏話やドラマで描かれる法律の世界について村上教授に聞いた。(ライター・国分瑠衣子)
●放送1年半前に明大訪問 「実は朝ドラです」
明治大学史資料センターでは企画展が開かれている(弁護士ドットコムニュース撮影)
「虎に翼」は、三淵さんをモデルにした主人公・猪爪寅子が、弁護士を目指し仲間とともに奮闘するストーリー。俳優の伊藤沙莉さんが寅子を演じる。ドラマの序盤は太平洋戦争前で、女性に参政権がない時代。そうした中、法律の世界の「ガラスの天井」をどう打ち破るかがテーマの一つだ。脚本は吉田恵里香さんが手がけ、法曹の世界をユーモアを交えて描いている。
村上教授のもとに、NHKのスタッフが訪ねてきたのは2022年の秋。ドラマがスタートする1年半も前のことだ。村上教授の専門は日本近代法史、日本法制史、ジェンダーで、今回のドラマの内容と専門が重なる。
「最初は朝ドラということは伏せてただ『企画を考えているんです』というお話でした。ドキュメンタリー番組かなと思い、資料を貸し出しました。そのうちだんだん演出家の方など人数が増えていって…『実は朝ドラです』と(笑)」
明治大学の前身は明治法律学校で、1881(明治14)年に開校した。「法の学舎」として、女性法曹の育成にいち早く取り組んだ。1929(昭和4)年に女子部が創設され、三淵さんを含む3人の日本初の女性弁護士を輩出した。
●「伝統的な家族観」はつくられたもの
村上一博教授(2024年4月、弁護士ドットコムニュース、明治大学史資料センター)
2023年夏、村上教授は女子部の学生を演じる俳優たちを、御茶ノ水のキャンパスに招き、4回シリーズで法律講座を開いた。学生が少ない夏休み期間中に行ったそうだ。
実際の法科大学院の教室で開いた講座では、戦前の民事・刑事事件、弁護士の歴史を踏まえた上で、ドラマに出てくる婚姻や、明治から現代までの女性の相続権の変化について解説した。
「日本史で学んだ方もいると思いますが、民法は最初『お雇い外国人』のボアソナードが起草し、フランス法を取り入れながら作りましたよね。でも、フランスの個人主義的な法律に抵抗が強くなっていく。そこでドイツ法の影響を受けた明治民法が制定されます。
でも実際は、ドイツ法といいながら日本的に変容したんです。日本の伝統的な家族観が明治民法でできるわけですが、伝統でも何でもなくつくられた伝統です。明治民法では女性は結婚したら夫の家の氏に変われという規定がありますが、明治民法の前はありませんでしたから」
村上教授は、寅子を演じる伊藤さんに法学者、穂積重遠氏が著した家族法の本も勧めた。穂積氏は家族法の権威で、ドラマで女子部を創立した穂高重親氏のモデルになった人物。祖父は渋沢栄一である。
●戦前も傍聴マニアはいた? 「法廷は戦前のほうが面白い」
連日賑わいをみせる企画展(2024年4月、弁護士ドットコムニュース、明治大学史資料センター)
「虎に翼」では弁護士や裁判官といった法曹関係者だけではなく、昭和初期に一般の人が裁判とどう関わりを持ったのかも描かれている。裁判のシーンでは近所の「笹寿司」の主人が親切な「傍聴マニア」として登場するが、昭和初期にも傍聴マニアはいたのか。
「いたでしょうね。法廷は戦前のほうが面白いんです。今、民事裁判の口頭弁論の多くは書類の提出の確認で終わります。でも戦前は弁論主義で1時間、2時間しゃべっていました」
村上教授が法律考証で最も心を砕くことが、一般の人には馴染みのない法律の世界を、楽しんでもらう工夫をすること。法律の条文や用語を説明する字幕もその一つだ。脚本家の吉田恵里香さんやプロデューサー、演出家らと会議で議論を重ねている。
「歴史的事実に反することはありませんが、ある程度まではちょっと羽目をはずしたりもします」
●判例集に載っていない判決も
脚本に合った、過去の判例を探し出すこともある。
第2週の放送で、夫のDVで結婚が事実上破綻している妻が、嫁入り道具として持参した着物を返すよう夫に求め、裁判で争う場面がある。当時の民法では、結婚する時に妻が持参した物品は「婚姻している間は夫の管理下に置かれる」という規定があった。
規定通りの解釈だと妻は着物を取り戻せない。しかし区裁の裁判官は、婚姻が事実上破綻している中で、夫が管理権を主張して返却しないことは「権利の濫用」にあたると判断し、妻の主張を認めた。
昭和前期に「権利の濫用」を認めた判決は有名な宇奈月温泉事件などいくつかあるが、村上教授は1931年(昭和6年)7月の大審院判決を参考にした。下級審の判決も調べたという。
村上一博教授(2024年4月、弁護士ドットコムニュース、明治大学史資料センター)
うっかりする時もある。
「民事裁判のシーンで、裁判長が『次回公判で結審します』と話しているのですが、『公判』は刑事裁判で使う言葉です。民事裁判なので『口頭弁論』とするべきところを見逃してしまいました」
村上教授は法律考証の観点から見たドラマの振り返りを、明治大学史史料センターのサイトで定期的に発信している。
●日本の植民地だった朝鮮からも留学生がいた
ドラマに登場する女子部の学生の生い立ちはさまざま。華族の令嬢、朝鮮からの留学生、農家の娘として生まれ、身売り寸前で逃げ出し、働きながら学ぶ女性。それぞれが切磋琢磨しながら司法試験合格を目指す。
実際はどうだったのだろう。
「実際は、寅子のような経済的に恵まれた家庭が多かったと思います。ただ、朝鮮からの留学生がいたということは史実に基づいています」
当時の学生証・受験票も企画展では展示されている(明治大学史資料センター)
女子部には日本の植民地だった朝鮮、台湾、満州からの留学生がいたという。
「明治時代、植民地の男性は法律を学び、国に帰って独立運動に関わったのですが、なぜこの時代に女性が留学したのか。まだ理由ははっきりと分かっていません」
また、女子部は1期生93人のうち3分の1以上が30歳以上だった。時代を考えると結婚して子どもがいた女性が一定数いたようだ。ドラマでも描かれていたが退学者が多く、1期生は3年後には54人まで減少した。
●「女子部の学生たちがどんな道を歩むか見てほしい」
法服も展示されている(2024年4月、弁護士ドットコムニュース、明治大学史資料センター)
主人公・寅子のモデルになった三淵嘉子さんについても聞いた。三淵さんは明治大学を総代で卒業後、1940(昭和15)年から弁護士活動を始めた。当時の司法試験の合格率は1~1.5割ほど。その中での難関突破だった。1949(昭和24)年に裁判官、1972(昭和54)年には新潟家庭裁判所の所長に就任した。少年少女の審判を担当し、非行からの立ち直りを支援し続けた。
「トップの女学校を出て、女医や教師といった既存の道を選ばずに、女性法曹の先駆者として道なき道を切り拓いてきました。並々ならぬ意志と覚悟を感じます」
気になるのはこれからのドラマ展開だ。
「本当にいろいろあるのですが…女子部の学生一人ひとりが、それぞれどのような道を歩むのか。その点にぜひ注目してほしいと思います」
明治大学は10月28日まで、御茶ノ水の博物館特別展示室でドラマに使われた資料や衣装などを展示した企画展を開いている。平日は200~300人、週末は600人前後が訪れるという。