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健康ランドに誘い、家まで押しかけてきた大学院生 「何もできなかった」女性美術家の後悔
写真はイメージです(prathanchorruangsak / PIXTA)

健康ランドに誘い、家まで押しかけてきた大学院生 「何もできなかった」女性美術家の後悔

表現に関わる分野における性暴力やハラスメントが社会問題となる中、ある30代の美術家の女性は、後悔していることがあると打ち明けてくれました。

ある芸術系大学院へと進学した女性は、学内の男子学生からセクハラを受けた経験があるといいます。しかし、当時は自身が受けた傷にどう対処してよいかわからなかったため、何もできませんでした。その結果、思わぬことが起きたと話します。

弁護士ドットコムニュース編集部では、1年以上かけて美術業界における被害実態を取材してきました。その集大成として、このたび書籍『ギャラリーストーカー 美術業界を蝕む女性差別と性被害』(猪谷千香著/中央公論新社)を発刊しました。

本書では、被害者の多くがハラスメントや性暴力を受けたときに、ショックのあまりすぐに対応できなかったり、相談しても第三者の目の届かない場所で行われたために証拠が不十分だとして、認められなかったりしたケースも伝えています。

女性とは、本書の取材をする中で知り合いました。本書には含まれていない、女性の「後悔」とは、なんだったのでしょうか。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)

【この記事には具体的なハラスメントの描写があります。お読みになる際にはご注意ください】

●無理やり部屋に押しかけてきた男子学生

「自分がそのとき、何もしなかったことを、後から悔やみました」

そう話すのは、美術系大学院を出た30代の女性美術家、Aさんだ。20代だった大学院時代に、学内の男子学生からセクハラを受けた経験がある。

きっかけは、たまたま一緒になった大学からの帰り道、友人3人でかわした電車内での会話だった。4月に大学院に入り、ゴールデンウィークも終わって少し打ち解けてきた頃で、3人は「なんかほっと一息つきたいね、温泉行きたい」と他愛ない雑談をしていた。

当時、Aさんが住んでいた街には、温泉やサウナが楽しめる健康ランドがあった。それをAさんが2人に話したところ、「行きたいね」「行こう行こう」と意気投合した。

Aさんは3人で都合のよい日を相談した上で行くつもりだったが、1人の女子学生が途中で下車すると、残った男子学生が「今日これから行こう」と言い出した。

何の用意もないことや、2人きりであることを渋るAさんに対し、男子学生は「僕は男だから、着替えとかなくても気にしないし」と強く誘ってきた。

「大学院ではいろいろな人と話して、自分にないものを吸収していきたいという気持ちが強かったタイミングでした。相手が男性だからといって警戒しすぎるのも悪いかなと思って、結局2人で健康ランドに行くことにしました」

健康ランドでは温泉につかり、施設内で少しお酒も飲んで、夕方になって解散して帰ろうというとき、男子学生が「飲み足りない」と言ってきた。

Aさんは断ったが、ここでも強く「一杯だけならいいじゃん」と押し切られ、一人暮らしの部屋にあげてしまった。Aさんはお酒に強く酔い潰れることはないし、相手が同級生だから、おかしなことにはならないだろうと考えた。

強く拒絶することで、これから一緒に学生生活を送ることになる男子学生との友人関係を壊したくないという思いもあった。

「そのあと、部屋で2人で飲んでいたのですが、彼はなかなか帰ってくれませんでした。なんかおかしいなと緊張しながら、飲んでいたのですが、午前3時になっても居座っていました」

とうとう疲れてしまったAさんが部屋のベッドに腰かけると、すぐに男子学生も隣に移動して、距離を詰めてきた。距離の近さに驚いたAさんは後退しながら、男子学生に言った。

「それはおかしいでしょう。ただの同級生同士で飲んでいただけで、今そういう雰囲気じゃないし」

Aさんは、迫る男子学生から必死に身体を防御しなければならなかった。レイプされるかもしれないという恐怖がAさんを追い詰めた。

「今思い返すと、きちんと拒絶できていたのかすらわかりません。ただ、すごく怖いと思って、彼を刺激しないよう、明け方まで当たり障りのない話をして帰ってもらいました」

●他の女子学生も被害に

ショックを受けたAさんだったが、この夜のことを誰にも相談できずにいた。

相手は同じ学生であり、狭い学内でのことだったからだ。これからのことを考えると、噂になるのは避けたかった。Aさんは学生生活の中、男子学生とはできるだけ関わらないようにしていた。ところが大学院2年目になり、思いがけない形で、男子学生の話が耳に入ってくることになる。

学生が企画する展覧会があり、そのときに居合わせたある女子学生が男子学生を名指して、「絶対に彼とは話さない」と言ったのだ。女子学生は怒っていた。

聞けば、男子学生は大学院1年目の学校帰り、女子学生に「作品を見に行っていい?」と言って、彼女のアトリエを訪ねてきたという。作品を見たいと言われれば、作家としてうれしいし、学内の学生を相手に断りにくい。

女子学生が招き入れると男子学生は突然、キスをしてきた。Aさんのときと同じ手口だった。女子学生は抵抗し、どうにか男子学生を追い返したが、その後、後輩の女子学生たちにも同様の被害が出ていることがわかったのだという。

学部の女子学生たちは大学側に被害を訴えたが、証言はあるものの加害の証拠がないという結論になり、ハラスメントの認定には至らなかったという。そのため、男子学生はなんら処分を受けることはなかった。

「身体に傷がつくなど、何か証拠が残るやり方をしているわけではありませんでした。私も決定的なことをされたわけではないので、ずっと黙ってしまっていました。でも、彼は私に最初にハラスメントをしたときから、徐々にエスカレートしていったのがわかりました。次の子はキスされたり、次の子は体をつかまれたり、抱きつかれたり、少しずつどこまで行けるか探っているような印象を受けました」

そこで、Aさんの最初の後悔につながる。

  「当時、自分が受けた小さな傷への正しい対処がわからず、誰にも話さなかったことが災いし、私以外の女子学生たちにも、被害が広がっていました。あのとき、ちゃんと周囲に伝えていれば、と思います」

●似たような男性見つけると体がこわばる

その後、Aさんは大学院を修了し、作家として活動しているが、今でもハラスメントをしてきた男子学生と似たような風貌の男性を街で見つけると、体がこわばってしまう。

「少し前に展覧会をした際、同じ時期に近くの場所で彼も展覧会をしていました。

出展作家として彼の名前を見つけたときは、固まりましたね。できるだけ、その場所には近寄らないようにしました。そういうふうに自分の行動が狭められることに、理不尽さを感じています」

Aさんは大学院を出てから一時期、被害に遭ったことを、記憶から消していたこともあった。

「怖い思いをしたくないという気持ちから、自分を守っていました。対人関係も狭めて、男性からの誘いも、意図がよくわからないものは断ったり、薬指に指輪をつけてみたりしたこともありました。

でも、ハラスメント被害とあらためて向き合って、自分より若い女の子たちに同じような思いをさせたくないと考えるようになりました。ハラスメントはなぜ起こるのかといった本を読み、何かサポートすることはできないかと考えているところです」

キャンパスでのセクハラやデートDVは決して珍しくはない。しかし、美術業界は狭く、学生時代の関係性が作家になってからも続くことがある。卒業後の創作や作家活動にも影響があることが、美術系大学におけるハラスメントの特徴ともいえる。

実際、Aさんたちにハラスメントを行っていた男子学生は今、美術業界では若手作家として台頭しつつある。彼はいま、自分がしたことをどう思っているのだろうか。ハラスメントが繰り返されていないことを祈っている。

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