昨年12月に成立した「特定秘密保護法」。国会での審議中、抗議のために靴を投げ込んだ男性が逮捕された。その刑事裁判がいま、東京地裁で進められている。これまで公判は3回開かれ、11月5日には、いよいよ被告人質問がおこなわれる予定だ。
罪名は「威力業務妨害罪」。文字通り、「威力」を用いて他人の「業務」を「妨害」する罪だ。男性は、<靴を投げて国会の審議を妨害した>として逮捕され、起訴された。84日間の勾留のあと、保釈金200万円で自由の身となった。しかし、刑事裁判の被告人という立場は変わらない。
裁判で、男性の弁護人は「靴は国会の審議をまったく妨げなかったので、威力業務妨害罪は成立しない」と主張している。はたして、その主張は認められるのか。そもそも、なぜ男性は靴を投げたのか。主任弁護人をつとめる川村理弁護士に話を聞いた。(取材・構成/具志堅浩二)
●「国会の議事の進行への影響はなかった」
――事件当時の状況を教えてください。
「12月6日の午後10時51分、Aさん(被告人男性)は参議院3階の傍聴席から本会議場に向けて、運動靴を片方ずつ投げました。これは争いようのない事実です」
――靴は、どこまで飛んだのですか?
「1つ目は、議長席と議員席の間まで飛んでいきました。投げた直後に衛視(国会の警備にあたる職員)がAさんの身柄を拘束しにきて、もう片方を投げるときには完全に制圧されました。2つ目は投げたというよりも、議員席(自民党席付近)にそのまま落ちた感じです」
――起訴理由を教えてください。
「罪名は、『威力業務妨害罪』です。起訴事実は、『被告人は12月6日に開かれた本会議の議事を妨害しようと企てて、同所において、2階議員席に向けて3階の傍聴席から運動靴一足を片方ずつ投げ入れ、同議場を一時混乱状態に陥れ、もって威力を用いて業務を妨害した』というものです」
――議事の進行に影響を与えたのでしょうか?
「いいえ。議事の進行への影響はありませんでした。靴を投げる前から、本会議場は、机を名札で叩く音が鳴り響くなど騒然としており、Aさんの投げた靴が実際に議事の妨げになるということはなかったのです」
――靴を投げたことに気付いた議員は?
「Aさんの靴が落ちた議員席の近くにいた自民党議員や事務局長、衛視は気付いていましたが、議長は知らなかったと思います。大半の議員は気付いていないのではないでしょうか。
つまり、Aさんの行為は、国会の議事、すなわち『業務』を妨害するほどのものとは評価できないのです。したがって、威力妨害罪(刑法234条)における『威力』があったとはいえないので、無罪だと考えています。
6月19日の第2回公判では、衛視や事務局長が、Aさんの行為を見ていた場所や取り押さえた際のことなどを説明しました。弁護側は、Aさんの行為が議事にどのような影響を与えたのかについて質問しました。しかし結局、明確な証言は出てきませんでした」
●なぜ国会で靴を投げたのか?
――逮捕後、Aさんは84日間、勾留されました。
「審議に何も影響も与えなかったということからすれば、不当に長いと思います」
――それにしても、Aさんはなぜ、靴を投げたんでしょうか。
「あのとき、国会の外では特定秘密保護法への反対運動が盛り上がっていましたが、国会の中では、審議が拙速、かつ、ずさんに進められていました。その状況になんとか『抗議の意思』を示したい、という思いから、Aさんは靴を投げたのです」
――しかし、靴を投げるという行為が、『抗議の意思表示』として適切だったのかは疑問です。Aさんは、当時を振り返ってどう考えているのでしょうか。
「その点は、今後の被告人質問で述べていくことになると思います。ともかく、そのとき、Aさんとしては問題を喚起したかったのです」
――勾留中におこなわれた家宅捜索では、パソコンが押収されたそうですね。
「警察の公安部としては、被告人の組織的背景や人物像を知りたかったのでしょう。何か裏があるんじゃないかとか、どこかのセクトの指示ではないかとか」
――実際、Aさんは、どこかの組織に所属しているのですか?
「いいえ、どこにも入っていません。いわば、一匹狼の人です」
――一匹狼ですか。Aさんってどんな方なんですか?
「事件当時は会社員で、関東在住の人です。政治活動歴のないごく普通の青年で、最近の日本の右傾化について、本気で心配している人ですね」
●「特定秘密保護法」の問題点を追及する裁判に
――弁護団としては、この裁判で何を求めて行く方針ですか?
「Aさんの行為が『威力業務妨害罪』にはあたらないことを訴えるとともに、靴を投げた際に審議されていた『特定秘密保護法』の問題を追及する裁判にしたいと考えています」
――意見陳述書では、特定秘密保護法が、平和主義や国民主権、基本的人権の尊重などの日本国憲法の基本原理に反しており、重大な違憲性があると主張していますね。
「他にも特定秘密保護法の問題点はいろいろあります。たとえば、改憲に向けて一つの大きな流れを作るものであること、取材の自由や知る権利を侵害するものであること、公安警察の肥大化を招きかねないこと、などが挙げられます。
また、あれだけ多くの世論が疑問に思っていたのにも関わらず、極めて少ない審理時間で可決・成立してしまった。この拙速性も問題です」
――意見陳述書では、Aさんの靴投げは「抵抗権」の行使として適法、とも主張しています。抵抗権とは、なんでしょうか?
「国家権力は、憲法を守らなければなりません。ところが、その国家権力が憲法の秩序を守らないような状態にあるとき、国民には、それを実力でただす権利がある、というのが『抵抗権』です。ですから、Aさんの行為は抵抗権の行使だ、というのが弁護側の主張です」
――抵抗権は、法律で明文化されているんでしょうか。
「日本国憲法に直接書かれているわけではありませんが、憲法学者はその権利を認めていますし、抵抗権の存在を前提にした裁判もありました。憲法学的な見地からは、確立された概念と言って良いと思います」
●ものものしい雰囲気の法廷
――この裁判は、東京地裁の429号法廷、いわゆる「警備法廷」で行われています。
「法廷の入口では、多数の職員が壁のように立ちはだかっており、傍聴者は所持品検査や金属探知機での検査を経て、ようやく法廷に入れます」
――ものものしいですね。
「法廷内でも、裁判長がほとんど傍聴席を見ているんです。普通、被告人や弁護人の発言の際はその人の方向を見るはずなのに、視線は傍聴席に向いている。傍聴者が何かしでかすのではないか、と心配をしているように見受けられました。話は聞いているようでしたが・・・」
――裁判長から退廷を命じられた人もいたそうですね。
「第1回公判では、4人退廷させられました。たとえば、裁判官が『次回は、今回と同じ429号法廷』と述べた際に、傍聴者が『もっと大きい法廷を使うべきだ』と言うと、退廷させられたりしました。何か言えば退廷、という感じですかね。第2回公判は、退廷者がゼロでしたが」
――第3回公判は、8月29日に開かれましたね。
「第3回公判では、メディア法学者の田島泰彦・上智大教授と、憲法学者の清水雅彦・日体大教授が弁護側証人として証言しました。田島教授は、特定秘密保護法の違憲性や報道の自由への影響が懸念されることを訴え、清水教授は、慎重審議を求める声を反映せず、さっさと通ってしまったこの法律の成立過程そのものに問題があることを指摘しました」
――今後の裁判の予定を教えてください。
「第4回公判は、11月5日に開かれ、被告人質問が予定されています。被告人であるAさんに対して検察側と弁護側の両方から質問がおこなわれます。また、国会で傍聴していた他の市民の方の証言をいただく予定です。このペースで進めば、来年早々には判決が出るのではないでしょうか」