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学校のいじめに通じる「日本のコロナ差別」、内藤朝雄氏が語る「人が怪物になる」とき
明治大学の内藤朝雄准教授(zoom取材のキャプチャ)

学校のいじめに通じる「日本のコロナ差別」、内藤朝雄氏が語る「人が怪物になる」とき

新型コロナウイルスの流行で、感染者やその家族などに対する差別や誹謗中傷が全国各地で起きている。例えば、以下のようなものだ。

(PCR検査で陰性なのに、退職に追い込まれる) 介護施設で看護師として働く女性は、職場で新型コロナウイルス感染の疑いをかけられた。PCR検査は陰性。医療機関から施設に「働いても問題ない」との説明があったにもかかわらず、女性は「退職勧奨通知書」に署名させられて退職した。(「『感染疑わしい人とは働けない』陰性証明の要求相次ぐ」朝日新聞 2020/5/31)

(感染した看護師の家族に対する出勤停止要請) 看護師ら4人が新型コロナウイルスに感染した医療機関では、職員の約4分の1が地域で風評被害に遭ったという。職員の家族に対する出勤停止要請がもっとも多く、「職場で保菌者扱いされ、精神的に耐えられず帰宅した」という事例も。(『 風評被害、職員4人に1人 看護師らコロナ感染の熊本地域医療センター 』熊本日日新聞 2020/8/13)

(匿名で発表された感染者を特定して罵倒) ある感染者は、居住県で感染者として匿名で発表されたあと、SNS上で中傷を受けた。ネット上以外の生活でも、自宅の留守電に感染者と家族を罵倒する言葉が吹き込まれていたり、家族が地域のスーパーや美容院から利用を遠回しに拒否されたりするなどの被害があった。(「『うちの県にコロナ持ってきた』…『感染者狩り』横行、実名特定・中傷エスカレート」ヨミドクター 2020/8/4)

感染者や、感染の疑いをかけられた人に対する差別や誹謗中傷は、なぜ起きるのだろうか。学校のいじめを手がかりにして人間の暴力性を研究している、明治大学文学部の内藤朝雄准教授は、日本社会の様々な集団に根ざした全体主義が影響しているとみている。詳しく聞いた。(武藤祐佳、新志有裕)

●学校のいじめに代表される「中間集団全体主義」の日本社会

内藤氏は日本では他の先進諸国と比べ、多くの人が「たまたま個人が接触しているグループの雰囲気やノリのようなものに対して、極度にびくびくしないといけない状態」にあると指摘する。その背景にあるものとして、中間集団全体主義を提唱している。

中間集団全体主義とは、個人が「集団や組織に全的に埋め込まれる」ことから逃れられない社会の特徴を言う(内藤朝雄『いじめの構造: なぜ人が怪物になるのか』)。「中間集団」は、国家と個人の間にある集団や団体のことを指し、会社や学校がその典型例だ。中間集団全体主義のもとでは、個人の人格や感情までもが、集団に細かく支配されるという。学校のいじめ問題を想像するとわかりやすい。

このような社会の特徴は、コロナ関連の差別や誹謗中傷とどう関連しているのだろうか。内藤氏は、まずはコロナ差別を世界中で長い歴史を通じて起きている「感染症差別の普遍的な現象」として捉える必要があると話す。

「感染症と差別に関して、人類は今の先進国の基準から見ると無茶苦茶な人権侵害であるようなことを当たり前にやってきた歴史があります。ハンセン病の患者さんは前近代社会のころからものすごい差別を受けていましたし、旧約聖書でも皮膚病が神の呪いのように描かれていたりします。

霊長類も、病気になって見た目やしぐさが変わってきた個体に対して差別のようなことをする様子が観察されています。

人類は、現在の基準から見ればきわめて残酷でしたが、千年百年単位の時間をかけて暴力を段階的に減らしてきました。先進諸国では、20世紀後半から人権感覚が急激に高まり、ひとりひとりの人間を大切にする『人権革命』ともいうべき変化が生じました(スティーブン・ピンカー『暴力の人類史』)。

いじめ、差別、児童虐待、DV、セクハラ、中小規模の暴力など、これまで当たり前で問題にならなかった残酷が、当たり前でなくなり、問題とみなされるようになりました。この流れのなかで、感染者への差別的な扱いが許されなくなりました。その流れに対して、日本の社会を位置付けることが重要です」

内藤氏は日本社会の位置付けについて、以下のようにみている。

「日本では、学校と会社での過酷な同調圧力と人格支配を介して、ほとんどすべての人に中間集団全体主義のマインドセットが深く埋め込まれたため、『人権革命』が不十分なままにとどまりました。だから外見的には先進国の一員であっても、何かのきっかけで『人が怪物になる』事態が起こりやすいのです。

昨今新型コロナ関連で起きている不当な差別、誹謗中傷、『感染者狩り』も、このような暴発の一つと考えられます。特に今回の『感染者狩り』は、関東大震災のときに朝鮮人を虐殺した自警団と、ムードが似ているかもしれないので注意が必要です」

●感染予防で物理的な距離をとることと、個人を「穢れ」として排除することは全く違う

そのような構図を理解したうえで、感染者への対応については、以下のような2つの社会的反応様式をまったく別のものとして峻別することが重要だと、内藤氏は指摘する。

1つ目は、感染予防という観点から個人として物理的な距離をとること。2つ目は、瞬時に起きる「気持ち悪い」「穢らわしい」という感情から、集団として感染者を「穢れ」として扱うことである。両者は全く異なるものであり、後者の反応をもとに集団で個人を排除することや誹謗中傷を行うことは「絶対に許してはいけない」という。

「個人として感染の危険性をどのように見積もるか、人とどの程度の距離をとるかは自由です。例えば、『私はPCR検査の精度に関してあまり信用していないし、新型コロナウイルスは人から人に非常にうつりやすいと思っています。だから、私はあなたと話すときには○メートル以上距離を取り、マスクをします。もちろん、言うまでもなく、あなたが悪いわけではありません。悪いのは新型コロナウィルスです』と言うことは問題ありません。

絶対に許してはいけないのは、集団として個人を『穢れ』として扱って、『こいつは穢れたやつだからみんなで排除しちゃえ』と罵詈雑言を浴びせることです。もし、本当に命を守りたくて、『ウイルスが悪いのであって人間は悪くない。人間を守るために距離をとらないといけない』と考えていれば、誹謗中傷などせず、相手が感染している可能性が高い方であれば、『お気の毒に』と言って、むしろ心理的距離は近づけながら、物理的距離を大きくとります。その違いが大事なんです。

感染予防の手立てとして考えられた合理的思考と、『気持ちわるい』『穢れ』といった人間に向けられた否定的感情という、2つの反応様式をきちんと分ける必要があります。

普遍的な人間の尊厳といった習慣が、この数百年ぐらいかけて欧米を中心に世界にひろがり、20世紀後半に爆発的に拡大しました。日本の場合それが弱いことが、これまでに説明した2つの反応様式を分けることの弱さにもつながってきます」

●感染リスクが高い職種の人を守り抜く方針が必要

では、本来はどのような対応をとるべきなのか。

「特に、医療従事者に対しては、消防士や警察官のように、他の職種よりも高いリスクを負って人々の命と健康を守るために必要不可欠な仕事をしているのですから、まずは敬意を払うのが当然です。

感染リスクが比較的高いと思われている職種と、比較的低いと思われている職種があることは確かです。一般的に、職務構造上、さまざまな人と密に接触せざるをえない職種は感染リスクが高いといえます。

その場合、感染リスクが高い可能性が考えられる職種の人を、排除とは逆の、手厚い保護によって守り抜くという方針が必要だと思います。感染リスクが高いと思われる病院で働く医療従事者の子どもを保育園から排除するなどということは論外です。

逆に、感染リスクが高いのではないかと思われる職種の子どもを最も優先的にあずかる、感染予防対策がしっかりした保育園を急いでつくる必要があります。病院で働く人、保育園で働く人、コンビニで働く人、配達をしている人、警察官・・・は保育園に苦労しないという『くにのかたち』をつくりましょう。そうでなければ、医療など人が生存するのに必要な職種で働く人がいなくなってしまいます。

また、感染した人を解雇するような雇い主を厳しく罰する法をつくる必要があります。不幸にも感染してしまった人には、『お気の毒に思います。給料を全額支払いますので、ゆっくり自宅療養なさってください』とねぎらうのが当然です」

●日本の中間集団全体主義を変えるきっかけに

内藤氏は、コロナ禍をきっかけに、中間集団全体主義を含む日本の社会システムを根本的に組み替えることが必要だと考えている(内藤朝雄「日本社会は『巨大な中学校』のよう…コロナ危機で克服すべき3つのこと」現代ビジネス2020/4/25)、「日本社会は変われるのか:『中間集団全体主義』という桎梏」図書新聞2020/8/8)。しかし、会社や学校の集団主義については「なるべく変わらないようにしようとする力が反作用的に働いている」とみている。

「会社では、コロナ禍の前から『みんなで集まって共同体を維持することが仕事をすることだ』と誤解している人が多く、日本の生産性の低さの一因になっていました。コロナの流行があっても、『こんなに危険でも満員電車に乗っているんですよ』ということを示す忠誠競争のために、在宅勤務もできず、危険な目に遭っている会社員たちがいます。何とかしないといけないのですが、変わろうとしているのは一部の会社だけですね。

日本の学校は、中間集団全体主義のせいで、先進国の中では『狂気の沙汰だ』『軍隊と変わらない』などと言われています。コロナをきっかけに、リモート学習など多様な学び方があってもいいという風に変わっても良かったにもかかわらず、変わらない。学校らしい学校の形をなるべく維持したいという、全体主義的な情熱を持った方々が多くいます。

先日ユニセフ(国連児童基金)は、日本の子どもの精神的幸福度は、先進38カ国中37位、つまりワースト2位であるというデータを公表しました(UNICEF, Worlds of Influence: Understanding what shapes child well-being in rich countries)。いつも他人の目を気にしていなければならない習慣をうえつけ、人間をきゅうくつで卑屈な日本人にするしくみとしての、学校教育をみなおす機会にするべきです。

この調査では、友だちを気楽につくることができるかという質問項目で、日本は40カ国中39位、つまりワースト2位でした。こころを一つにすべしと、きめ細かくベタベタさせる集団主義のしくみのなかで、子どもたちは、『友だち』がいないと悲惨な境遇になるとおびえ、必死でベタベタします。

この、無理に無理をかさねて『友だちを作為する』こわばりの結果が、ワースト2位にあらわれたのです。集団主義教育をやめると、子どもたちがバラバラになってしまうという人もいますが、逆です。日本独特の極端な集団主義教育をやめて、学校を先進諸国の普通の学校にした方が、子どもたちは、個人と個人として、気楽に『友だちになり』やすくなるのです。

コロナでひどい目に遭ったとしても、プラスに転化するきっかけにできる部分もあるはずです。それを思い切り使うべきではないでしょうか。元に戻ってしまうのは、あまりにももったいない」

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