安倍晋三元首相を銃撃し殺害したとされる山上徹也被告人について、奈良地検は3月30日、新たに5つの罪で追起訴しました。これにより、地検の捜査が終結したことになります。
しかし、安倍氏に当たった弾丸2発のうち、体内からは1発しか見つかっていないと報じられています。ネット上では向かい側のビルの屋上からスナイパーが狙撃したなどの陰謀論が流れました。
弾丸が見つからないことによって、山上被告人の裁判に影響はあるのでしょうか?
空想の話ではありますが、ほかに万が一、スナイパーがいた場合、2人の罪責はどうなるのでしょうか。元警察官僚の澤井康生弁護士が検討してみました。
●「殺害を立証するのは凶器だけではない」
一般論として殺人に使用した凶器が発見されない場合、犯罪の立証に影響を及ぼす場合があります。例えば犯人が殺害行為を否認したり完全黙秘したりした場合には、捜査機関側で犯人がいつ、どこで、どのような方法で被害者を殺害したのかを具体的に特定する必要があります。何らかの凶器を使用して殺害した事実を立証しなければならないということです。
これに対して犯人が自白しているケースの場合には犯人が特定の凶器を使用して殺害した何らかの裏付けがあれば(例えば事件直前にホームセンターで包丁を購入したレシートなど)、一応の立証はできたことになります。
本件のように凶器が銃だった場合は、弾丸が被害者の体内から発見され、犯人が所持していた銃との線条痕が一致すれば、その銃から発射された弾丸という事実が証明されるので、銃による殺害を立証できたことになります。
一方、弾丸が被害者の体を貫通するなどして発見されなかった場合、他の事実、例えばその場で犯人の発砲行為を見ていた目撃者や防犯カメラの映像、犯人自身の自白、解剖結果等により立証することとなります。
本件の場合、銃撃の瞬間を撮影した映像、その場にいた多数の目撃者の証言などから、山上被告人が複数回発砲した事実は十分に立証できますし、被告人本人も捜査段階で自白していたと思われますので、例え1発の弾丸が発見されなかったとしても、殺人罪の有罪立証には影響はないと思われます。
●スナイパー説について考えてみた
では、まことしやかに語られたスナイパー説について考えてみます。例えば殺人事件現場にAさんとBさんがいたとします。
同時に両者が意思を通じて共同して実行した場合には、「共同正犯」として2人とも殺人既遂の罪責を負います(刑法60条)。
これに対して、まったく意思の連絡なしに、たまたま同じ場所、同じ時間に発砲したような場合を「同時犯」といいます。
①どちらの弾丸が命中したのか不明の場合
まず、AさんBさんが同時に発砲し、どちらの弾丸が命中したのか判明しなかった場合、発砲行為と被害者の死亡との間の因果関係を認めることはできません。いずれも殺人既遂ではなく殺人未遂の成立にとどまります。
双方の行為と死亡結果との間を因果の糸で結びつけることができない以上、両者とも殺人未遂にとどまるということになります。
②両方の弾丸が同時に心臓に命中し、被害者を即死させた場合
この場合、「択一的競合」といって、刑法学説上争いがあります。Aさんの行為がなくてもBさんの行為によって被害者は亡くなっていたはずなので、因果関係を認めていいのかということです。
そもそも刑法上因果関係が認められるためには、「あれなくばこれなし」の条件関係が認められることが必要です。
たとえば、AさんがBさんをナイフで刺して殺害した場合、Aさんの刺殺行為がなければBさんの死亡結果は発生していませんよね。こういうのを条件関係というのですが、行為と結果との因果関係を認めるためには、この条件関係がなければならないのです。
本件にこの条件関係を当てはめると、片方の発砲行為がなくても、もう一方の発砲行為により被害者の死亡という結果が発生している以上、条件関係を否定する説もあります。この場合、両者とも殺人未遂罪になってしまいます。
これに対して、実際に被害者が死亡しているのに両者とも殺人未遂罪では常識に反するとして、殺人既遂罪を認める説があります。
判例では明確に判断した事件は見当たらないようです。ただし、仮に実際に同時犯による殺人事件が起きた場合であっても、実務上は共犯者ではない以上、別々に起訴されて別々の裁判所に係属することになります。
そして、各々の裁判の中で当該被告人の発砲行為と被害者の死亡との因果関係が個別に判断されます。そうすると発砲行為により弾丸が心臓に命中し、その結果、即死することは相当性があると判断されるので、おそらく双方とも因果関係は認められるのではないかと思われます。
AさんもBさんも殺人既遂罪の罪責を負うことになります。
●同時犯でも殺人以外は特例がある
これに対して、傷害罪の場合、それぞれの暴行行為と傷害結果との間の因果関係が不明の場合であっても因果関係を認めてもよいという特例があります。いわゆる「同時傷害の特例」といわれているものです。
2人以上で暴行を加えて人を傷害した場合に、それぞれの暴行による傷害の軽重を知ることができず、またはその傷害を生じさせた者を知ることができないときは、意思の連絡のない同時犯であっても共犯と同様に処理できるとする特例です(刑法207条)。
たとえば、意思の連絡なく2人同時に被害者に石を投げてケガをさせたケースでどちらの石が当たったのか判明しなかった場合であっても、両者とも共犯と同様に扱い、傷害罪の罪責を負わせることができるのです。
さらに暴行の結果、被害者が傷害だけではなく死亡してしまった場合、すなわち傷害致死罪となる場合でも同時傷害の特例が適用されるか問題となりますが、判例実務はこれを認めています(最高裁昭和26年9月20日判決)。
同時犯の場合、どちらが命中したか不明の場合、殺人罪では因果関係が否定されますが、傷害罪と傷害致死罪では因果関係が肯定されるということになります。