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内気な「文学少女」だった伊藤和子弁護士が「人権問題」に挑み続ける理由
国内外の人権問題に取り組む伊藤和子弁護士(2020年11月/弁護士ドットコム撮影)

内気な「文学少女」だった伊藤和子弁護士が「人権問題」に挑み続ける理由

国内外で今も続く女性や子どもの人権問題。この難問に真っ向から取り組んできたのが、伊藤和子弁護士だ。

国際人権NGO「ヒューマンライツ・ナウ」の発足に携わり、現在は理事兼事務局長をつとめる。東南アジアやイラクでの人権侵害、また国内ではAV強要問題や性暴力に関する刑法改正の問題、えん罪事件問題など、NGOとして、弁護士個人として、多岐にわたる活躍をしている。

しかし、高校時代は内気な文学少女だったという。なぜ弁護士を目指したのか。また、なぜさまざまな人権問題に取り組もうと思ったのか。その視座のありかを探る。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)

●内向的な文学少女が弁護士に

「大人しくて内向的な子どもでした。前に出るようなタイプでもなかったので、まさか弁護士になるとは自分でも思っていませんでした」と振り返る伊藤弁護士。家でピアノを弾いたり、文学作品を読んで過ごすような少女だったという。

「社会と関われる仕事をしたい」と思い始めたのは、高校生になってから。反ファシズムを掲げたフランスの作家、ロマン・ロランの作品や、同じくフランスの作家、マルタン・デュ・ガールが第一次大戦期を描いた大河小説『チボー家の人々』などを読み、戦争や人権の問題に興味を持った。

大学では文学部に入って、小説家になりたいという夢もあったが、女性が社会で活躍するためには「資格」があったほうがいいと考え、弁護士を目指そうと思ったという。

「それまでは、友だちに『弁護士になったらいいんじゃないの?』と言われて、『えっ!』と驚いたほど、自分が弁護士になる姿は、ちょっと想像がつかなかったですね。

ただ、そのころ——1980年代は社会に対して『何かおかしい』と思っても、一般の人が指摘できる機会はあまりなかったですよね。特に女性の地位は高くなかったので、第一線で活躍するのは難しい時代でした。

私も積極的に声を上げるタイプではなかったのですが、社会に対していろいろと思うことはありました。弁護士になることで、自分でも何かできることがあるんじゃないか、社会を良い方向に変えられるのではないか、と思いました」

●「法とは正義」恩師の教え

早稲田大学法学部に進学した伊藤弁護士。司法試験を受験する学生が多く在籍する法律サークルに入ったものの、技術的な勉強が中心で、興味を持てずにいたという。

「このままでいいのかな?」と迷いが生じる中、大学2年のときに将来を決定づける恩師との出会いがあった。『法とは何か』(岩波新書)で知られる法学者で、故渡辺洋三・東大名誉教授だ。

「当時、渡辺先生は東大から早稲田に教えにきてくださっていました。渡辺先生の『法とは何か』には、『法とは正義である』というところから始まって、法は技術も大事だけれども、スピリットとして正義であると書かれていました」

渡辺教授のゼミでは、水俣病の問題をはじめとする公害事件や思想差別事件など、人権侵害されている人たちのために弁護士が果たしてきた役割を学んだ。

「日本では、政府の施策や企業によって不合理な人権侵害を受けている人たちがいて、その人たちを救うために弁護士が頑張っていると。でも、まだ十分でないところもあって、問題はたくさんあると先生はおっしゃっていました。そうしたところに、インスパイアーされたことは大きかったですね」

女性に対する差別を実感したのも、大学生のころだった。

「私は司法試験を受けるために就活をしていなかったのですが、当時はバブル時代でクラスの男子にはバンバン内定が出るのに、女子には全然、就職先が決まらないことがありました。

元気が良くて、カッコよかった女の子たちが、真っ黒いスーツを着て、日に日に自信をなくしていくんですよね。それを見て、女性として生きていくことの理不尽さを感じるようになりました。

でも、一学生にはその理不尽さを社会に届けることも難しい。だったら、弁護士という法律の専門家として発言していくことによって、社会のおかしいところをおかしいと言えるようになれるといいなと、本気で考えるようになりました」

●世界中で起きている女性への暴力

当時の司法試験は合格率2%という狭き門だが、難関を突破した伊藤弁護士。司法修習中にあらためて社会を見たとき、気になったことがあった。

「当時、バブル景気がちょうど終わろうとしていて、街でたくさん見かけた外国人労働者の人たちの状況はどうなっているのだろうと…。そうしたとき、下館事件の公判を傍聴する機会がありました」

下館事件は、1991年に茨城県下館市で起きた。工場やレストランで働くと言われて来日したタイ人女性3人が、借金があると言われてスナックの客を相手に売春を強要された末、スナックを管理していた別のタイ人女性を殺害してしまった事件だった。

「驚愕しました。タイから人身取引で来日して、売春を強要され、逃げ出せなかった女性たちで、最終的に有罪判決を受けたのですが、実は、東南アジアの女性たちが騙されて日本に連れて来られ性的に搾取されているという現実を知った事件でもありました。

こんな酷いことが日本社会の中にあるのだと思い、そこから東南アジアに行ったり、勉強したりするようになりました」

折しも1995年、「世界女性会議」が北京で開催されることを知った。世界中から政府関係者や、女性の運動をリードしているNGOが一堂に会する国際会議である。このとき、「女性に対する暴力」がメインテーマの一つとして焦点が当たっていた。

「当時は弁護士になったばかりで、仕事を覚えるだけで精一杯でした。それでも、世界とつながっていたい、自分にとっての目標を高く持ちたいと思い、派遣される日弁連の代表団メンバーに『行きたいです』と手をあげました」

若手を後押しする気風もあり、代表団に加わって北京へ。そこで、「人生観が変わるほどの衝撃」を受けたという。

「下館事件ですら衝撃的でしたが、世界中、あちこちで女性が理不尽な暴力の犠牲になっていることが続々と報告されたのです。

たとえば、1990年代から始まったルワンダ内戦で行われた大虐殺(ジェノサイド)の犠牲となり、目の前で夫と子どもを殺害された挙句、自身も何度もレイプされたという女性がいらしていました。

女性は何年も絶望していましたが、ようやく生きる決意をしてこの会議で話したそうです。世界では、理不尽なことが起きていて、深刻な人権侵害にあっている人たちがいる。せっかく弁護士資格を取ったのだから、世界で苦しんでいる人のために何かできるような仕事を、いつかしてみたいとそのときに思いました」

人生は一度きり。伊藤弁護士はさらに大きな目標を目指すことになる。

伊藤和子弁護士 「ヒューマンライツ・ナウ」によるミャンマー・ヤンゴンでの活動(伊藤弁護士提供)

●国際人権NGOを立ち上げる決意

以後、伊藤弁護士は積極的に人権問題に取り組んでいった。たとえば、日本人男性によるフィリピンでの児童買春事件や、冤罪事件として知られる名張毒ぶどう酒事件、難民事件など。2000年から進められた司法制度改革の一つである、裁判員裁判の制度設計にも携わった。

気づけば、北京女性会議から10年近くが経っていた。そんなとき、伊藤弁護士は弁護士会館で「あなたも行ける米国留学」というパンフレットを手にする。

「北京女性会議のときから、世界で苦しんでいる人たちのために活動したい、そのためには留学したいと思っていました。弁護士として、仕事はどんどん忙しくなっていたのですが、このタイミングだと思い立って、留学しました」

2004年8月、日弁連推薦の客員研究員としてニューヨーク大学ロースクールに赴任した。そこは、国際人権法の最先端だった。国連の第一線で活躍している教授から実践的な議論を学んだり、世界各地から集まった若手人権活動家らと切磋琢磨する日々を送った。

「留学が終わるころ、同じくニューヨーク大学で学んでいた土井香苗さんと食事をする機会がありました。そこで初めて、やっぱり、日本にも世界的な人権問題に取り組むNGO団体を立ち上げたほうがいいという話をしました。

ニューヨーク大学のプログラムでは、参加した留学生たちが母国に帰り、自分たちの団体やプロジェクトを立ち上げることが当たり前でした。OBやOGが来ては『自分は今、どこの国で大きな変化をもたらすことができました』と発表するようなプログラムでした。

日本にはそういう土壌がまったくないので、とてもギャップを感じてもいましたが、法律家という資格があって世界の人権問題に取り組もうという思いがあるなら、『やればいいじゃない』と大学の仲間に背中を押されました」

帰国後、そうして2006年7 月に立ち上げたのが、国際人権NGO「ヒューマンライツ・ナウ」だった。なお、土井香苗氏は現在、国際人権NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の日本代表を務めている。

●人権を必要としている若者に教育活動

ヒューマンライツ・ナウは今年2021年、設立から15年を迎える。メンバーは700人を超え、アジアや中東など世界各地で活動の実績を重ねてきた。一番、印象に残っているのは、ミャンマー(ビルマ)での活動だという。

「当初、ミャンマーは軍事独裁政権でなかなか現地には行けなかったのですが、たまたま設立したころにミャンマーの人権活動家で法律家団体の事務局長をしている方が来日され、言論が弾圧されたり、多くの子どもたちが栄養失調で亡くなっている酷い状況を語ってくださいました。

何かできないかと考えて、その法律家団体と連携をして、教育支援活動を展開することになりました。日本から講師を派遣して、ビルマの少数民族の若者たちに人権について教えるプログラムを立ち上げました。

タイとミャンマーの国境近く、タイ側のメイソットという町で、難民キャンプから選抜されてきた20代のビルマの若者たちが寮生活を送りながら、人権についての知識や国際人権法などを学ぶ法律学校です。私たちは2009年から2013年までその学校運営に携わり、2014年からはミャンマー国内で教育事業を展開しています」

法律学校の卒業生たちは、弁護士になったり、NGO団体で働いたり、ミャンマーの民主化を支える人材となっているという。

伊藤弁護士は「ある意味、世界で一番、人権を必要としている人たちでした。そんな若者たちに対して、人権の大切さを伝えることができる仕事は素晴らしいなと思いました」と語る。

伊藤和子弁護士 人権教育に取り組んだタイ・メイソット(伊藤弁護士提供)

●AV強要問題から性暴力問題に

国際人権問題の活動とともに、伊藤弁護士は女性に対する暴力の問題に取り組んでいることでも知られる。一番印象に残っている活動は何だろうか。

「AV出演強要問題ですね。まず、被害者を支援している団体の人たちから依頼がきました。『契約のためにAVへの出演を強要されそうな女性たちがいる』ということに、すごくびっくりしました。

それで、制作会社に内容証明を送ったりして、出演をやめさせることができたのですが、下館事件で買春の強要されていたタイ人女性たちと変わらないことが、いまや日本人女性に起きている。大変な問題だと思いました」

ヒューマンライツ・ナウは2016年、被害実態を報告書にまとめて発表。これを契機に、政府も対策に乗り出し、警察に相談窓口ができるなど問題解決に向けた動きに結びついた。

今、伊藤弁護士が注視しているのは、性犯罪に関する刑法改正に向けた動きだ。世界で巻き起こった「#MeToo運動」やジャーナリスト・伊藤詩織さんの告発、性犯罪の裁判で無罪判決が続いたことをきっかけに始まった「フラワーデモ」など、女性たちの声がやっと、法制度の議論の場でも聞かれるようになった。

なぜ、女性たちがここまで声を上げなければならなかったのか。一つには、被害者にとって、性暴力を訴えるまでに高いハードルがいくつも課せられ、それをクリアしなければ不起訴になってしまうという刑法の問題がある(そのあたりの問題は、伊藤弁護士が2019年に上梓した『なぜ、それが無罪なのか!?』(ディスカバー携書)に詳述されている)

日本で性暴力に関する刑法が「遅れている」理由を伊藤弁護士はこう指摘する。

「私たちの性的自由は法的に軽んじられてきました。2017年にやっと110年前ぶりに性犯罪に関する刑法が改正になりましたが、女性は性暴力を受けたら『舌を噛んで死ね』と言われたような時代の価値観が、法律に根付いていました

もちろん、2017年の刑法改正は評価できます。ただ、ちょっとした不都合を取り除くところに止まり、まだまだ不十分です」

●刑法改正に向けて私たちができること

現在、法務省では、有識者を集めた「性犯罪に関する刑事法検討会」で、刑法性犯罪規定の改正の審議を進めている。取りまとめはまもなくとみまれるが、伊藤弁護士は「これからとても大事です」と話す。

「検討会には、被害者である山本潤さん(一般社団法人Spring代表)が委員として参加するなど、当時者の声に耳を傾け、良い方向に議論が進んでいました。しかし、実際の法改正を取りまとめる段階になって、検討会内部では反対意見も明らかになってきています。

たとえば、被害者や被害者を支える市民団体が求めているのが、『不同意性交罪』です。現在のように暴行や脅迫の行為がなくても、同意がないと認識された性交について処罰することができるものですが、一部の委員は反対しています。

また、現在13歳となっている性交同意年齢の引き上げや、地位関係性を利用した性犯罪規定の創設にも慎重な意見が相次いでいるそうです。

しかし、なぜ検討会が設置されたのかどんな思いで多くの人が改正を求めてきたのか、原点に立ち戻ってほしいと思います。

私たちも、検討会に参加はしていませんが、オーディエンスとしてずっと注視しているし、あなたたちが正しい判断をするよう求めている、ということを声に上げていくことが大事だと思います」

●社会を変えていくために

伊藤弁護士のフィールドは、さらに広がっている。インタビューの最後、こんなことを明かしてくれた。

「実は今年4月から、大学院の博士課程でに入り、ビジネスと人権について研究しています。

ヒューマンライツ・ナウでも、『ビジネスと人権』というプロジェクトとして、企業による人権侵害問題にずっと取り組んできました。いわゆるサプライチェーン問題と呼ばれるようなものですね。

企業が事業活動やサプライチェーンで人権侵害を起こさないよう、責任をもって防止し、軽減や救済を進めるというルール「ビジネスと人権に関する指導原則」(『ラギー原則』)が国連人権理事会で採択されました。それを、さまざまな分野に広めていきたいと思い、勉強することにしました。

たとえば、私たちが着ている服は、他の国で劣悪な環境で作られていることが少なくありません。また、国内でも技能実習生の問題があります」

伊藤和子弁護士 ユニクロの中国製造請負工場の労働環境の調査について発表する伊藤和子弁護士(提供写真)

社会に関わり、良い方向に変えていきたいという思いは、弁護士を目指したころから、まったブレていない。

「サプライチェーンをたどって海外の生産拠点で何が起きているのか明らかにして、発注している大企業自身に働きかけをすることで、現地の人たちの苦しみを解決し、世の中の流れを変えられるのではと思っています。

もっというと、残虐な戦争や内戦がなぜ後を絶たないかと言えば、資源やビジネスをめぐる争いがあり、誰かが金融機関を通じて紛争当事者に資金提供し、軍需産業が兵器を提供するからです。でも、そうした流れを変えることは可能なはずです。

世界中でさまざまな人権侵害が起きていて、なかなかすべてを1日のうちに解決することはできないわけですが、大企業だったり、銀行や投資家だったり、政治家だったり、そういったところの意識と行動を変えるように働きかけることで、大きな変化をもたらせるかもしれない。

そのためには、もっとちゃんと勉強して、仕事を続けていきたいなと思っています」

もちろん、少女のころに描いていた小説家の夢も持ち続けている。

【伊藤和子弁護士略歴】国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ理事・事務局長。1989年3月、早稲田大学法学部卒業後、1991年に司法試験最終合格。1994年4月に弁護士登録(東京弁護士会)。2004年から2005年まで、ニューヨーク大学ロースクールに客員研究員として留学。帰国後の2006年、国境を超えて世界の人権問題に取り組む日本発の国際人権NGOヒューマンライツ・ナウの発足に関わる。以後、事務局長として女性や子どもの権利保護、ビジネスと人権に関わる問題の解決に向けて活動をしている。日本弁護士連合会「両性の平等に関する委員会」「国際人権問題委員会」の委員を歴任。著書に『人権は国境を越えて』(岩波ジュニア新書)、『ファストファッションはなぜ安い?』『なぜ、それが無罪なのか⁉︎』(ディスカバー携書)など。趣味はガーデニングや旅行。

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