「世紀の大発見」「ノーベル賞級」と騒がれて、テレビや新聞で大きく取り上げられた発表会見からおよそ2年。研究不正が認定された「STAP細胞論文」の筆頭著者で、元理化学研究所研究員の小保方晴子さんの手記『あの日』が1月28日、発売される。
講談社から出版される手記は、全253ページの単行本。帯文には「真実を歪めたのは誰だ?」という言葉が書かれている。章タイトルは「ハシゴは外された」「私の心は正しくなかったのか」「業火」「閉ざされた研究者の道」などだ。
小保方さんは手記の中で、STAP細胞の研究から、論文の撤回、早稲田大学博士号の取り消しに至るまで、本人から見た事実関係や心情などをつづっている。まえがきは、次のような印象的な文章からはじまる。
「あの日に戻れるよ、と神様に言われたら、私はこれまでの人生のどの日を選ぶだろうか。一体、いつからやり直せば、この一連の騒動を起こすことがなかったのかと考えると、自分が生まれた日さえも、呪われた日のように思えます」
●「社会のバッシングに押されての結論だと思い、悲しかった」
STAP細胞の研究論文をめぐっては、2014年1月の発表後まもなくして、相次いで疑惑が浮上した。その後、調査した理研が「ねつ造」「改ざん」を認定。このときの心境について、小保方さんは「目の前が真っ暗になった」「社会のバッシングに押されての結論だと思い、悲しかった」などと記している。
一連の騒動を受けて、小保方さんは同年4月9日、代理人の弁護士に付き添われながら、大阪市内で釈明会見を開いた。詰めかけた数百人の報道陣の前で、「STAP細胞はあります」と堂々と話していたように見えたが・・・。
手記によると、当時、連日連夜のようにマスコミが自宅マンションに押しかけ、小保方さんは「恐怖と絶望」で精神状態が悪くなっていたという。会見の2日前には、入院していた病院の美容室で髪を切っていたところ、「そのまま気絶」したそうだ。
●「私は業火に焼かれ続ける無機物になった」
手記にはさらに、理化学研究所・再生科学総合研究センターの笹井芳樹副センター長が亡くなったときのことも記されている。「笹井先生がお隠れになった。8月5日の朝だった。金星が消えた。私は業火に焼かれ続ける無機物になった」
笹井副センター長は小保方さんの上司で、英科学誌「ネイチャー」に掲載されたSTAP細胞論文の共同著者の一人だった。小保方さんが「私の先生」として尊敬する人物である。当時、STAP細胞の検証実験中だった小保方さんのところには、「お前がかわりに死ぬべきだった」「よく生きていられますね」といった匿名のメールや手紙が大量に届いたそうだ。
検証実験再開後も、「熱く焼けた大きな石を呑み込み、内臓が焼け焦げているようだった」。水分以外摂取することが難しくなり、体重は30キロ台にまで落ち込んだ。「心のギプスを、何重にも巻き、カチカチに固め、気力だけで」実験参加していたという。
●出版社「STAP細胞をめぐる混乱の原因究明の上で意義がある」
手記には他にも、小保方さんが研究者を目指すきっかけとなった幼少期の友人との出会いや、米ハーバード大学への留学など、「STAP細胞」騒動以外のエピソードも書かれている。小保方さんは2014年4月の記者会見以降、公の場に姿を見せていないため、今回の手記出版は大きな注目を集めることになりそうだ。
代理人をつとめる三木秀夫弁護士は、弁護士ドットコムニュースの取材に対して、「未熟であった点の反省はしているが、ここまで社会を大きく騒がせたこの出来事に対し、このまま口をつぐみ、世間が忘れていくのを待つことは、さらなる卑怯な逃げであると思い、自分の持つ弱さや未熟さもさらけだして、この本の中に真実を書こうと決めた、ということだ」と、小保方さんが手記を書いた動機を説明した。
出版元の講談社広報室は、弁護士ドットコムニュースの取材に「当事者の見解を公表することは、STAP細胞をめぐる混乱の原因究明の上で意義があると考えています」「読者の方には、どうか虚心坦懐に読んでいただきたいと思っています」とコメントした。一方、理化学研究所は「コメントする立場にありません」と答えた。