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報道機関が「被疑者」ではなく「容疑者」を使う理由 1980年代の大転換、山田健太教授に聞く
専修大学ジャーナリズム学科の山田健太教授

報道機関が「被疑者」ではなく「容疑者」を使う理由 1980年代の大転換、山田健太教授に聞く

古いテレビドラマや推理小説などで、「●●を逮捕した」と被疑者が呼び捨てにされる場面に遭遇することがある。これは決して創作上のシーンではなく、1980年代まではごく一般的な報じられ方だったという。

現在は「容疑者」として報じられるが、この慣習が変わったのは何故だったのか。そして今後も、「容疑者」呼称は用いられ続けるのだろうか。専修大学ジャーナリズム学科の山田健太教授に聞いた。(弁護士ドットコムニュース編集部・山口紗貴子)

●「私達は決して犯人視していません」

——1980年代、「容疑者」呼称が誕生した背景について教えてください。

1980年代はワイドショーの開始や写真週刊誌の創刊などで、事件事故の報道が量的に拡大し、質的にも様々な問題が発生した時期でした。これを受け、80年代半ばから90年代にかけてはメディア側が自主規制、ある種の倫理向上のための様々な具体的施策を次々に打ち出した時期でもあったのです。

その目に見える第1弾として、1984年にNHKやフジ、産経新聞が「呼称つき」報道を開始、1989年にその他の各報道機関も一斉に呼び捨てをやめて「容疑者」呼称を始めました。インパクトもあり一定の評価もされた一つの事例ですね。

法令用語では「被疑者」であるけれども「犯人ではない」と伝えるために、わざわざ「容疑者」という用語をメディアが新しく用意して作り出しました。当時は容疑者という呼称には、「私達は決して犯人視していませんよ」「単に容疑があるだけであって、決して怪しくありませんよ」という強い思いがあった。

他にも、西日本新聞が『容疑者の言い分』というコーナーを作るなど様々な取り組みが起き、当時はなかなか興味深い時代だったと思いますね。

●ワイドショー、写真週刊誌の登場で事件事故報道が増加

——1980年代当時、メディア環境はどのような状態だったのでしょうか?

今日に至るまで、メディア批判の大きなテーマの一つが、報道に人権配慮が足りていない、との指摘です。象徴的な例が、加害者や被害者の名前や顔写真を出すのか、出さないかという問題です。

日本において、実名報道の問題を一番最初に問題提起したのは1976年、日本弁護士連合会(以下、日弁連)でした。日弁連は報告書をまとめ、『報道と人権』という書籍も刊行しましたが、その当時は社会に広がらず、法曹界だけの話題として終わってしまいます。

それが大きく変わったのが1980年代でした。なぜ突然、社会問題化したかと言えば、この時期、テレビのワイドショー番組、写真週刊誌の創刊という新しい動きが生まれ、事件事故報道が圧倒的に増えたからです。量的な拡大に伴い、質的な悪化にもつながり、メディア批判の声が上がるようになります。

それ以前は、テレビカメラは大型だったため、スタジオの外へ出ることはありませんでした。それが1980年代に小型カメラが登場したことで、記者会見や事件、事故の現場にも行けるようになります。象徴的だったのは御巣鷹山日航機墜落事故(1985年)で、事故現場からテレビクルーが生中継したのが、事件事故報道の先駆けだったとされます。

それに合わせるようにして、写真週刊誌が刊行されていきます。今も刊行が続いているのは、『FRIDAY』(講談社)や『FLASH』(光文社)ですが、ほかに『FOCUS』(新潮社)『Emma』(文藝春秋)『TOUCH』(小学館)が創刊され、これら“3FET”と呼ばれた写真週刊誌が1000万部を超える発行部数を誇っていました。

写真週刊誌の登場により、有名人のスキャンダル報道は全盛期を迎え、今の“文春砲”の何十倍、何百倍も活力がありましたね。良い面としては政治家のスキャンダルを暴くなど、最もジャーナリズムが活性化した時代であると言えるかもしれません。

ただ、スキャンダル報道の全盛ですから、報道と人権という観点では様々な問題も指摘されるようになり、メディア批判が社会問題化したのもこの時代です。

それまでは「報道の自由」「表現の自由」というのは、基本的な人権の一つであり、人権の中に報道があると考えられていた。それが初めて、人権に対峙するものとして論じられるようになり、ここから本格的なメディア批判が始まっていきます。

●「ジャーナリズムの世界には無罪推定という言葉はない」

——当時、メディアはどのように対応したのでしょうか?

主に「犯罪報道」に対しての批判が強まっていました。近代刑法の大原則は無罪推定であり、疑わしきは罰せずなのに、被疑者、被告人の人権を無視しているとの批判ですね。

ところが当時、ある大手メディアの編集局長は「無罪推定は法律の話。ジャーナリズムの世界には無罪推定という言葉はない」と真っ向から反対したんですね。要するに「悪いやつは叩け」というのがジャーナリズムの精神である、と。これは火に油で、余計にメディア批判が強まりました。

しかし1980年代半ばから約10年間は、メディアが反省をもとに、具体的な取り組みも始めていました。1989年に呼び捨てをやめて「容疑者」呼称を始めたほか、新聞が「紙面審査会」を導入したり、BPOの前身「放送と人権等権利に関する委員会機構(BRO)も1997年に発足しました。メディアスクラム対応を始めたのもこの時期です。

オウム真理教をめぐる報道や和歌山毒物カレー事件が起きるまでが、戦後メディアで最も人権に配慮した時代だったと思います。

●「個人識別情報はある一定程度、社会に共有するべき」

——過去には、事件や事故で書類送検された著名人が「稲垣メンバー」「島田司会者」「小泉タレント」などの肩書きで報じられたこともありました。今後、報道はどうあるべきなのでしょうか?

私自身は、フラットに全員実名にし、肩書きや呼称の付け方もすべて統一するのがよいと考えています。

容疑者呼称の導入当初は「犯人視はしていない」との書き手や読者の受け止め方もあったのかもしれませんが、いま現在は「容疑者」を犯人視されてしまっているのではないでしょうか。

今の報道は、バラバラですよね。例えばスポーツ面は選手を呼び捨てにしていますし、何かいいことした人は「さん」付けになります。それ以外は、社長や部長などの肩書き、容疑者という呼称もあります。それに加え、実名、匿名も混在しています。

私は「基礎的公共情報」と呼んでいますが、公共性、公益性があるような事件事故が起きた場合には、個人情報の中でも氏名、顔写真、住所という個人識別情報はある一定程度、社会に共有することによって、人が亡くなれば皆で死を悼み、問題点を解決していくべきだと考えています。

私自身が問題だと思うのは、匿名が増えていることです。刑事事件でも精神障害の疑いがあるようなケースでは匿名になっています。人権配慮ではないのに匿名になるケースもあります。他にも、政府筋、政府関係者など、情報源をぼかすという意味での「匿名」もみられます。

だからこそ読者も、本当は何が起きていて、正しいのか、わからなくなっているのではないでしょうか。日本では「取材が殺到する」「差別が生まれる」「SNSで誹謗中傷される」など、被害者匿名がスタンダードになりつつあります。ただこれは、日本独特の風習でもあります。

全員の名前を出すかわりに、肩書き、呼称は必ずつける。最小限度の基礎的な公共情報を誰もが入手し、議論できる環境を作っていく。それに付随して起きる差別、誹謗中傷の問題についてはまた別個に取り組んでいくべきでしょう。誹謗中傷は実名や肩書きの有無にかかわらず、普通起きてはいけないことですよね。それが起きないよう報じるのもメディアの役割ではないでしょうか。

ただ残念なのが、今はマスメディアが変わったところで、社会は変わりにくくなっている点です。SNSの影響が大きくなり、マスメディアの力が相対的に落ちていることも確かです。この点はなかなかつらいところですね。

【プロフィール】
山田健太・専修大学文学部ジャーナリズム学科教授(言論法)
1959年生まれ。世田谷区情報公開・個人情報保護審議会会長、日本ペンクラブ副会長、情報公開クリアリングハウス理事、放送批評懇談会理事、自由人権協会理事など。元放送倫理・番組向上機構(BPO)放送人権委員会委員。近著に『法とジャーナリズム 第4版』(勁草書房)『「くうき」が僕らを呑みこむ前に』(理論社、共著)。

この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいています。

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