前回に続き、今回も近隣紛争のケースを取り上げる。今回の紛争ケースはペットだ。統計を調査すると、犬と猫の飼育頭数は、14歳までの子どもの数を遥かに凌ぐ。理屈上は「子どもがうるさい」という住民同士のトラブルよりは、「犬や猫の鳴き声がうるさい」というトラブルの方が起きやすくなっているということだ。ペットの紛争に、法律はどのように関わってくるのか。事例を基に紹介していく。
●家族同然の3歳中型犬屋内では放し飼い
森田さん(仮名)は、東京都内にある一戸建ての自宅で、3歳になる中型犬を飼っていた。もともとおとなしい性格の人懐っこい犬だったこともあり、健康のために屋内と庭先では放し飼いにしていた。
知らない人と出くわしたり、驚いたりすると、人に向かって吠えたり、飛び掛かったりすることが何度かあった。
「念のため、首輪をつけて、つないでおいた方がいいのだろうか――」
しかし、森田家の大切な家族の一員であり、できるだけ自由に過ごしてほしいという思いもあったし、人に吠えることはたまにあったにせよ、人を傷つけるようなことは一度もなかったため、首輪を常時つけておくという判断はできなかった。
しかし、それは、あの日の事件で間違いだったと思い知らされた。
●宅配便の女性を咬み全治3ヵ月の怪我
半年ほど前の週末、森田さんが自宅のテラスの窓を開けて、庭いじりをしていた。すると、玄関先で犬の吠える声が聞こえた。そして、直後に女性の悲鳴が聞こえた。
イヤな予感がした。森田さんが玄関へ駆けつけると、興奮状態の犬が普段見せることのない形相で吠え続け、唸り声を上げていた。そして、悲鳴の主である女性は、腕から血を流して倒れこんでいたのだった。
森田さんはひとまず犬をつなぎ、女性に駆け寄った。左腕の前腕部に裂傷ができており、かなり深くえぐれていた。すぐに救急車を呼び、病院へ急いだ。
女性は宅配便の配達の方で、門を開けて玄関扉にあるインターホンを押そうとした瞬間、犬が飛びかかってきて、腕に噛み付いたという。その拍子に転倒し、衝撃で右腕が上がらなくなっていた。
病院での治療の結果、右上腕骨骨折、左前腕犬咬傷、臀部打撲で全治3ヵ月だった。2週間入院し、退院後も4ヵ月間の通院が必要だった。骨折のせいか、完治した後も、右腕が思い通りに動かないという後遺障害が残ってしまった。
●民事の損害賠償だけで1000万円を超えることも
近年、ペットを飼う家庭が増えている。ペットフード協会によると、平成23年度の全国犬・猫推計飼育頭数は2154万2000頭で、このうち犬は1193万6000頭。犬・猫の頭数は日本の0~14歳の人口1670万5000人(平成23年10月1日現在)を大きく上回る。
それと同時に、ペットをめぐる紛争、とりわけ糞尿の処理や鳴き声の苦情、今回のような犬の咬傷事故なども増えている。咬傷事故が多いのは、森田家のように犬を家族同然に扱い、敷地内では放し飼いに、散歩に出かける際も油断している家庭が多いことも関係しているのだろう。
飼い犬が人に怪我をさせた場合、飼い主には怪我をした人が被った損害を賠償しなければならない。民法718条では、「動物の占有者は、その動物が他人に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、動物の種類及び性質に従い相当の注意をもってその管理をしたときは、この限りではない。」と規定している。
つまり、飼い主には、飼い犬が人に怪我をさせたり、迷惑を及ぼしたりしないように注意すべき義務があり、人に損害を与えた場合には不法行為責任を負うことになるのだ。飼い主が責任を免れるには、飼い犬の管理について必要な注意を尽くしたことを証明しなければならないが、それは容易なことではない。
森田家の事例では、配達人が玄関扉のインターホンの呼び鈴を押すことを予見できる状況で、飼い犬が屋内とはいえ放し飼いになっていて、屋外にも容易に出ることができた状況だったわけで、飼い主は責任を免れることはできないだろう。
飼い犬の事故では、損害も大きくなることが多い。宅配便の配達の方は、怪我のあと入院をし、治療後も後遺障害が残った。具体的な損害としては、物損(破損・汚損した着衣の損害)、治療費、入院雑費、通院交通費、休業損害、入通院慰謝料、後遺障害逸失利益、後遺障害慰謝料などが発生し、収入や後遺障害の程度によっては、損害金額は1000万円を超えることもある。
実際に、森田氏の事件で、被害者を30歳兼業主婦として、試算してみよう。
<治療費> 約100万円
<休業損害> 約70万円 (入院期間100%労働能力喪失、通院期間50%喪失)
<入通院慰謝料> 約110万円
<後遺障害> 約224万円(1上肢の1関節機能の障害12級)
<逸失利益> 約809万円
<交通費> 約5万円
<物損> 約5万円
<入院雑費> 約2万1000円 (2週間)
合計 約1325万1000円
●刑事罰を科されることもある飼い主は保険加入も必要
民事の損害賠償だけに止まらないケースも考えられる。
刑事でも、重(過失)致死傷罪(刑法209条、210条、211条1項後段)に問われたりすることもある。狂犬病予防法に基づく登録を怠っていた場合や、年1回の予防接種を受けさせていなかったといった事情がある場合、刑事罰を科せられる可能性もあることを飼い主は覚えておく必要がある。
事故発生後も、飼い主には取るべき行動がある。各地域の条例では行政機関への届出が義務づけられていたり、行政から必要な措置命令、例えば施設内飼育の命令や口輪の装着命令、場合によっては殺処分などが課せられたりすることもある。
犬を飼うことは、各人の自由だ。人と共生していくためには、飼い主が飼い犬の習性、性格、特性を十分理解して、最低限他人に迷惑をかけないように、責任をもって必要なしつけや訓練をすることが必要だ。日々の生活でも、むやみに放し飼いにしない、繋留されている犬の行動範囲を制限する、引き綱の点検・調節、犬を制御できる者が引き綱を管理する、大型犬の屋外運動時には必要に応じて口輪を装着するなど、必要な措置をとることが求められる。
万一人に損害を与えた場合に備え、損害賠償責任保険に加入しておくことが、飼い主本人ばかりでなく、被害者のためにも求められていると言える。
●近隣紛争を予防には相手を思いやる心が必須
多くの近隣紛争に言えることだが、紛争に発展している事例をみると、周囲との人間関係の構築が不十分であったり、日頃のコミュニケーションが不足していたり、自分さえよければいいという自分本位の考えや、他人を思いやる気持ちが欠如していたりするケースが見られる。
「このくらいのことなら大丈夫だろう」と思うことが、他人にとって予想外に苦痛に感じることがあるということを、常に頭に入れておくことが紛争の予防になる。
紛争がこじれて裁判沙汰になると、意地と意地がぶつかり、引くに引けない関係となって消耗戦を強いられ、費用負担や時間的ロスは膨大だ。また忘れてはならないのが、裁判の結果がどうであれ、その後も近隣関係が続いていくことだ。そう考えると、問題が発生したときに、できるだけ冷静に対処していくことが何よりも大事だ。