近隣紛争は、私たちが日常的に経験する悩み事の一つだ。騒音、振動、悪臭、日照、眺望、通風、境界、隣地・道路使用、漏水、ペットの飼育、ごみ・廃棄物の処理、近隣からの監視・いじめ……。数えるときりがない。一見些細なこと。だが、問題をこじらせれば、裁判沙汰になることもある。そうなれば、近所付き合いもままならず、幸せな生活は一転してしまう。以下では、そんなトラブルを抱えないために、私たちが日ごろ気をつけるべきポイントを、代表的な事例をもとに考えてみたい。
●わんぱく男子がドタバタ。階下の老夫婦は不眠で通院
原田さん(仮名)は30代の会社員で、最近、都心から少し離れた住宅街に念願のマンションを購入した。家族は、妻と小学2年生の長男、3歳の次男の4人。間取りは3LDK、4階部分。室内は、畳部屋が一つあるほか、廊下、キッチンを含めてほとんどがフローリングだ。
長年思い描いた理想のマンション――。そんなに広くはないが、ようやく一国一城の主となった原田さんは、ますます仕事に精力的に取り組むようになった。
ところが、である。
引越しをして3ヵ月が経ったころ、原田さん宅の真下に住む老夫婦がやってきて、薮から棒にこう言った。
「朝から晩まで廊下や床をドンドンしてうるさい! なんとかしてほしい! こっちは毎日うるさくて眠れない! 頭痛もして食欲もなくなり、通院しているんだ!」
原田さん宅は、わんぱく盛りの男の子二人兄弟で、次男は朝6時には起きて騒ぎだす。長男とは、原田さんが夜に帰宅後、深夜まで一緒に遊ぶという生活が続いていた。
その上、昼間は長男の学校の友達とお母さんが来ることがあった。同年代の子どもたちが集まるとどうなるか。当然、はしゃぎ回り、大騒ぎだ。
「子どもがいるから、仕方がないのに……」
原田さんは、心のなかでそう思いつつも、「気をつけます」と言って老夫婦に引き取ってもらった。
しかし、その後も老夫婦は、「スリッパで歩く音がうるさい! 椅子を移動させる音が気になる! ドンドン飛び跳ねる音がうるさい!」と、週に1度はインターホンを鳴らして、クレームを言ってくるようなった。最近では、うるさいと言わんばかりに、階下の天井を物で突き上げるような音がすることも何度もあった。
理想のマンションを手に入れ、順風満帆だった原田家の空気は一変した。原田さんも妻も、子どもが音を立てるたびに、いつまた天井を突き上げられるかビクビクしながら生活をするようになった。次第に、騒がないよう子どもを叱りつけるようになり、毎日に大きなストレスを感じるようになっていた。
●生活トラブルで争点となる「受忍限度」とは何か
住人同士の騒音問題は、マンション居住者の大きな悩みの一つだ。前記の事例では典型的な生活音が問題となったが、このほかにピアノなどの楽器による騒音や、一部住人が昼夜を問わず大声で騒ぎ、振動を出すといった苦情も見られ、これまでに裁判で争われた事例も少なくない。
騒音の問題は、法律的には被害を受けた側が音を出す側に対し、慰謝料等の損害賠償請求や、音の発生の原因となるフローリングの撤去、防音仕様への変更などを要求するということが争われる。その際争点となるのは、「受忍限度」という考え方だ。
人は日常生活を営むうえで、他人との関係抜きには考えられない。自分にとって必要で有益だと思っていることでも、他人には迷惑と感じることは沢山あるものだ。だからこそ実社会では、お互いに相手を思いやり、尊重しあいながら、「我慢すべきところは我慢する」ことが大切だ。そうすれば住人同士の調和がはかられ、秩序が保たれる。
この「我慢すべきこと」の法律的な限界を意味するのが、「受忍限度」だ。では、受忍限度内かどうかは、どのように判断するのだろうか。
●周囲への配慮とルールの遵守が受忍限度を判断する上でのカギ
多くの裁判例では、以下のように見解を示している。
「加害行為の有用性、妨害予防の簡便性、被害の程度及びその存続期間、その他の双方の主観的及び客観的な諸般の事情に鑑み、平均人の通常の感覚ないし感受性を基準として、一定限度までの騒音被害・生活妨害は、このような集合住宅における社会生活上止むを得ないものとして受忍すべきである一方、受忍限度を超える騒音被害・生活妨害は、不法行為を構成する」(東京地裁八王子支部平成8年7月30日判決ほか)
つまり、当事者の置かれている具体的状況から、平均的な人の感覚と感受性をもとに、この程度のことなら許されるべき、と評価される範囲というものを事案ごとに判断していくということになる。
過去の裁判例を見ると、歩行音、椅子の引きずり音、掃除機の音、戸の開閉音などは避けられない生活音だとしている。また、子どもが椅子などから床に飛び降りたり、飛び跳ねたり駆けずり回ったりする音なども、長時間にわたって続くものではなく、子どもが生活する以上、不可避的に発生することとして、これらは受忍限度の範囲内と判断し、慰謝料請求を棄却した事例がある(東京地裁平成3年11月12日判決、同地裁平成6年5月9日判決)。
これらの裁判例は、いずれもフローリング床の騒音事例で、受忍限度の判断にあたり、以下の3点が重視された。
1、音の大きさ・程度、発生の不可避性
2、フローリングの有用性(ダニ発生の防止、清潔さ、掃除のしやすさ)
3、音を出す住人がテーブルの下に絨毯を敷き、音の出る子どもの遊具を制限するなどの配慮をしていた
もちろん、騒音が受忍限度外であると判断したケースもある。
マンションの既存床をフローリング床にリフォームした事例だ。この時は、以下の点で生活音でありながら受忍限度を超える騒音であると判断され、請求者二人に合計150万円の慰謝料を認めた(東京地裁八王子支部平成8年7月30日判決)。
1、フローリング床の有用性を認めつつも敷設の緊急性がなかった
2、フローリング床による階下への騒音等の影響を認識しながら管理規約に違反する形で、階下の住人や管理組合への正規の届出をせずに工事を実施した
3、遮音性能のある床材の使用にそれほど費用がかからない
4、工事の前後で防音・遮音悪化の程度が著しい
5、被害の程度が早朝から深夜にわたり多数回かつ継続的なものである
などが考慮され、生活音でありながら、受忍限度を超える騒音と認定して、請求を認めた。
また、音を出す居住者が、苦情を訴えてきた住人に対し、「うるさい」、「文句があるなら建物に言ってくれ」などと乱暴な口調で突っぱねるという不誠実な態度に出た点を考慮して、受忍限度を超えると判断し、慰謝料30万円(このほか弁護士費用相当の損害として6万円)を認めた事例(東京地裁平成19年10月3日判決)もある。
これらの事案では、事前の対策の不十分さ、共同住宅の周りへの配慮を欠いたルール違反、不誠実な態度など、音を出す側に問題となる事情があったと言える。
騒音問題は、特に当事者の感情的な対立が激しく、こじれると最後はどちらかが転居するしかない、というケースが多い。また、かつてピアノの騒音が原因で、上階の住人が階下に住む母子3人を殺害したという事件もあった。
●具体的対策をする前に相手の生活への尊重を
騒音問題は、問題が生じた初期の段階で、お互いに相手の事情に配慮し、話し合いのうえで解決をはかっていくことが何よりも重要だ。
話し合いの場として、管理組合に間に入ってもらい、マンション全体の問題として総会の場で音の問題について話し合い、ルールを定めることだ。さらに、中立的な第三者機関として、弁護士会の紛争解決センターや裁判所の民事調停などを利用することも考えられる。
話し合いでは、感情的な衝突に発展しないように、客観的な状況把握も重要だ。たとえば、以下のようなことだ。
1、住戸の音のレベルを測定する
2、騒音の原因が、コンクリートスラブの薄さにあるのか、床のフローリングの材質・施工方法に問題があるのか、音を出す側の生活スタイル・様式にあるのかなど、騒音の原因を可能な限り突き止める
3、騒音の内容と発生の原因を前提に、防音対策をする。例えば……
・音の出る箇所を絨毯敷きにする
・遮音性能のあるコルクマットを敷く
・フローリングを防音性能のあるものに変更する
・テーブルや椅子のフローリング接地面にフェルトを貼る
・押し車など騒音の発生源となる子どもの遊具の使用に気をつける
・早朝、深夜のアクティブな活動を控えるなどの生活スタイルの変更等、改善に向けて努力をしていくことを確認する
しかし、筆者はこうした対策よりも、共同生活をする際の、各人の心構えこそ重要だと考えている。騒音等に対する受け止め方は感覚や感受性に大きく左右される。それに、人が発生させる音は、気にすれば気にするほど我慢ができなくなるという性質があるのだ。このことをお互いに理解し、共同住宅で生活する者として、お互いに相手の生活環境に注意を向け、尊重していく意識をもつことがもっとも大切だ。
また、話し合いで解決していくことが双方にとってメリットがあることに目を向け、解決に向けて真摯に努力していくことだ。ご近所さん同士で、裁判を起こして、法廷で戦うことを想像してみてほしい。生活は一変し、ストレスに満ちた日常生活を強いられるだろう。それを避けるために、ぜひ他人の生活を尊重することを心に留めてほしい。
冒頭の事例では、階下の老夫婦の被害感情が強く、かなりこじれた段階でお互いに弁護士が介入したため、話し合いによる完全な解決は難しい状況であった。
最終的には原田さん宅で床のフローリングに防音マットを敷くなどして対策を講じたため、ひとまず苦情は収まったが、あのまま苦情を放置し、開き直って対策を講じないでいると、訴訟に発展した可能性はある。
次回も引き続き近隣紛争の事例を取り上げる。原因となったのはペットだ。いまやペットの数は15歳以下の子どもの数よりも多い。その意味では、今回取り上げたケースよりも、紛争に発展する確率は高いのかもしれない。