1970年代に発生した連続企業爆破事件で指名手配されていた「桐島聡」を名乗る男性が1月29日、神奈川県内の病院で死亡した。
男性については1月26日、桐島聡を名乗っているとして警視庁公安部が確保したとの第一報が大きな話題に。「内田洋(ウチダヒロシ)」の名前で数十年前から神奈川県内の工務店で住み込みで働いて現金で給料をもらっていた、病院に保険証を提示していなかったといった潜伏生活の実態が報じられ注目を集めていた。
仮に被疑者本人が死亡となれば、逃亡生活や犯行当時の状況解明は困難となり、刑事責任を問うことはできなくなるなど、その影響は大きい。
警察から指名手配される中、国内で長期間の逃亡生活を続けていたことは衝撃的だが、どうすればそのようなことが可能だったのだろうか。警察官僚出身で警視庁刑事としての経験も有する澤井康生弁護士に聞いた。
●「年齢や性別が合えば他人になりすますことも不可能ではない」
——「桐島聡」を名乗る男性が現れたとの報道について、元警察官としてどのように感じましたか。
病死する直前になって名乗り出てきました。一部では事件のことを後悔していたとも報道されていますが、本当に後悔していたのであればもっと早く名乗り出てほしかったですね。
おそらく逃亡生活が長期に及び、自分なりの生活ができてしまったのでそれを壊してまで出頭する勇気はなかったんだと思います。後悔はしているけど出頭する勇気まではないということで、長期間、惰性で潜伏生活を続けてきたのだと思います。
——偽名で生活していたようですが、そのようなことは実際に可能なのでしょうか。
偽名を用いる場合、戸籍や住民票を乗っ取る「背乗り」の手口や、他人から戸籍や住民票を数十万円で買い取る手口があります。戸籍や住民票には写真が付いていませんから、年齢や性別が合えば他人になりすますことも不可能ではありません。
今回のケースの場合、保険証や免許証も所持していなかったということですから、架空の氏名を名乗っていたものと思われます。
その場合、公的な証明書を持つことはできませんが、数十年前までは工場や工務店に勤務する際、履歴書を提出させるだけで、それ以上の厳格な身元確認はしていなかったのではないでしょうか。そのため、数十年前に雇われた工務店に長期にわたりずっと勤めることができたのではないかと思われます。
ちなみに、虚偽の氏名を記載して履歴書や雇用契約書を作成行使する行為は、たとえ自分の顔写真が貼り付けられていた場合であっても、私文書偽造罪及び同行使罪にあたります(最高裁平成11年12月20日判決)。ただし、公訴時効は5年間です。
●「首都圏は潜伏するには最適だったのかもしれない」
——国外ではなく国内、しかも事件のあった東京から近い神奈川県内に長年いたと報じられています。なぜ発見されなかったのでしょうか。
事件から約50年経過して、警察上層部も現場の若手も当時のことをリアルタイムで経験した人はいなくなりました。もちろん事件として代々引き継ぎはされているのですが、遠い昔の事件なので、どこか他人事のような感覚があったのではないでしょうか。
三菱重工爆破事件などの一連の事件は警察学校の教科書にも出てきますが、自分たちが生まれる前とか子どものころに起きた事件だと、なかなかリアリティが感じられません。
結果論になってしまいますが、地元警察がその工務店に対して、警察官が地域住民や事業所を訪問し犯罪の抑止、災害防止などの目的でおこなう「巡回連絡」(警察法2条、警察庁制定の巡回連絡実施要領)を徹底していれば、公的証明を持たない「内田洋(ウチダヒロシ)」の存在が浮上し、「桐島聡」として検挙することができたかもしれません。
——オウム真理教元信者の女性(後に無罪が確定)も、1997年以降は神奈川県川崎市のアパートに潜伏していたとされています。今回の潜伏先も神奈川県とのことですが、偶然でしょうか。それとも指名手配犯が潜伏するのに都合の良い理由などがあるのでしょうか。
本人が事件当時、学生であり、逃走を組織的に支援する人的・物的体制下になかったものと思われます。そのため、海外逃亡も困難であり、人口が多い首都圏に留まり潜伏生活を送ってきたのではないでしょうか。
神奈川県を含む首都圏は人口も多く、地方からの流入もあるので、市民の中に溶け込みやすいといえます。彼らのマニュアルでは、不審者と思われないように必要最小限の付き合いをして市民の中に溶け込むとされているようですから、首都圏は潜伏するには最適だったのかもしれません。