教員の時間外労働に残業代が支払われていないのは違法だとして、埼玉県内の市立小学校の男性教員(62)が、県に約242万円の未払い賃金などの支払いを求めた訴訟で、さいたま地裁(石垣陽介裁判長)は10月1日、請求を棄却した。
判決は付言で給特法への疑問を示しながらも、原告が労働時間と主張した業務は一部しか認めず、請求は棄却という結果になった。
この判決について、原告の男性は「残業代の支給対象になる時間外労働については、法律で厳格に定められています。しかしながら、命じることができない仕事を時間外労働で行わせています。これはどう考えても労働基準法に違反しています」と失望した。
はたして、労働問題に詳しい弁護士は、今回の判決をどう評価するのだろうか。2019年の衆議院文部科学委員会で、参考人として給特法について意見陳述もした嶋﨑量弁護士に聞いた。
●この判決の新規性は?
——今回の判決は給特法が適用される公立学校教員にも労基法32条に関する判断をしていますが、どのように受け止めていますか。
労基法32条は、使用者が法定された労働時間(休憩を除き1週40時間・1日8時間)を超えて労働させてはならないと定めた規定であり、この判決は公立学校の教員について労基法32条の解釈をしている点に新規性があります。
とはいえ、この判決は賃金請求ではなく損害賠償の判断であるのにわずかな労働時間しか認定しなかったこと、労基法32条を超える労働時間を認定しつつも労基法32条違反であるとの判断は避けたことなど、大きな問題がある判決です。
——損害賠償における判断である、というのはどういうことですか。
この裁判で原告は、労基法37条による残業代請求(主位的)と、国家賠償の損害賠償(予備的)とを請求しています。そして、主位的請求の労基法37条による残業代請求の部分については、給特法を根拠にして労働時間の認定は門前払いされ、労基法32条に関する労働時間の認定をしていません。
ですから、残念ながらこの判決によって、公立学校の教員にも直ちに残業代請求の途が開かれたとは解釈する余地はありません。今後も、是正を求める取組みが必要です。
●公立教員に時間外労働を認定する裁判例は珍しくない
——国家賠償の点では原告が主張した労基法32条に関して判断をしており、時間外労働をわずかですが認定しています。この点は、どう考えられますか。
実は、国賠損害賠償請求や公務災害の認定に関する訴訟では、これまでも公立学校教員に対して、時間外労働を認定する裁判例は珍しくありません。
むしろ、公立学校教員でも、一般の労働者と違いは無く労働時間認定をするのが通例で、行政側が自主性などを持ち出しても相手にせず、過労死ラインを超える労働時間や持ち帰り残業を認定するケースも珍しくないのです。
たとえば、福井での新任教員の長時間労働等による過労自死事件判決(国家賠償請求訴訟)でも、100時間を超える時間外労働を認定していますし(福井地裁令和元年7月10日判決)、自主性などに関する行政側の主張も排斥して結論を導いています。
というのは、公立学校教員に限らず、もともと労働時間の認定について、労基法37条の賃金請求のときは厳格だが、損害賠償・労災(公務災害)は緩やかというダブルスタンダードがありました。
●時間外労働の認定手法「大いに問題」
——ですが、今回の判決で認定された労働時間は、請求期間11カ月中で時間外労働があったと認定したのがわずか半分以下の5カ月、最大で月で15時間以下でした。
この判決は、損害賠償請求の場面であるのに、自主性があるとか明示黙示の指示を要求するなどして、賃金請求に関する訴訟のように厳格な労働時間の認定をして、わずかな時間外労働しか認定しなかった点は、大いに問題です。この点は、控訴審で克服されるべきだと思います。
さらに、ここで認定した労働時間は、他の損害賠償に関する先例と比較しても少ないのも問題です。このように時間外労働がわずかしか認定されなかった要因は、この判決に特異な、労働時間の認定手法にあると考えます。
この判決は、教員の長時間労働の法的要因である給特法の存在意義が現在も失われていないと正面から肯定するばかりか、教員の「職務と勤務態様の特殊性」(給特法1条)から教員の業務には自主的自律的な部分と指揮命令に基づく部分が渾然一体としており峻別困難で、一般の労働者とは異なり定量的な労働時間の管理になじまないとして、法令上使用者に課された労働時間把握義務に疑問を呈す考えを前提にしているのです。
●現在は使用者に厳格な労働時間把握義務が課されている
——判決は「指揮命令に基づく業務に従事した時間だけを特定して厳密に時間管理し、それに応じた給与を支給することは現行制度下では事実上不可能」などと述べていました。本当にそうなのでしょうか。
教員の長時間労働に関しては、給特法が要因となって労働時間把握が困難であることが従来から指摘されてはいました。ですが、その克服のために、法令が整備され、現在は客観的な労働時間把握が重要であることが法令上の根拠をもって徹底されています。
具体的には、文科省は、2019年1月に「公立学校の教師の勤務時間の上限に関するガイドライン」を策定し、超勤4項目以外も含めた労働時間を「在校等時間」として労働時間管理の対象とすることを明確にし、さらに、2019年12月4日の給特法改正(同法7条)で、このガイドラインの実効性を高めるため法的根拠ある「指針」へと格上げされています(2020年4月1日から適用開始)。
この上限指針では、教育職員の服務を監督する教育委員会が講ずべき措置として、 教育職員が在校している時間は、ICTの活用やタイムカード等により客観的に計測し、校外で職務に従事している時間も、できる限り客観的に計測するとしているので、現在は法令上使用者に対して、一般の労働者と変わらない、厳格な労働時間把握義務が課されているのです。
この判例は、時代に逆行してすでに実施されている労働時間管理の運用からも目を背け、給特法を持ち出して厳格な労働時間管理にすら疑問を呈した点は大きな問題であり、控訴審ではこれを克服する判断が期待されます。
●36協定の締結義務の有無という論点
——判決は教員についても労基法32条の規制が及ぶとしましたが、「仮に労基法32条の定める法定労働時間を超えていたとしても、それだけで国賠法上の違法性があるということはできない」としました。この点はどうでしょうか。
この判決は「労基法32条の定める労働時間を超えて労働させた」ことまで認定しつつも、事案を法令に当てはめる際には「原告の労働時間が32条の規制を超えているとしても」(判決45P)として、十分に認定可能な事案であっても労基法32条違反があると認定しなかった点も、不満があります。
実は、労基法32条が定める労働時間(休憩を除き1週40時間・1日8時間)を超えて労働させたからといって、違法になるわけではありません。
その事業場で使用者と過半数を代表する労働組合等との間で、36協定(労基法36条)が締結されていれば、違法とはなりません。民間企業などで1日8時間を超えて労働している労働者は沢山いますが、それらが32条違反とはいえないのはそのためです。
ですが、公立学校教員については、従来から給特法により36協定の適用は不要であるとされて、これが突破しなければならない現在の確立した実務となっています。
ですから、判決が32条違反だと認定するには、給特法の下でも36協定の締結義務の有無という論点を突破する必要があるのです。しかし、この判決は、この論点を争点としても取り上げず、何も判断をしていません。
さらにこの判決は、原告の働く学校において、36協定が締結されていないこと(実際には36協定は締結されていないでしょう)について、容易にできるはずなのに事実認定をしませんでした。この36協定未締結の事実認定がなければ、32条違反の結論を導くことはできません。
このように、この判決は、給特法の下でも36協定の締結義務があるのかという大論点の判断を避け、当該事業場が36協定未締結である事実認定もせず、32条違反に関する判断を避けているのです。
——この判決で32条違反が認定されていたら、どうなっていたのでしょうか。
もし、この判決で32条違反が認定されていたら、実務に与えた影響は絶大でした。それは、残業代が払われるか否かではなく、各事業場に36協定締義務が課されるからです。地方公務員である公立学校教員も、地方公務員法55条9項で職員団体と当局の書面協定の締結が認められており、これを用いて36協定締結を導けることになります。
もし過半数労働組合などと36協定を締結しなければ教員に残業をさせられないことになれば、職場(学校)単位で、教員が集団的に36協定を武器に業務削減に向けて労使交渉を進めていくことに繋がるのです。
●控訴審のポイントは?
——控訴審では何がポイントになるでしょうか。
原告の男性が判決を受けコメントされた「これはどう考えても労働基準法に違反しています」という言葉は、この判決の矛盾・欺瞞性の核心を的確に捉えていると思います。
給特法がおかしいのだ、と藁にもすがるような切実な思いでこの裁判を見守る教員やその家族など関係者は、全国に多数いらっしゃいます。控訴審は、ぜひ正面から原告の訴え、給特法の抱える問題点に向き合い、これを克服する画期的な判決がでることを期待しています。
そして、裁判所だけでなく、政治部門においても、現在目立った動きが見えてこない給特法改正の議論を大きく前に前進させて欲しいと思います。
2019年の給特法改正時の国会審議(2019年11月15日衆院文科委員会)で、文科大臣は答弁で「業務を縮減し、その成果を社会に示しつつ、三年後に実施予定の勤務実態調査などを踏まえながら、教師に関する労働環境について、給特法などの法制的な枠組みを含む検討を行う必要があると考え」ており「文部科学大臣として必ず行うと約束」しています。
また、2019年の給特法改正参院附帯決議では「2、3年後を目途に教育職員の勤務実態調査を行った上で、本法(引用者注:給特法)その他の関係諸法令の規定について抜本的な見直しに向けた検討を加え、その結果に基づき所要の措置を講ずること」(12項)も指摘されているのですから、改正に向けて取り組んで欲しいと思います。
●今後求められる法改正は?
——今後、どのような法改正などが必要でしょうか。
私は、公立学校教員の給特法を抜本的に改正するべきだと考えていますが、給特法が改正して残業時間に見合う残業代が払われるようになっても、それがゴールだとは考えていません。
現在の公立学校教員の長時間労働の実態を残存し、残業代が支払われるようになっても、長時間労働による教員の命や健康、家庭生活などとの両立困難(教員職場におけるジェンダー格差の要因)、人手不足・なり手不足なども相まった教育の質の低下など、教員の長時間労働に起因する多くの課題は克服されないのです。
そもそも残業代支払いの根拠である労基法37条の趣旨も、使用者に割増賃金などを支払わせる負担を課して、長時間労働の削減を促すことにあるとされています。
政治部門が、この裁判で原告が訴えた教員の長時間労働の現実に真摯に目を向けて、労基法32条・37条が適用されるような法整備をすすめるのはもちろん、業務削減など長時間労働の是正に向けた取り組みも同時に求められるのです。