全国有数の公立進学校である埼玉県立浦和高校など、一部で今も続いている新入生に対する「校歌指導」。記事になったことで、SNS上で威圧的な指導を受けた経験談を語る人が相次いだ。文筆家の西田藍さんもその一人だ。彼女は高校名を公表し当時の体験をつづっている。西田さんに話を聞いた。(ライター・渋井哲也)
●喉がおかしくなるくらい声を出すよう歌わされた
「校歌指導や応援練習が全国的に問題になってから、私も高校名を出してつぶやくようになりました。男子校やトップ校だけではないという例を出したかったんです。今のところ、反論はありませんが、擁護もありません」
そう語る西田さんの出身校は、福岡県立福岡中央高校。明治時代に高等女学校として設置された伝統校(現在は共学)で、ホームページには「文化の香り高い校風、品格に富む生徒の育成」などの言葉が掲げられている。通称は「福中」あるいは「中央」。
1991年生まれの西田さんによると、入学後、新入生に部活動などを紹介するレクリエーションのあとに威圧的な校歌指導があったという。
「校歌指導のことは知らなかったです。ほかの学校もそうですが、表に出ることがないからだと思います。『この学校に入ったのは失敗だ』と思いました。楽しさよりも、規律を叩き込まれたためです。恐怖でいっぱいでした。
ただ、福岡市の公立中学出身だったので、腰に手を当てて大声で校歌を歌うこと自体はさせられたことがありました。ほかの学校は知らないですが、公立なので、独自ではないと思います」
西田さんたち新入生たちは、時間割に沿って体育館に集まった。生徒会のメンバーから「みなさん、やってみましょう」と言われて歌いはじめるが、声が潰れるまで延々と歌わされた。
「最初は普通に歌っていました。でも、それだとダメなんです。喉がおかしくなるくらい、怒鳴るように声を出して、顔を真っ赤にするまで歌うことが正しいとされました。生徒会のメンバーが何人いたのかは覚えていません」
現在も男子校である浦和高校などでは応援団が校歌指導するが、福岡中央高校はもともと女学校で、女子生徒が多かったこともあり、応援団がなかったため、校歌指導は生徒会が担っていた。
「うちの場合は、校歌だけで、応援歌の指導はありませんでした。お腹に手を当てて、体を反らして歌ったりしました。歌う時のリズムも大切にされていました。
『もっと声を出せや』など、威圧的な言葉が中心だったので、報道にもある他校の校歌指導よりも暴力的ではなかったように思います。ただ、体育館がピリついていて、張り詰めた緊張感が恐怖を強めていたように思います。
『伝統だからやる』と言われましたが、何の目的でやるのかはまったく教えてもらえなかったんです。たしかに伝統校ではあるんですが、トップ校ではなかったので、愛校心を高めようとする雰囲気に新入生たちはみんな戸惑っていた印象です」
●「腐った魚のような目をしている」と言われた男子は中退した
西田さんの記憶では、こうした校歌指導は一度で終わらなかったという。さらに印象に残っている出来事がある。それは新入生向けの2泊3日の合宿だった。この合宿でも、体育館のような場所で校歌指導の時間があった。
「レクリエーション後の校歌指導は生徒会、つまり先輩からの指導でした。ところが、合宿では教師による指導でした。大人が『もっと口を開いて歌え』と言ってくるんです。先輩から注意されるよりも大きな恐怖を感じました。
しかも担任一人で注意するわけではありません。先生たちは、いろんな所に配置されていました。教師の集団が、新入生が歌っているかどうかをチェックし、生徒が歌わないと厳しく注意していました」
ただ、やはり、暴力的に引きずり出されることも、見せ物にされることもなかったという。この点は、他校との大きな違いかもしれない。合宿ではさらに集団行動訓練もあったという。
「合宿では、校歌指導と集団行動訓練に多くの時間が割かれていました。全体の三分の二くらいの時間だったと思います。
集団行動訓練では、縦列から横列に切り替えたりとか、点呼をとったり、行進したりとかやっていました。担当は体育の先生でした。注意され続けるので、精神的、肉体的な疲労も大きかったです。
その後は、通常のレクレーション。みんなで仲良くなるためのゲームをしたり、これからの高校生活について語ったり、保護者からの手紙を読んだりしました。
学校が保護者に書かせたものですが、『これから頑張ってね』みたいなことが書かれていて、あまりにも演出の意図が透けて見えるようで、シラけた気持ちになりました」
山中の施設に隔離されて、逃げ出すこともできない。大人になってから、企業の"ブラック合宿"に関するニュースを見て、「高校のときと似ている」と思ったという。
「合宿中のどこかのタイミングで、ある男子生徒が目つきを注意されました。みんなの前で"腐った魚のような目をしている"と言われたんです。それを聞いて私は衝撃的でした。その生徒は1年生の5月に中退しました」
一方、西田さんは顎関節症になったという。「顎がちょっと外れて、ご飯がうまく食べられなくなったんです。校歌指導との因果関係ははっきりしませんが、病院に行った記憶があります」
●同じ中学出身の友だちも「うつ病」で中退した
自由な雰囲気はなく、むしろ威圧的な空気感は、西田さんに心理的な影響を与えて、1年生の5月から不登校になった。
「課題をこなすことができなくなり、GW明けの恐怖で行けなくなりました。GW明けの朝、親の睡眠薬を飲んで倒れたんです。
また、同じ中学出身の友だちは、2年生の1学期にうつ病になって中退しました。もちろん校歌指導だけのせいじゃないと思います。
女子クラスの子で、クラス全員で弁当を食べるという決まり事があったようなので、学校自体が『均一性』を求めていたのだと思います」
ほかにも日常の生徒指導自体が厳しかったという。
「校則では、インナーの色が決められていました。制服が透けるタイプだったので、白かベージュのみです。夏にサマーセーターを着るとか、中間服にセーターを着る学校も多いじゃないですか。そういったものは禁止されてました。なので、ジャケットを着るか、着ないかだけでした。
髪型についても厳しかったです。肩につく長さだと結ばないといけません。目にかかったらピンで止めることになっていました。
許容範囲でしたが、ルールを守っていても指摘を受けることがありました。たとえばポニーテールをしていると『派手じゃないか』と言われました。校則以上の細かいルールが多かったです。
髪が黒くない人は、地毛証明書を出します。髪が黒ではないからといって、風紀を乱しているとは思えません。
私の母はPTAに入り、生活面の厳しさについて意見しました。しかし、学校側には『1年生の間が厳しいだけ』『最初は辛くてもだんだん慣れていきますから』と言われたようです」
●追い詰められて「教室から飛び降りたら…」と考えることも
不登校だった西田さんは出席数が足りなくなり、とうとう中退することになった。
「家庭が貧しかったので、『やめたらお金(学費)が無駄になる』と思って、不登校ながらも通ったんです。でも、12月には単位が足りず、進級できないことが確定したんです。がんばっても無駄だと思い、どうしても学校へ行けなくなったんです。
追い詰められて『教室から飛び降りたら…』と考えることもありました。そうすればうちの学校の変なところが変わるんじゃないかと。『この世に知らしめることができるんじゃないか』と思うくらいでした。普通に通いたかったんですが…」
なぜ、ここまで精神状態が悪化したのか。九州地方の公立私立高校でおこなわれている「朝課外」も背景にあるという。朝課外は、早朝に実施される課外授業で、西田さんの高校では午前7時30分から始まっていた。
「朝課外は休むことができないんです。そして大量の課題(宿題)があり、どの授業も予習が求められました。
特に数学は予習をしなければならず、その予習もチェックされて、予習ができていないと『怠けている』と思われます。
通常の授業の進度も早かったんです。そのため睡眠不足になり、熟睡できませんでした。過緊張がひどく、学校へ行くだけで辛かったです」
こうした高校生活だったが、あらためて校歌指導の意味はなんだったのかを聞いてみた。
「私生活を認めず、学校に『100%コミットせよ』というムードでした。つまり1日24時間、中央生であることを求められていたんです。校歌指導は"入り口"でした。私にはその覚悟がなかったので、精神的に限界を迎えたんだと思います」
●「現在、校歌指導に生徒会が関与することはありません」
福岡中央高校は取材に対して次のようにコメントした。
「校歌については教えていますが、現在、指導に生徒会が関与することはありません。(生徒会による)指導がおこなわれなくなった時期については把握していません。かつては合宿もおこなっていましたが、現在は実施していません。コロナ以降、宿泊を伴う研修をおこなっている学校は、ほとんどないのではないでしょうか」