東京・池袋で2019年4月、乗用車にはねられた母子2人が死亡した暴走事故をめぐり、遺族が運転手の飯塚幸三氏(92歳)と保険会社に対して損害賠償を求めた裁判で、約1億4000万円の支払いを命じた東京地裁の判決(10月27日)が11月13日までに確定した。
ブレーキとアクセルを踏み間違えで起こった事故が注目を集め続けた理由の1つとして、「持病のある高齢者の運転」が挙げられる。
飯塚氏は事故当時87歳で、判決でも「パーキンソン症候群に起因する運動機能障害が、アクセルからブレーキへの踏み替えなどに影響した可能性を否定しがたい」と認定された。
一般的に、高齢になるほど運動機能や認識速度などは衰え、何らかの病気を抱えることが多く、持病のない若年者にくらべて、運転技能や判断力が低い傾向にあるのは間違いない。
統計にもその傾向は表れている。警察庁の資料によると、死亡事故の人的要因比較における「操作不適」が占める割合(2022年)は、75歳未満の「13.4%」に対し、75歳以上は「30.1%」だった。特に、「ブレーキとアクセルの踏み間違い」は75歳未満だと「1.1%」にとどまるが、75歳以上だと「7.7%」と実に7倍もの割合となる。
●ネットなどで根強い「強制返納」論
高齢ドライバー対策は喫緊の課題で、各自治体や警察などで「自主返納」を推奨しているものの、車が生活に必要な地域では自主返納も簡単ではない。
そこで、ネット上でしばしば話題となるのが「強制返納」「一定年齢での免許自動取り消し」だ。高齢者の事故が発生した際にはSNSなどで「制度で一方的に免許を取り上げるべき」という声が飛び交う。
自主返納の場合、いくら家族が心配しても本人に返す意思がなければ、基本的にはどうしようもない。強制的にでも運転できる“資格”を奪って交通事故を防ぐ。これが免許を取り上げるべきという意見の趣旨だろう。
しかし、認知機能検査と高齢者講習などをパスして免許を保有しているドライバーから、一方的に取り上げることは法的に可能なのだろうか。「一定の年齢で区切って自動的に免許を取り消す制度にすることには合理性がある」という猪野亨弁護士に解説してもらった。
●制度の限界「自覚のない高齢者は返納しないまま」
高齢であるがゆえに認知機能や運動機能が衰えるのは避けられません。全ドライバーが早晩、自分自身もそうなっていくという自覚が必要です。
免許の自主返納は制度が始まってから増加傾向にありましたが、最多件数を記録した2019年(60万1022件)以降は低下し続けています。
運動機能などが衰えたことを自覚した高齢者が自主返納に応じたにすぎず、自覚のない高齢者は返納しないままです。本来、返納してほしい高齢者が返納しないという自主返納制度の限界といえるでしょう。
高齢ドライバーによる事故が起きるたびに「なぜこの年齢の人が運転免許証を保有しているのか」という当然の疑問が「自主返納に応じなければ強制返納させよ」という意見につながっていくものと思われます。
現在は、75歳以上になったら更新の際、認知機能検査と高齢者講習、運転技能検査(該当者のみ)を必要とします。
検査をパスしたドライバーから免許を強制的に取り上げる手段はありません。家族が取り上げて勝手に返納することもできません。
もし仮に家族が免許証を隠したとしても、「紛失」として再発行を受けることができます。取り上げることでトラブルになれば、家族間の負担はより一層増すばかりです。
●家族の強制取り上げ「制度として不可能ではないか」
ネットなどで話題としてあがる「強制返納制度」が、家族が判断して高齢ドライバーの免許を強制的に取り上げて返納するものだとすれば、それは制度として不可能だと考えます。
仮にこの制度を設けようとした場合、免許保有に家族の同意権を与えるようなものですが、強制返納できる要件をどのように設定するのかという問題があります。
家族の「同意権」が適正に行使されるという担保もありませんし、単に最近の運転が危なっかしいからとかいうだけでは、主観的な評価にしかなりません。
制度設計上、免許を取り上げられた側に不服申立ての権利を認めることが不可欠になるでしょうから、家族が取り上げておしまいということにはなりません。
取り上げたことで家族間の関係がこじれ、紛争に発展する可能性もあります。家族が免許返納を助言していたにもかかわらず、本人がそれに従わなかった場合、強制返納制度があったとしても、それを実行できないことが少なくないと思われます。
逆に強制返納制度が導入された結果、「家族はなぜ免許の返納させなかったんだ」というように今以上にバッシングの的になりかねません。また、家族がいない高齢ドライバーについてはそもそも問題解決になりません。
以上のように、強制返納制度の導入は現実的ではないと思われます。新たな対策として実際に考えられる制度としては、家族の申告があれば、認知機能検査などを受けることを本人に義務付けることでしょうか。
●現在の免許更新制度「甘いチェックで明らかに不十分」
むしろ問題として議論すべきは、現在の免許更新制度にあります。
75歳になる6カ月前までの更新を必要としますが、更新は3年に1度です。高齢者は日ごとに認知機能、運転機能が低下していくので、3年前の機能が維持されていない方が普通です。人によって差があるにしても、それは程度の差に過ぎません。
運転免許の実質的な意味は、自動車という危険物を扱う許可証です。したがって、どんなに運転技能があろうとも、違反行為に対しては免許の取消しや停止があり、運転技能がなければ、その性質上、許可を与えてはいけないということになります。
運転技能については、教習所の検定に合格すれば運転免許試験場の技能試験は免除されますが、実際には初心者や高齢者でなくとも不安に思う運転があることは否定できません。
免許を与える基準として運転技能のレベルをどこまで求めるかという問題ですが、現状は多少危うい運転をするようなレベルでも免許を保有できています。高いレベルの技能を求めてしまうと免許を取得できない層が出てきてしまいますが、そのような制度にはしていないということです。
逆にいえば、現状の緩い基準にさえ届かないほど技能が落ちている場合にまで免許を保有させておく合理的理由はなく、更新させてはならないことになります。しかし、高齢ドライバーの運転技能を確認する機会は限られています。
2022年5月に「運転技能検査」が導入されましたが、特定の違反(信号無視、速度超過など11種)をした75歳以上のドライバーだけを対象とするもので、運転技能検査を課されない高齢者も当然一定数いることになります。
全員の技能検査ができないことから運転技能低下の兆候として違反行為をとらえて検査を課すものですが、高齢ドライバーの運転技能をチェックする制度としては、明らかに不十分です。
たとえば、75歳を過ぎたら毎年免許の更新手続きをする、運転技能を確認するための試験も必ず課す、といったことが少なくとも必要なのではないでしょうか。その結果、水準に達しなければ、免許の更新は許可しないという形にしなければ、免許制度の実効性を確保できません。
●免許制度は「政策の問題」
免許更新できないと自動車を運転できなくなるので、特に公共交通機関がない地域では病院や買い物にも行けなくなるという議論があります。
さまざまな解釈がありえるとは思いますが、免許の取得や保有に関しては憲法上の問題は生じないと考えます。自動車を運転することは憲法上の権利ではないからです。
特定の年齢層にだけ負担を課すことが平等原則(憲法14条)に反するのではないかということはあり得ますが、少なくとも高齢化に伴い認知機能などが衰えることは否定できませんから、年齢ごとに異なる扱いをすることには合理性があり、平等原則に反するとは言えません。
ただし、高齢者であるがゆえに求められる技能水準を上げるということになると、その取扱いには高齢であること以外の理由が見出せませんから、平等原則に反するおそれはあります。
いずれにしても、免許を保有することは憲法上の権利とまではいえず、どの程度の運動機能、認知機能を持つ人に免許を持つことを許可するかという政策の問題です。
●一定年齢で免許取り消す制度は「合理性あり可能」
90歳を超えた高齢ドライバーの事故なども報じられていますが、「一定の年齢になったら自動的に免許を取り消す」という制度にすることも考えられます。たとえば85歳以上というように区切ることには合理性はあると考えます。
年齢での線引きには議論があると思いますが、高齢に伴う認知機能などの低下は個人差だけでは片付けられない領域があるはずで、「○○歳を過ぎれば、通常は運転する能力が一定程度落ちている」として、形式的に区切ってしまうことは可能だと思います。
免許を与えられた高齢者が事故を起こすという構図は、社会の問題でもあります。免許制度のあり方と公共交通機関の充実よりも車社会を優先してきたことのツケがやってきているといえます。
地方の過疎化は現在、急激に進行し、高齢化も以前とは比べものにならないくらい急速に進行しています。
以前は、80〜90歳の高齢者の運転が常態化していたわけではなく、また地方における買い物や病院も家族が対応可能な範囲で済んでいたり、公共交通機関も今よりはまだ機能していました。
しかし、最近は都市部でもバスの運転手確保ができず減便になるなど、以前のように高齢者が運転しないという前提そのものが崩れています。
今後、このままでは確実に自分で運転する高齢者層がさらに増えていくことが見込まれ、問題はさらに深刻になります。
高齢者の運転だけの問題ではありません。公共交通機関のあり方、車社会の是非も含め議論されるべきです。