「いじめ防止対策推進法」の成立から10年。文科省の調査(*)によると、2021年度のいじめの数は、小中学校、高校、特別支援学校をあわせて61万5351件で、同法の施行後、過去最多の認知件数となった。積極的にいじめを把握している傾向といえるが、一方で、学校側がなかなか認めないケースや、被害者・保護者との間でトラブルに発展するケースも少なくない。現場のいじめ対応は変わったのだろうか。(ライター・渋井哲也)
●聞き取りではなく「アンケート調査」だった
静岡県湖西市の公立中学で2019年、当時中学2年だった女子生徒が不登校になった問題で、市教委は今年5月、「いじめ重大事態の調査報告書」を公表した。「いじめがあった」という認定を受けて、教育長は6月、女子生徒の両親に謝罪した。
報告書をまとめた調査委員会は2021年4月、女子生徒の母親が教育長に申し立てたことで設置された。母親によると、それ以前も口頭で繰り返し要望していたが、設置まで2年弱もかかった。いじめは認定されたものの、詳細については報告書に記されていない。母親は「時系列」をまとめた文書も提出していたが、検討されたかどうかは不明だという。取材に応じた母親は、市教委に対する不満を口にした。
「関係した生徒に聞き取りをすると説明を受けていましたが、報告書を読むと、聞き取りではなく、アンケートでした。聞き取りの条件として、個人情報を理由に『議事録は取らない』『文字に残さない』と言われていました。結局、アンケートでは、いじめの中身が見えてきません」(母親)
中学2年だった2019年4月以降、女子生徒は欠席が続いた。報告書では「本人の欠席が『いじめ』によって蓄積されているものと疑うことについてもまた、関係教員らにおいて優に認識可能」としながらも、実際にどういうことが起きたのかはまったくわからない。
「報告書ができる前よりもむしろ精神的に参っています。市教委は何も変わっていません。教育長は私たち夫婦に謝罪をしてくれましたが、もともと教育長はこの件に直接関係ない人です。当時、関わった人たちの反応もわかりません。今は検証委員会の設置を求めています。そこで、アンケートの内容を出してもらいたいと思っています」(母親)
●10年以上経ってから「調査委」が立ち上がった
「11年前に求めていたのに、どうして今なのか、というのはありますね」
佐賀県鳥栖市の佐藤和威さん(23歳)は2012年4月から10月にかけて、通っていた公立中学の複数の同級生から繰り返し暴力を受けた。この問題の調査委が今年になってようやく設置された。
いじめ防対法施行後、和威さん側は「多額の金銭を脅し取られただけでなく、長期間にわたって極めて威力のあるエアガンをはじめ、カッター、のこぎり、包丁、殺虫剤等々を用いての、多数の生徒から集中攻撃され、激しい暴行を継続して受けました」などとして、いじめ重大事態としての調査を要望した。
しかし、鳥栖市教委は当時、調査委ではなく「いじめ問題等支援委員会」を立ち上げた。結局、裁判にまで発展したが、福岡高裁は2021年7月、いじめについて「肉体的、精神的苦痛を与える加害行為を継続的に受けた」として、加害者に賠償命令を言い渡したが、市に対する請求は棄却した。最高裁第3小法廷は2022年7月、和威さん側の上告を退けている。
この裁判のあと、市教委は、いじめ防対法に基づく重大事態と認定した。今年6月に調査委の初会合があった。調査委が立ち上がるとなったとき、和威さん側は、利害関係者を除いてほしいという意見書を提出した。しかし、当時の支援委員会のメンバーが委員に入った。
「調査委には、当時の(支援)委員の3人が入っています。1人は『学校が(いじめを)気づくのは不可能』と言っていました。そうした委員がいるので、本気で向き合ってくれている感じが今のところしません。あやふやな結果になってしまいそうで不安です。ただ、自分を取り戻したいと思っています。そのためにできることはしていきたいです」(和威さん)
●教員は「この程度なら大したことない」と思いがち
これらの事案のようにトラブルになるケースは後をたたない。法律に不備があるのだろうか。千葉大学教育学部の藤川大祐教授に聞いた。
ーーどうして学校側は「いじめと認めたくない」んでしょうか?
藤川教授:いじめを認める、特に重大事態であると認めると、その後の対応の難易度が上がることが大きな理由と思われます。
また、被害者が問題を抱えているように見えたり、あるいは被害者に問題がない場合でも、被害が軽微なのではないかと思われたりすることが多いです。単発の事例や軽口・無視など、一見些細に見えるケースが多く、教員からすれば「この程度なら大したことない」と思われがちです。
一方の被害者側も、いじめに該当する行為をしていたり、ふざけ合っていると見えたりする場合もあります。こういった状況では、学校の教員や教育委員会の職員が全力で対応することが難しいのです。
藤川大祐教授
ーー被害者やその家族との関係がこじれると、学校側は「モンスター・ペアレント」として警戒することもあるのでしょうか?
藤川教授:いじめの問題で揉めると、保護者が問題を抱えているのではないかと感じる教員が多いのだと思います。状況が改善しないために、保護者がしつこくクレームをつけるというふうに見えるわけです。学校としては「これ以上は対応できない」あるいは「説明した内容を理解してほしい」と思うようになる。そのため、学校が保護者を「モンスターペアレント」として扱うケースが出てくるのだと思います。
――学校と保護者との間だけであれば、教育委員会が仲介することもありえると思うんですが、学校側に教育委員会がついてしまった場合、余計こじれないでしょうか?
藤川教授:教育委員会と学校は、基本的には同じ立場を取ることが多く、異なる立場から指導することはあまりできないように思います。法律は、いじめを認識し、その事実関係を確認し、重大事態の要件を満たしていれば重大事態として調査することを求めていますが、被害者側と学校や教育委との対立は想定されていません。
――いじめと認めたとしても、調査委員会がなかなか設置されない場合もあります。
藤川教授:調査委の設置は大変です。問題が発生したからといって、すぐに設立されるというようにはなかなかなりません。重大事態となる可能性がある段階で準備をすべきですが、教育委は後回しにしがちです。これは教育委の体質による問題と言えます。本来は附属機関を常設して、そのメンバーによって調査委を構成することにしておけば、迅速に調査をおこなえると思います。
――常設の形にしたほうがいいということですか?
藤川教授:一長一短ありますが、いじめに関しては対応が遅いことのデメリットが大きいので、調査が迅速に開始できるほうを優先するべきだと思います。現行法でも常設の附属機関を設けることは可能ですから、教育委が努力するのであれば今の法律で十分かもしれません。しかし、逆に法を守らない教育委が増えていることを考えると、現行の法律では不十分と言わざるをえません。
――調査委が設置されたとしても、それ自体をマスコミ取材で知らされたという話を被害者側からよく聞きます。
藤川教授:文科省は重大ないじめ問題についてガイドラインを設けていますが、法的拘束力を持っていないとされており、ガイドラインを守らない教育委が少なくありません。ガイドラインで多くのことが求められていますが、重要な点については法改正をして明記すべきだと思います。
――藤川さんを含む「いじめ当事者・関係者の声に基づく法改正プロジェクト」が2021年に改正案を提言しています。
藤川教授:文科省にも改正案を提出しました。自民党の馳浩衆院議員(当時)や立憲民主党の小西洋之参院議員などにも提出し、私たちなりに議論をおこないました。しかし、馳議員の引退もあり、国会での改正の議論は進まないままです。その後、自民党のプロジェクトチームが、いじめの加害者を出席停止にするという話を始めました。その提案自体は良いのですが、それだけでは十分でありません。教育委が法を守らないことに対する対策についても検討すべきです。
――こども家庭庁には、間接的な権限ですが、いじめ調査についての勧告権があります。
藤川教授:こども家庭庁には、もうちょっとやってほしいと期待していましたが、現在のところ期待外れの感が否めません。ただ、重大事態の報告書を文科省が集めるという話が出ており、この話はこども家庭庁も絡んで進んだと聞いています。それまで国は重大事態の報告書すら集めていませんでした。年間700件ぐらいある重大事態について、国が情報を集めて、それを踏まえた形で対応していこうとするのは非常に良いことだと思います。
(*)文科省の「児童生徒の問題行動・不登校等生と指導上の諸課題に関する調査」(2021年度)
https://www.mext.go.jp/content/20221021-mxt_jidou02-100002753_1.pdf