東京都武蔵野市の松下玲子市長は11月12日、外国人と日本人を区別せずに住民投票の投票権を与える条例案を市議会に提案すると発表した。
条例案では、市内に3カ月以上住んでいる18歳以上の日本人に加え、定住外国人にも投票権を認める。産経新聞(11月11日)によると、留学生や技能実習生らも含め、日本人と同一条件で投票権を付与する条例は全国3例目。
条例案では、投票資格者総数の4分の1以上の署名があれば住民投票の実施を市長に請求でき、投票資格者数の2分の1以上の投票で成立すると市長と議会は結果を尊重するよう求める内容となっている。
●条例制定の動きに反対する市民団体も
条例に基づく住民投票は、憲法や地方自治法などの法律に基づく住民投票とは異なるため、選挙権の要件とは異なった投票資格者を定めることが可能だ。未成年者に投票権を与える条例や、永住外国人・特別永住者に限って投票権を与える条例を制定している自治体も存在する。
条例の骨子案では、外国人にも投票権を与えることについて、「国の投票制度で想定されていない部分を本市の自治のルールの中で補完するという意味合いを持つもの」であり、「外国籍市民にのみ在留期間などの要件を設けることには明確な合理性がない」としている。
市が条例制定に動く一方、条例に反対する市民団体「武蔵野市の住民投票条例を考える会」の代表者らが11月15日、市議会事務局に陳情書を提出した。投票権は「事実上の地方参政権」にあたり、憲法違反のおそれがあるため丁寧な審議が必要と訴えており、廃案や継続審議に向けた署名運動もおこなうという。
外国人と日本人を区別せずに住民投票の投票権を与えることには、本当に憲法違反のおそれがあるのだろうか。猪野亨弁護士に聞いた。
●反対意見、3つの骨子
武蔵野市の条例に対する反対意見の骨子として、主に次の3点があげられています。
(1)憲法が規定する有権者と選挙によって選ばれた首長、議会による二元構成を取っている地方自治のあり方に反するのではないか
(2)外国人が参加する住民投票の結果が国政に関する問題などに影響を与えるのは国民主権原理に反するのではないか
(3)住民投票の目的が「意見表明」にあるのであれば他のアンケートなどの方法もあり、常設の住民投票制度は必要がない
そこで今回は、(1)と(2)の憲法上の問題について検討します。
地方自治体の首長や議員の被選挙権は「日本国籍を有する者」に限定されますが、選挙権についてはこれを認めるかどうかは立法政策の問題とされています(最高裁平成7年2月28日判決の傍論)。
すなわち、外国人については投票権が憲法上保障されているわけではないが、法律等で付与すること自体は違憲ではないということです。
●「武蔵野市条例が憲法違反となる余地はない」
武蔵野市の住民投票制度の場合、投票の結果に法的な効果が生じるものではなく、住民の「意見表明」として位置づけられています。市長と議会はこれを尊重するよう求めるだけで法的な拘束力はありません。
地方選挙の場合の投票権付与以上に、その住民投票制度の有資格者の範囲をどこに求めるのかは制度目的に照らして確定していけばよく、地方自治法の趣旨からしても、外国人を有資格者に含めること自体に違憲・違法の問題が生じる余地はありません。
もっとも、「その意見表明の内容によっては国政への影響を与えるのではないか」、「それは国民主権原理に反するのではないか」ということが反対意見の中核になっていると思われます。これが外国人参政権の代替手段ではないかということです。
たとえば、沖縄県知事選挙は常に米軍基地問題が争点となり、その結果は国政にも影響を与えます。
ただ、こうした影響も事実上のものでしかありませんし(日本政府はまったく聞く耳を持ちません)、少なくとも住民投票制度は、法的拘束力のない意見表明にすぎないのですから、武蔵野市条例が憲法違反となる余地はないと考えます。
●外国人への投票権付与「地方自治の本旨に沿う」
もともと地方自治は、その地方においてはその住民の意思によってその地方の政策を決めていくことがその本旨です。地方自治体は身近な行政単位として住民の発意によって実施できるというメリットがあります。だからこそ、その地方自治体に居住している人たちが国籍を問わず等しくその利益を享受することは、むしろ地方自治の本旨に適うものです。
現在、コロナ禍で外国人居住者が減少していますが、日本政府は既に労働力の不足を補うために外国人材の受け入れを決めています。コロナ禍が収束すれば外国人居住者が増加することが想定され、同じ地域に居住する者同士として相互に理解を深めていく重要性が増しています。
住民投票に外国人が参加することは、こうした相互の理解を深めていくことにも貢献できるものです。地域に居住する外国人に住民投票の投票資格を付与することはむしろ地方自治の本旨に沿うものであると考えます。
●「投票結果の尊重に留めているのは制度の在り方として重要」
ところで、首長、議会という二元構成が憲法の保障する地方自治の本旨という反対意見についてですが、これは投票資格者に外国人を加えるかどうかという問題とはまったく次元の異なる問題です。
憲法が二元構成を取っているとはいえ、それは国が首長を任命するような明治憲法とは異なる制度とすることに制度趣旨があるのであって、住民投票制度そのものを否定しているとは解されません。拘束力ない住民投票制度は他の自治体で既に存在しています。地方自治法でも規模の小さな町村では議会を廃止して町村総会を設置できるとされています。
住民投票制度は、多様な意見表明を示す選択肢を増やすものであり、これは議会の役割を否定するものではなく、むしろ住民自治を補完するものです。
もとより、濫用的な用い方があることには留意する必要があります。
武蔵野市条例案では、住民の側からの発議を認めていますが(補完を超えるのではないかとされる中核部分です)、たとえば、外国人を排斥すべきなどという住民投票の発議はそれ自体批判されるべきものですが、そもそも投票に掛けること自体に問題があるものが発議される可能性も否定できません。
「多数の意見だから正しいものではない」というのは民主主義の考え方の基本です。住民からの発議による危険も内在しているし、二元構造はこうした住民意思が直接、流入しないという構造を持ち、そこには合理性もあります。
住民投票制度万能論には危険な側面もあり、その観点から投票結果の尊重に留めていることは制度の在り方としては大事な点でもあります。