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子どもが「妻の死の象徴」に思えた辛い日々、死別シングルファーザーの葛藤
2人の子どもと写るシングルファーザーの池上さん(本人提供)

子どもが「妻の死の象徴」に思えた辛い日々、死別シングルファーザーの葛藤

同じ「ひとり親」でも、シングルマザーに比べ、シングルファーザーは少数派だ。

厚生労働省の「平成28年度全国ひとり親世帯等調査」によると、ひとり親家庭数141.9万世帯のうち、母子世帯数は123.2万世帯、父子世帯数は18.7万世帯。ひとり親世帯の9割弱が母子世帯となっている。

父子世帯がひとり親世帯になった理由として、同調査では離婚が75.6%、死別が19.0%となっており、配偶者と死別したシングルファーザーは特に少ない。

妻を亡くし2児のシングルファーザーである池上康夫さん(40・仮名)は、「同じような境遇の方と交流したいと思っても、なかなかそういう機会が見つからない。社会的に孤立している感じがした」と話す。

死別の場合、病気や事故で突然の別れとなり、子育て以前に親本人のケアが必要なことも少なくない。「妻を亡くして2年弱経ち、なんとか精神的にも対処できるようになってきた」という池上さんに、今に至るまでの思いを聞いた。(編集部・若柳拓志)

●「羊水塞栓症」で突然の別れに

息子の出産前にとったマタニティフォト 息子の出産前にとったマタニティフォト

2019年11月に妻を亡くした池上さんは、現在6歳の娘と1歳10カ月の息子をもつ2児のシングルファーザーだ。

妻は、息子の出産時に、羊水が母体血中へ流入することにより生じる「羊水塞栓症」となり、37歳の若さで帰らぬ人となった。

「息子は無事生まれましたが、妻は出産当日に心肺停止状態になってしまい、1日足らずで亡くなりました」

妻に持病はなく、妊娠中も母子ともに健康状態に問題はなかった。まったくの予期せぬ別れだったこともあり、忌引き休暇が明けたあとの仕事も「当然できる状態ではなかった」ほど、つらい思いをした。

会社に出勤しても、しばしば健康管理室で休んだりしていた。会社には育休制度が整っているが、男性が育休を取りやすい雰囲気はあまりなく、昇進の話が出ていたこともあり、今後のキャリアや稼がなければいけないという思いから取得しなかった。

このままの状態ではまずいと思い、同じ境遇の人やその集まりを探して話したり、心療内科でカウンセリングを受け、薬を服用するなど、「やれることは色々やってみた」。

「1日の中でも気持ちの波があって、色々思い出してしまい、寝られないことも少なくありません。特に最初の3カ月は、睡眠薬を飲まないと寝られない状態でした」

●実家の母親がサポート「なければ仕事続けるのは難しかった」

自分のことで手一杯な状態でも、待ってくれないのが「子育て」だ。妻の死で、生後間もない乳児を含む2児の子育てを一人で背負うことになった池上さんだが、当然仕事も続けなければならない。

妻の生前から子育てには積極的だったが、実家から母親に来てもらい、一緒に住んで子どもの世話などをサポートしてもらっている。

また、息子が産まれた直後は特に大変だったため、産後ケア専門のベビーシッターに4カ月間、住み込みで子どものケアもしてもらった。200万円ほどの経済的な負担はかなり痛手だったが、池上さん自身の精神的な回復に集中した方が良いとも考えた末の選択だった。

これらサポートがなければ、正社員として働いてきたこれまでの仕事を続けることは厳しかった。

「母も、私だけで子育てをするのは無理だろうなと感じたのだろうと思います。複雑な思いはありましたが、息子と妻の死が連動してしまい、息子を見ると悲しみに飲み込まれるような怖さもありました。

妻が亡くなってもうすぐ2年ですが、ずっと一緒に住んで助けてくれている母と、それを許してくれている父には感謝しかありません。

コロナ禍で在宅勤務が増えましたが、それまでは週5通勤でしたし、今も週2回くらい出社しています。母親が来てくれなければ、今のようなフルタイムの仕事を続けることは難しかっただろうと思います」

ひとり親は家計を自分一人で支えなければならないが、子育ての負担などで、ひとり親になる前からの働き方を続けられなくなる人は少なくない。

保育園に預けていても、体調を崩せば自分が迎えに行くしかなく、体調不良が長引けば、仕事を休まざるを得ない。週5日、朝から8時間という働き方が難しくなり、比較的時間の融通が効く非正規雇用を選ぶケースは決して珍しくない。

また、池上さんのように仕事を変えずに済んだとしても、いつ病気や事故などで働けなくなるとも限らない。たとえ現在の収入が安定していたとしても、将来的な不安は常につきまとう。

●孤立感おぼえつつも「自分が稼がないと…」

会社で管理職の立場にある池上さんは、複数の部下を管理・指導する立場にあるが、自分自身もケアを必要としている状況で、仕事を続けることはとてもしんどかった。

「会社で働くこと自体が辛かったです。職場に理解者が誰もいない感覚というか……。

妻の死からしばらく経つと、周りはいつも通りという感じで。それが悪いとかではもちろんありませんが、自分の気持ちと職場の雰囲気とのギャップをすごく感じて、仮面をかぶって仕事をしないといけないような孤立感を覚えました。

とはいえ、職場に死別を経験した人がいなかったので、私のことを『理解できない』『理解しようもない』のは仕方ないことかもしれません。

私も経験して初めて、『死別はこんなにも辛いものなのか』ということを知りました。今もし職場で同じような境遇の方がいれば、真っ先に寄り添いたいと思っています」

気持ちの整理がつくまで仕事から離れることも考えたが、そうはしなかった。自分が稼がないと家族を養えないという気持ちがあったからだ。共働きをしていた妻が亡くなった際、池上さんが遺族年金を受けとれなかったということもある。

遺族年金は、死亡した人によって「生計を維持されていた」ことが受給要件となる。具体的には、妻死亡の場合、夫の年収が850万円未満であれば要件を満たせるが、池上さんの場合、年収が850万円以上だったため受給できなかった。

「受給できないとわかった際には、自分が稼がないといけないというプレッシャーをより強く感じましたね。また、配偶者を亡くしたことを契機に、仕事を続けられないケースもあると思いますので、経済的な支援という点でも広くサポートしてもらいたいです」

●「息子が妻の死の象徴のように思えた時期もあった」

妻と知り合って13年、結婚してから8年。突然の別れについて、池上さんは当初「今までずっとあったものがなくなってしまったような、身体の半分がなくなってしまったような、そんな感覚だった」という。

今はカウンセリングに通う間隔も伸び、薬の服用を終える日が近づいている。徐々に自分の中の悲しみに対処できるようになってきている自覚もある。

結果として妻を亡くすこととなった出産でうまれた息子に対して、憎しみなどの感情は当初からまったくなかったが、息子と接している際、思わず妻の死を連想してしまうことはあった。

「妻の死の象徴のように思えた時期もありましたが、それでも時が経つにつれ、妻が命がけで残してくれた生命なんだという気持ちになり、息子と接しているときの辛さも徐々になくなってきたかなという感じです」

今でも孤立を感じないわけではない。子どもを公園に連れて行ったとき、両親そろって遊んでいる子連れを見たり、保育園の行事に参加している父母を見ると、「なんでウチだけが……」という気持ちになることはある。

●孤立感をやわらげる「同じ境遇の人たちとの交流」

子どもたちと一緒に写る池上さん 子どもたちと一緒に写る池上さん

そんな池上さんが助けられたのは、同じように配偶者を亡くした人との交流だ。同世代で似たような境遇の人たちとお互いのことを話すことで、孤立感がやわらいだ。コロナ禍でもビデオ通話などでの集まりに参加している。

もっとも、そういった交流の場にたどり着けたのは、自分でグループを探すなど積極的に動いたからだ。公的な支援やサポートを受けたわけではない。

「保育園では親身に対応してもらえましたが、死別したシングルファーザーを支援する枠組みや行政サービスは充実しているとはいいがたいですし、実際私も特にサポートを受けませんでした。

お互い支えあうような地域のコミュニティの規模が小さくなり、頼れる人が少ない方も多くなっているのではないかと思うので、死別したシングルファーザーのケアというのは、社会的にも必要なのかなというのは感じます。支援団体の紹介を自治体でやってもらえるだけでも全然違うと思います。

個人が感じるストレスの中で、配偶者の死によって受けるストレスがもっとも強いといわれています。人生100年時代、シングルファーザーにかかわらず、そのケア体制を十分に整えることは重要な課題だと感じています」

池上さんにとって、子どもの存在が心の拠り所であり、子どもの成長が日々の活力だ。娘が成長すれば、男親としてどう接すればいいのか悩む日が来る。そのときにも「相談できる人や場所があればいいな」と思っている。

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