「ここは刑務所よりひどい」
司法修習生だった有園洋一さんが、東日本入国管理センター(茨城県牛久市)で面会した外国人男性はそう漏らした。
男性は刑事裁判で、未決勾留日数の算入によって、そのまま釈放されるはずだった。しかし、在留資格を失っていたため、待ち構えていた入管職員に連れていかれ、収容された。
有園さんはその後、収容されていたカメルーン人男性が「I'm dying」と訴えながら亡くなった事件のことも知った。
「一国家が他の国の人を閉じ込めて、こんなことをやっているのか。行政の闇を見た気がしました」
知ってしまった以上、看過できない。
弁護士になった有園さんは、難民・外国人事件をライフワークの一つに据えた。自身で事件を受任するだけでなく、絶対的に不足している「受任する弁護士」を増やす取り組みにも力を入れている。
もう一つ、注力するのが子どもの権利に関する事件だ。一見すると異なる二つの分野だが、有園さんの中で共通するものがあるという。
「司法アクセスに最も遠い人たちに手を伸ばしたいんです」
そう話す有園さんはなぜ弁護士になり、難民や子どもたちに向き合うようになったのか。その歩みを聞いた。(取材・文/塚田恭子)
●裁判官を目指すも司法試験に苦戦、フォトグラファーの道へ
前職を聞いて驚いた。弁護士になる以前、有園さんはフォトグラファーだったという。
「大学時代、裁判官を目指していました。でも、なかなか司法試験に受からなかったんです。
これからどうしようかと考えたとき、法律とは全然関係のない仕事をしようと思いました。もともとメカ好きで、壊れたクラシックカメラを直して撮影するのが趣味だったので、大学の先輩のつてをたどって撮影のアシスタントをさせてもらいました」
現場で撮影技術を学び、やがて独立。5〜6年ほどフォトグラファーとして働いた。
そんな有園さんを再び法律の世界へ向かわせたのは、仕事で経験した支払い遅延などの問題だった。
「ずっと未払いの撮影報酬について『弁護士に相談した』というだけで、何度言ってもお金を払ってくれない相手の態度が一転するんです。仕事上、弱い立場を経験したことや相手の様子を見て、人の暮らしと法律は切っても切れないと感じました。
それに100キロ近い機材を運ぶなど、フォトグラファーは体力勝負の仕事です。おじいちゃんになってもこの働き方を続けられるか。デジタル化の波も押し寄せていた中、将来を考え、司法試験に再挑戦しました」
●両親はともに家裁調査官、「人生は法律によって変わる」
有園さんにとって、法律の世界は幼い頃から身近なものだった。
両親はともに家庭裁判所の調査官。家事事件や少年事件で当事者や関係者から話を聞くなど調査をおこない、裁判官の判断材料となる調査報告書を作成することが主な仕事だ。
「守秘義務があるのでもちろん具体的なことは口にしないものの、両親のやりとりを近くで聞き、家庭の在り方や一人ひとりの人生は法律によって変わり得ることを、幼い頃から感じていました。
子どもの頃、夏休みに忙しい両親に代わってお休みの裁判官に遊んでもらうなど、世間が抱くイメージとは違う、法服をまとわない彼らの姿を見ていたことも、裁判官を目指したことにつながっているかもしれません」
●合格までの道のりは平坦ではなかった
ロースクールに進み、司法試験に再挑戦した。ただ、合格までの道のりは平坦ではなかった。
「いろいろ事情があって、一回目で合格しなければ諦めるつもりでした。ただ、1回目は本当にわずかに点が足りずに合格を逃したので、諦めがつかなかったんです。
二度目の挑戦時は、無理を重ねて身体を壊してしまい、受験はしたものの、試験中のことを何も覚えていない状況でした。ただ、このときも僅差で合格点に達しなかったので、あんな体調でこの結果なら、気負わずにやればいいだろう、と(笑)。
三度目、就職活動もしつつ受験して合格したときは安心したし、私の事情を知っていた周囲もすごく喜んでくれました」
●「ここは刑務所よりひどい」修習中に見た入管の現実
司法修習では、自ら希望して、少年事件や刑事事件に強い法律事務所へ行った。その事務所が外国人事件を扱っていたことが、その後の弁護士人生を左右した。
「指導担当の先生が、2014年に牛久の収容施設内で亡くなった『カメルーン男性死亡事件』訴訟の弁護団のメンバーだったので、水戸裁判所に連れていってもらいました」
さらに、被告人勾留中に在留資格を失った外国人男性の事件にも関わった。
「未決勾留日数の算入により、日本人であれば家に帰れる判決が出たのに、その男性は、傍聴席で待っていた入管職員にそのまま連れていかれました。後日、男性に面会すると、彼はげっそりした表情で『ここは刑務所よりひどい』と言うんです。
一度、在留資格を失えば、日本に妻子がいても、家に帰れるという判決が出ても収容される。仮放免を申請しても、なかなか外に出られない。身体の自由を奪われ、手続き上の保障も十分にされず、職員に暴言を浴びせられることもある。
こうしたことがさして疑問視されないのは、外国人に対する差別意識が根底にあって、日本人と同じ『人』として向き合っていないからでしょう。
不当な判決の根拠とされることもあり、論理的に間違っているマクリーン判決を変える機会を得るために、外国人問題に取り組むと決めました」
●「割に合わない」難民事件を担う弁護士の少なさ
だが、入管・難民事件を扱う弁護士は圧倒的に少ない。
国を相手にし、言語の壁があるうえ、難民事件の場合、出身国の政治・社会情勢なども調べなければならない。時間と労力がかかる一方、十分な報酬を得ることも難しい。
「難しい案件ほど時間も労力もかかるのに、日弁連からの援助が少ないこともあり、なかなか担い手がいません。この状況を少しずつでも変えていこうと、今は日本難民支援協会(JAR)さんと一緒に、受任者の開拓に力を入れています」
2024年2月、JARと関東弁護士会連合会の連携により、JARの事務所は法テラスの指定相談所に登録された。
現在、年3回実施している難民申請者向けの無料法律相談会では、難民事件の経験がない弁護士と、経験のある弁護士がペアで受任する仕組みを取り入れている。事件を担当する弁護士を増やしながら、必要な知識やノウハウを共有する狙いだという。
「海外の弁護士資格を目指すため、要件となっている一定時間のプロボノ活動として参加する人たちもいます。彼らの中にはネイティブレベルの英語を話す人も少なくないので、英語話者に微妙なニュアンスも伝えてもらえます。
出身国情報などをリサーチする際の方法や発想、使用ツールなどは人それぞれ違います。複数の視点やアプローチで調査にあたることは、私にとっても学びが多く、難民性を証明する上での客観性の担保にもつながると思います」
●少年事件、最初の接見で「事件のことを聞かない」
もう一つ、有園さんが注力しているのが、子どもの権利に関する事件だ。虐待、いじめ、学校トラブルや福祉問題のほか、少年事件にも積極的に関わっている。
「少年事件は環境に因るところが大きいです。彼らなりの理由もあるのに、初対面の接見でいきなり『なぜこんなことをしたのか』と問い詰めたら、取り調べと変わりません」
だから最初の接見では、事件について何も聞かないこともある。
「どうせ他の大人と同じだろうと、最初は不審の目を向ける少年も、時間をかけて身の上話を聞き、何度か足を運んでいると、事件について少しずつ話し出してくれるので、まずは少年の言葉に耳を傾けます。少年事件についていえば、子ども本人にだけ責任を負わせるような見方はそもそも間違いだと、心の底からそう思っています」
難民・外国人事件と子どもの権利に関する事件。一見、異なる二つの分野に力を注ぐ理由は、共通している。
「彼らは司法アクセスに最も遠い人たちだからです」
弁護士の仕事は基本、相談や依頼を受けるところから始まる。困っている人を見つけ、こちらから助けに行ける仕事ではない。だが、外国人や子どもの場合、言語や環境のため、助けを求めること自体が難しいことも多い。
「だからこそ、たとえ氷山の一角でも、弁護士にたどり着けた人、助けを求めてきた子には、こちらからも手を伸ばしたいです」
●「ようやく、これからのことを考えられます」
難民事件を引き受けるプレッシャーは小さくない。
依頼者の人生を左右する可能性がある一方、努力したからといって、望む結果が得られるとは限らない。
「依頼者が背負った重いものを一時的に預かることのプレッシャーや、なかなか結果が出ないことに無力さを感じることもあります。
でも、厳しい闘いを共にした依頼者が納得できる結果にたどり着いたときは、何ものにも代えがたい歓びがあります」
いつ強制送還されるかわからない。そんな状況下にいる難民申請者には、仕事や家族、数年後の暮らしといった「将来」を思い描くことも難しい。
「『ようやく安心して将来のことが考えられます。新しい人生と生きる場所を与えてくれてありがとう』。難民認定された方のこうした言葉に、こちらの方が勇気づけられています」
【プロフィール】ありぞの・よういち/福岡県北九州市出身。明治大学法学部、法政大学大学院法務研究科修了。2019年弁護士登録。都内の法律事務所で勤務後、2022年独立。2026年、弁護士法人Mamol総合法律事務所を開設。東京弁護士会外国人の権利に関する委員会副委員長、同子どもの人権と少年法に関する特別委員会委員、関東弁護士会連合会外国人の人権救済委員会難民PT座長、日本弁護士連合会人権擁護委員会委員、RHEP難民教育推進協会監事などをつとめる。これまで10人以上の申請者を難民認定に導いている。