自主帰国する意思を伝え、必要書類まで集めていた。それでも入管に収容された。
スリランカ出身のナヴィーンさんは帰国の準備を進めていた7月14日、東京出入国在留管理局(東京入管)で突然収容された。
出入国在留管理庁は7月31日、第2次出入国在留管理基本計画を公表し、在留資格のない外国人について、自発的な出国を促す取り組みを進める方針を示した。
基本計画が公表される2週間以上前、自主帰国を申し出ていたナヴィーンさんは収容された。なぜだったのか。
非正規滞在とされている外国人の中には、難民申請が認められなかったなどの理由で、仮放免(入管施設に収容せず、社会での生活を認める措置)の状態で暮らしている人もいる。
ナヴィーンさんもその一人だ。(碓氷連太郎)
●学費を持ち逃げされてオーバーステイに
ナヴィーンさんは2004年ごろ、二大政党制だったスリランカで、父親とともに政治活動を始めた。
ところが、対立政党関係者から迫害を受けるようになり、身の危険を感じて2004年、留学ビザで来日した。
日本語学校に通おうと学費を振り込んだものの、突然経営母体が変わり日本語学校ではなくなってしまった。返金を求めたがお金は返ってこず相談先も見つからないまま、2005年12月以降は在留資格を失い、オーバーステイの状態となった。
その後、日本人で当時シングルマザーだったなおみさんと出会い、約10年の交際を経て2016年に結婚した。
一方、スリランカに残った父親は、敵対勢力から受けた暴行の後遺症で亡くなったという。
ナヴィーンさんは2013年に難民申請をしたが認められず、2017年の再申請も不認定となった。
2022年には、不認定処分の取り消しと在留特別許可の義務付けを求めて国を提訴したものの、2025年12月に請求棄却の最高裁判決が下された。
その後も仮放免状態で入管へ出頭していたが、2026年に入ると仮放免が約1カ月ごとの更新となり、毎月出頭しなければならなくなった。
●「1年後に日本に戻るため」自主帰国を決断
2024年にスリランカでは政権交代があった。しかし、実家が営んでいた修理工場はすでに他人の手に渡り、かつて敵対していた勢力も国内に残っていることから、ナヴィーンさんは「安全が確保されたわけではない」と話す。
それでも自主的に出国するのであれば、1年後には再入国できる可能性がある。一方、強制退去となれば原則5年間は再入国できない。
家族と日本で暮らしたい──。そんなささやかな願いを叶えるために、やむなく自主帰国することを選んだ。
2026年6月、担当弁護士とともに東京入管を訪れ、自主帰国する意思を職員に伝えたという。すると職員から、自主的な出国に必要な書類リスト(黄色い用紙)が手渡され、「次に来るときに持ってきてください」と説明を受けた。
ナヴィーンさんは市役所などを回って必要書類を集め、次の出頭日である7月14日に持参した。ところが、待っていたのは思いもよらない展開だった。
●「帰るって言ったの?」担当者は把握していなかった
ナヴィーンさんは、いつもと同じように面談室(インタビュー室)に入った。
そこで、「仮放免の更新が認められませんでした」と告げられた。
さらに、監理措置の対象となるか、それとも収容されるかの判断を待つよう求められ、最終的に「監理措置も認められなかったので、今日はここで泊まるしかありません」と伝えられたという。
ナヴィーンさんは当時の状況をこう振り返る。
「いつもと同じような感じでインタビュー室に入ったら、そのときの職員が『ナヴィーンさんの仮放免希望が不許可になっていますよ』と言ったんです。
『仮放免担当からも話があるから』というので待っていたら、『仮放免が不許可になったので、今日から半年以内に裁判ができます』と言われたんです。
でも別の方も来て、ナヴィーンさんの体調が悪いから監理措置にして外で生活できるようにするのか、それとも収容するかの結果がわかるまで待ってくださいと言われて。
それで待っていたら『監理措置も認められなかったから、今日はここに泊まるしかありません』と言われたんです」
自主帰国の準備を進めていたと説明すると、担当職員から「帰るって言ったの?いつそんな話になったの?」「書類はすべて持っていますか」などと聞かれたそうだ。
●必要な薬が、「見逃し」で処方されなかった
ナヴィーンさんは以前から、うつ病や高血圧を患っていた。自主帰国を決めて以降はストレスが増え、歯のしびれで食事が思うように摂れなくなったことから、7月9日からは固形物ではなく医療用経口栄養剤でしのいでいた。
しかし、突然の収容だったため常用薬は持っておらず、持ち込みもできない。支援者による薬の差し入れも、できない規則になっている。
ナヴィーンさんは、入管の精神科医と内科医の双方にエンシュアリキッド(経口栄養剤)が必要だと伝えたものの、収容から3日後まで処方されなかったと話す。
また、ナヴィーンさんによると、処方された薬を服用したところ、「お腹が痛くなり、骨から肉がはがされるような痛みを味わった」という。
支援団体の反貧困ネットワークが7月16日に開いた院内集会では、代表の瀬戸大作さんが、痛みについて「本来は分けて飲むべき薬が、まとめて処方されたのが原因ではないか」と説明した。
●「見逃した」で済ませていい問題なのか
ナヴィーンさんはこう振り返る。
「薬の差し入れはできないけれどお薬手帳を持っていて、入管も私が通っている病院から開示請求して、何を飲んでいるかを記録しているんですね。それを見てから薬を出してほしかった。というのも、薬を間違って出されたからです。
あとから医師が『この薬は出していなかった』と言うので、『なぜですか?』と聞いたら『見逃した』と言ったんです。だから『今までに入管で亡くなった人がいるから、見逃したで許せる問題ではないんですよ。人の命がかかってる問題だから』と言いました。
エンシュアリキッドのことも、収容されてすぐに精神科の医師にも内科の医師にも話していたし、私のカルテを見ていたのに、しばらく出されませんでした。入管から退出する際に『エンシュアリキッドをなぜ出さなかったのですか?』と聞いたら、やはり『見逃していました』と言われたんです」
難民支援に携わる医師の今川篤子さんも、この院内集会でナヴィーンさんの病状について説明した。
今川医師によると、ナヴィーンさんは首のリンパ節が腫れて発熱する「菊池病」を患っていた。菊池病は良性の炎症疾患だが再発しやすく、高血圧による脂質異常症やうつ病も抱えており、心身ともに厳しい状態だったという。
「7月15日の夕方に外の病院に連れていかれて、血圧を測ったら1回目がエラーになり、2回目は211でした。看護師があとでまた計りましょうというので、レントゲンと採血をしたあとに血圧を測ったら、何回もエラーになりました。
『水分をとってから10分ぐらい休んでから計りましょう』というので寝たまま計ったら、今度は215と表示され、『レントゲンは異常がないけれど血圧が異常に高い』と言われました。病院から入管に戻ってきてからようやく、エンシュアリキッドが1日に1本出されました」
●「感謝を伝えたかった」SNSで中傷も
当初は強制送還される可能性もあると考えていたが、職員とのやり取りから、ナヴィーンさんは長期間の収容にはならないと感じ始めていた。
7月17日に監理措置決定が出され、収容は解除された。翌18日には、以前から参加が決まっていたイベントに登壇した。
これに対して、SNSでは「病気は嘘だったのか」といった内容の投稿が相次いだ。
ナヴィーンさんは、体調を理由に休むようすすめられたものの、それでも会場に足を運んだ理由について次のように語る。
「力を貸してくれた人たちに感謝を伝えたかった。それが生きる力にもつながるから」
●「ゼロではなく、マイナスからのスタート」
現在、ナヴィーンさんは、監理人による監理のもとで生活しながら、自主帰国に向けた手続きを進めている。帰国時期は決まっていない。
スリランカにはすでに生活基盤がなく、支援者で「外国人とともに未来を・埼玉の会」の小野澤隆司さんは、「ゼロからではなく、マイナスからのスタートになる」と話す。
ナヴィーンさんは、自主帰国後に日本での結婚をスリランカでも有効なものとするため、なおみさんだけでなく義母にも現地へ来てもらう必要がある。
一方で、治安への不安は今も残る。7月にはコロンボ近郊の刑務所で暴動が起き、外国人を含む27人が死亡した。ナヴィーンさんによれば、今年に入ってからスリランカ国内の複数の刑務所でも、暴動が起きているという。
ナヴィーンさんは、妻や義母をそうした環境へ連れて行かなければならない現状について、次のように語った。
「安全に暮らせる場所を探すのはとても難しく時間がかかるし、なおみさんと1年でも離れ離れになるのは辛いことだと、入管にも言いました。今の状態でどれぐらい日本にいられるかは、まだ決まっていません」
それでもナヴィーンさんは、自主帰国の準備を粛々と進めている。再び日本で家族と暮らすためだ。