入管収容者「200人」の保証人になった牧師、無力さ感じながらも面会を続けるワケ
宮島牧人牧師(塚田恭子撮影)

入管収容者「200人」の保証人になった牧師、無力さ感じながらも面会を続けるワケ

茨城県牛久市にある東日本入国管理センターや、東京都港区の東京出入国管理局など、法務省・出入国在留管理庁(入管)の収容施設には、入管法に違反したとされる外国人が今年11月4日時点で433人収容されている。

正規ビザを取得するため、長期収容による心身の病を改善するため、多くの収容者は仮放免(一時的に収容施設から出る許可をもらうこと)を申請する。この際、収容者にとって高いハードルとなるのが、身元保証人(保証人)になってくれる人を見つけることだ。

そんな中、これまで延べ200人近くの収容者の保証人になってきたのが、日本基督教団の宮島牧人牧師だ。2009年から牛久や品川で収容者への面会を始めて、教会関係者や弁護士、支援団体と連携しながら、長期拘束によって精神的に抑圧されている収容者を支援してきている。

多くの収容者たちの保証人をつとめるに至った経緯や、収容者とのやりとりから知った入管の現状について、宮島牧師に聞いた。(取材・文/塚田恭子)

●どんな人も選ばずに面会を続けた

静岡県の小さな町で、牧師の家庭に生まれ育った宮島牧師。30歳のとき、牧師になるために神学校に通い、卒業後の2006年、茨城県の牛久教会に赴任した。現在の活動から察して、「自身が望んだことだったか?」と尋ねると、「実はそれまで牛久の収容所の存在を知らなかった」という意外な答えが返ってきた。

「神学校時代、実習でお世話になった『なか伝道所」(横浜市寿町)の渡辺英俊牧師に赴任が決まったことを報告に行くと、渡辺牧師から『牛久には入管があって、外国人が収容されているから、会いに行ってあげなさい』とアドバイスされたんです。

渡辺さんは、長く外国人や入管の問題に関わってきた方で、社会で置き去りにされている人たちの問題に関心のあった私も『すぐに面会に行こう』と思い立ちました。ただ、最初の数年は、牧師の仕事とあわせて、教会併設の幼稚園の園長の仕事や、正教師になるための試験勉強などに忙殺されて時間を取ることができず、初めて牛久の収容所に足を運んだのは2009年だったと思います」

いざ面会に行こうとしたものの、面識のない収容者にどう連絡を取ればよいか、初めはどうすればよいかわからなかった。いろいろ調べる中で、宮島牧師は「牛久入管収容所問題を考える会」(牛久の会)の代表、田中喜美子さんにたどり着く。

「最初は、牛久の会の方と一緒に、数回、収容者に面会しました。当時は収容されている棟(ブロック)が違う人にも、一緒に面会できました。同じ国の人が同席して、ピア・カウンセリング(同じような境遇にある人が対等な立場でカウンセリングすること)的に話すと、収容者たちが元気になることがわかったので、そんなことをしてみたり。英語ができるクリスチャンの人には、お祈りもしました。

私はどこの国の、どんな人でも選ばずに面会していたので、そのうち面会している収容者から『〇〇さんにも会ってあげてほしい』と言われるようになり、活動の中で知り合った支援者たちとのつながりもあって、面会する人の数が増えていきました」

画像タイトル 宮島牧師(塚田恭子撮影)

●仮放免者は保証金が必要になる

一回の面会時間は30分。宮島牧師が始めた当初は、一度に最大5人、そして違う棟に収容されている人にも、一緒に会うことができたという。だが、その後、収容施設のルールが変わり、今は同時に面会できるのは同じ棟の人だけで、人数も2名までとなっている。

「面会を始めてから、仮放免という制度があること、申請には保証人が必要なことなどを知りました。特に成田や羽田などで入国前に、空港の入管支局に数週間、拘束されたあと、牛久に収容された人の場合、日本に知り合いも、住む場所もない人がほとんどです。

難民支援協会(JAR)やカトリック東京国際センター(CITC)、日本国際社会事業団(ISSJ)などの団体も支援をおこなっていますが、彼らが保証人になることはほとんどありません。報道にあるように、最近は入管が仮放免を認めず、収容の長期化による弊害が問題視されていますが、数年前までは、保証人がいれば、仮放免は認められていたので、ぽつぽつと相談を受け始めて、現在に至ったという感じです」

収容者が仮放免を申請する際、その理由や本人の誓約書とともに、保証人、仮放免後の連絡先(住所・電話番号)、そして決定後は保証金が必要になる。

「申請後、2カ月ほどで結果が出ます。許可が出るときは、入管から電話で『仮放免の方向で考えている」と言われて、保証金の額を伝えられます。刑事事件を起こした収容者が申請する場合、保証金は高くなる傾向があるようです。

ただ、日本人なら刑務所に入れられないようなトラブルでも、外国人は収容されているんです。

最近の保証金の相場は、20万円前後ですが、10万円以下の人もいれば、もっと高い人もいて、その基準やルールは定かでありません。保証金の額だけでなく、仮放免が不許可になった場合、その理由も一切教えてもらえません」

●一番の処方箋は「保証人」という言葉

仮放免を申請する際、保証人は、収容者に入管法を遵守させ、入管の指示や出された条件に従うことを誓約するが、刑事的責任を負わされることはないという。宮島牧師は、面会している収容者から保証人になることを依頼された際、次のように話している。

「自分の家族を路頭に迷わせることはできないので、相談してきた人には、『住む場所と生活は自分で何とかしてください』『保証金も、自分で準備してください』と伝えます。無理なお願いかもしれないけれど、収容所施設で友人をつくってお金を借りるなどして、今まで全員、その二点は何とかなっています」

保証金の額は、仮放免が認められたのちに知らされる。収容者がその金額を払えないとき、宮島牧師は減額交渉もおこなっている。減額が認められるときもあれば、ダメなときもあるという。

多少なりとも事情を知る人なら想像がつくように、宮島牧師が保証人をつとめた人数、つまり仮放免が認められた収容者数よりも、申請が認められなかった人数ははるかに多い。それだけの時間や労力をかけて、保証人をつとめるのはなぜなのか。

「収容者を支援する会の講演で、ある精神科医の先生が『収容者にとって一番の処方箋は、仮放免の保証人だとおっしゃったんです。収容施設を出られることが、彼らにとってどれほど希望になるか。私もその通りだと思っています。仮放免が認められたことを面会で伝えると、みなさん本当に喜びます。『保証人になります』と伝えただけで涙を流す人もいます。

保証人になった人が逃げてしまったり、トラブルを起こしたり…大変なことももちろんありますが、健康な人でも病気になってしまうようなあの場所から、私としては何とか外に出してあげたい。金銭的な支援はできませんが、彼らには、CITCやセカンドハーベストジャパンなど支援団体とつながって、なんとか生き延びるようにと伝えています」

これはクリスチャンである宮島牧師が、個人的なミッションとしてやっていることで、教会の人たちに保証人になることをお願いすることも、手伝いを頼むこともないという。

●「入管は非常に恣意的だ」

仮放免後の住む場所と保証金が準備できても、保証人になってくれる人がいなければ、申請をできない。宮島牧師の話は、収容者が直面しているそんな現状を伝えている。

「以前、仮放免担当者に呼ばれて入管に行くと、(私が保証人を引き受けることで)助かっている面もあると言われました。それは彼らの本音でしょう。入管側には、保証人がつけば、外に出したい人がいるんです。すでにそういう人は何人もいます。

たとえば、ガンや重い病気に罹っている収容者は、そのままいても、収容施設内で亡くなってしまうので、そういう人には出てもらいたいと。それで『弁護士がつけば、仮放免を認めるけれど』などと言われたりします。入管は非常に恣意的です」

牛久や東京入管の収容者への面会を続けている多くのボランティアや弁護士が口にするように、2017〜18年ごろから、仮放免を申請してもその多くが不許可になり、収容の長期化・入管の厳格化が進んだ。

「仮放免を認めず、長期収容というかたちで懲罰を与えて苦しめることで、心身を疲弊、ギブアップさせて帰国を促す・・・入管はそういう方針を通達しています。本当にひどいことだと思います」

だが、今年2月ごろから新型コロナウイルスの感染が拡がると、一転、仮放免は認められるようになってきた。

コロナ禍以前、300人近くいた牛久の収容者数は、2020年10月の時点で100人を切っている。それまで何度申請しても不許可だった状況から、半年で200人に許可が下りた。裏を返せば、入管側には仮放免を認めない正当な理由やルールはなかった、ということでもある。

「入管も、国際的な圧力を感じていただろうし、収容施設でクラスターが起きたら手に負えないとわかっていたのでしょう。東京入管では、職員にも、収容者にも新型コロナ陽性者が出ましたが、収容施設は思いっきり三密空間なので、いつクラスターが起きてもおかしくありません。弁護士会も勧告しましたが、緊急事態宣言が出された4月、一気に仮放免が認められました。私が保証人になっていた人も、東京で2人、牛久で4人、仮放免が出ています」

●帰国できない理由はそれぞれある

牛久で収容者が起居する部屋の広さは平均8畳ほど。そこに最大5人収容されていたという。三密、クラスターを避けるため、現在は仮放免を認めて、収容者数は減っているものの、長期収容という入管の方針そのものに変わりはない。

「牛久や東京入管は2、3年にわたって収容されている人がいます。難民性はないかもしれませんが、刑事事件を起こしているわけでもなく、日本の社会自体が外国人労働者を必要としている現状を考えて、国は、彼らに在留特別許可(在特)を出せばよいのにと思います。

石原都知事時代の2004年から5年間、都と入管が不法滞在者半減キャンペーンをやったときは在特が多く出ましたし、少し前まで年に数千人に在特が出ていたのに、今はそれも少なくなっています」

宮島牧師は現在、牛久から東京へ移ったものの、10年以上も収容者への面会を続けてきた。この間、入管側にどんな変化を見ているのだろう。

「それまでは、たとえば空港で拘束された人たちの仮放免は、一度目(の申請)は不許可でも、1年以内でだいたい認められるという暗黙の了解がありました。それが、強制退去令に従わない人は長期収容するという通達を出した2018年ごろから、ガラッと変わりました。

面会時に(仮放免の申請結果が)ダメだったと伝えると、当然、収容者から、どうしてなのかと聞かれます。でも、通知には理由は何も書かれていません。収容施設に何年も拘束されて、精神的なストレスから身体を壊すくらいなら帰国も一つの道かと思いますが、家族が日本にいたり、借金を抱えていたりなど、それぞれに事情があります」

●かつては「見て見ぬふり」がされてきた

国内は、建設現場や、ビルの掃除、介護施設、飲食料品の製造工場など、人手不足が深刻な職場では、多くの外国人が働いている。その中に、ビザの問題を抱える人がいることは事実だろう。けれど、以前は仮放免の人が働いていても、入管の職員はそれを見て見ぬふりをしていたと、宮島牧師は言う。

「現実に人手の足りない現場では、不法滞在、不法就労者が必要だと、入管の人たちもわかっていたのでしょう」

収容の長期化、そして仮放免を認めない入管に対して、牛久では、2019年夏、ハンガーストライキによって抗議活動をする収容者の数が100人に上るという事態になった。自殺未遂を起こした人も何人もいる。2018年には、宮島牧師が保証人となっていたインド人が、仮放免が認められなかったことを知った翌日、自ら命を絶っている。

今年9月23日、国連・恣意的拘禁作業部会は「日本の入管の収容は国際人権法に違反している」という意見書をまとめた。だが、入管は、強制退去令が出された収容者に、帰国を拒否するなら、無期限で収容するという姿勢を崩していない。

そして、その判断が正当であるか否か、彼らが外部から審査を受けることもない。国の機関である入管が、自分たちの判断について、理由や基準を説明するという責任を果たさなければ、許可にしろ、不許可にしろ、その判断は恣意的だと言われても、反論の余地はないだろう。

●外から見られないと感覚が麻痺する

入管は、なぜ外国人に対して高圧的な態度を取るのか。入管の体質について、宮島牧師は、共同通信・平野雄吾記者の近著『ルポ入管 絶望の外国人収容施設』(ちくま新書)を挙げて、こう話す。

「戦前、入国管理は内務省の所轄・管理下にあり、内務省は外国人や共産主義者を取り締まっていました。戦後、占領軍によって内務省は解体されましたが、公職追放を免れた内務省の官僚が、出入国管理に関わる部署に流れたので、行政組織による管理と差別意識がそのまま引き継がれているんです。だから難民についても、保護ではなく、管理という発想になってしまう。職員が悪いというよりは、そういう組織体制がずっと続いていて、変わらないのでしょう」

繰り返しになるが、コロナ禍で一時的に多くの仮放免が認められたとはいえ、長期収容という入管の方針が変わったわけではない。変わらない、というよりは、法務大臣の私的懇談会「収容・送還に関する専門部会」が、強制退去令に従わない外国人を刑罰の対象(退去強制拒否罪)にする法案を提案しようとしているように、今まで以上にビザに問題を抱える外国人への対応を厳格化しようとしている。

収容者にとっても支援者にとっても、先行きは容易とは言い難い状況が続いている。だからこそ、「収容者への面会は必要だ」と宮島牧師は言う。

「ドメスティック・バイオレンスもそうですが、密室にいると、暴力を振るっても外から見られていない、誰もわからないからいいだろうと、感覚が麻痺してしまう。長年、難民支援に取り組んできた港町診療所の山村淳平医師が言うように、私たちが面会に行くことは、入管の職員にとって、自分たちが見られているという心理的な抑制、防御になるんです。支援をしていて無力を感じることは多いけれど、それでも面会には、そういう力があると信じています」

●面会者が増えてきている

入管に対して、自分たちはあなたたちを見ているというアクションを起こすことで、同調圧力に対して敏感な組織の人たちに働きかける。支援者たちの地道な活動、ネットを活用して収容施設の状況を報告した文章を読んで、牛久や東京入管に足を運び、面会する人は少しずつ増えているという。

「早稲田や明治、上智大学など、外国人問題に興味を持つ学生たちがネットで調べて、牛久や東京入管に足を運んでいます。4年ほど前から活動している聖心女子大学の難民支援学生団体『SHRET』には、私が持っている収容者への面会名簿も送っています。収容施設の状況や『見ているぞ』という面会の意味合いなどは、若い人たちにも知ってもらいたいことです」

面会に行っても、最初は何を話せばよいかわからないという学生には「食べ物の話をすると盛り上がる」といったアドバイスをしているという。

クリスチャンである自分個人のミッションとして活動を続ける宮島牧師は、マタイによる福音書の「わたしの兄弟であるこの最も小さき者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(同25章40節)という言葉を引く。

「イエス様は、(周囲からその存在を)見えないもの、小さい者とされている人たちのあいだに生きているんです」

【宮島牧人牧師プロフィール】
1972年、静岡県生まれ。牧師の家庭に生まれ育つ。大学卒業後、アジア学院でボランティア、養護学校の教師を経て、2006年に日本基督教団・牛久教会(茨城県牛久市)の牧師になる。現在は、原町田教会(東京都町田市)の牧師と付属の幼稚園の園長をつとめながら、入管収容者の支援にたずさわっている。

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