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林眞須美死刑囚「四面楚歌の日々、自分に負けず」 和歌山カレー事件20年、長男に手紙
林死刑囚が長男に出した手紙

林眞須美死刑囚「四面楚歌の日々、自分に負けず」 和歌山カレー事件20年、長男に手紙

1998年7月、和歌山市園部で夏祭りのカレーの鍋に猛毒のヒ素が混入され、4人が死亡、63人が負傷した「和歌山カレー事件」は25日で発生から20年になる。その節目を前に、再審(裁判のやり直し)を求め続けている林眞須美死刑囚(57)が長男(30)に手紙を出し、改めて無実を訴えていたことがわかった。

母からの手紙を息子はどう受け止めたのだろうか。(ルポライター・片岡健)

●「離されて、20年目の夏です」

林死刑囚が収容先の大阪拘置所から7月19日消印で長男に発信した封書には、差出人の名前や住所が一切書かれていない。

長男によると、「母は、自分からの手紙だということが配達の人などにわからないように、と思っているようです」。そんな林死刑囚の手紙は普段、逮捕前の楽しかった思い出や近況のとりとめもない話が綴られ、事件への言及はないという。

だが、今回は違った(以下、〈〉内は引用。断りがない限りは原文ママ)。

〈離されて、20年目の夏です〉

そんな書き出しで始まる便せん7枚の手紙は、事件から20年の節目の時期だということを強く意識した内容となっていた。

〈20年の日々、4人の子供や健治パパ1人1人にとり、大変な時間、日々を1人1人が、大変厳しい試練に耐え乗り越えてきました。

愛しい愛しい愛しい4人の子供の成長に力強いパワーをもらい、日本中、いや世界中にての報道にも負けず「死刑」宣告にても3畳1間室四方セメント壁室の厳正独居室四面楚歌の日々にても、自分に負けず、すごしてこれました〉

死刑囚は通常、親族や弁護人、教誨師らごく一部の者以外との面会や手紙のやりとりを許されないが、林死刑囚も例外ではない。独房でほとんど誰とも話せない孤独な日々を強いられてきた中、4人の子供や夫の健治さん(73)ら家族の存在を心の支えにしてきたことが窺える。

●カレー事件は「やってない。やる意味がない」

今も和歌山で暮らす長男は年に1回、大阪拘置所まで林死刑囚の面会に訪ねている。これまでも母の無実を信じていたが、先月21日に面会した際に改めてカレー事件について、「本当にやってないの?」と問いかけてみたという。

「母はその時、眉間にシワを寄せ、『まだそんなことを聞くの?』というようなイラっとした表情になりました。しかし、僕のことをまっすぐ見て、『やってない。やる意味がない』と言っていました」

林死刑囚は、保険金目的で夫の健治さんや知人の男性にヒ素を飲ませたという容疑でも有罪とされている。それについても、「確かに保険金詐欺はやっていたし、反省している。でも、人にヒ素は飲ませていない。私がやっていないことまで、やったことにされている」と訴えたという。

そんな面会中のやりとりもあったからか、手紙には、裁判の争点への言及もあった。

〈私が鍋の回りをウロウロして、道路の方を気にしていた、クマのように、鍋のフタをあけては、白い湯気が上がり、のけぞり、首に巻いたタオルで顔を拭い、タオルを口に当てていた。鍋のフタの段ボールのようなものを手にして地面を引きずっていた。白いTシャツだった。

このようなことは全くありません。6月に3回目の手術をしており、イスにすわってました〉

これは、園部の住民の1人が裁判で、「林死刑囚が、カレーの調理場所だった民家のガレージでカレーの鍋のフタをあけるなどの不審な行動をしていた」と証言していることへの言及だ。

林死刑囚は裁判で、「その人が見たのは、私がカレーの鍋の見張り番をしていた時、一緒にいた次女が鍋のフタをあけ、カレーの味見をしたところだ」と主張していたのだが、そのことを改めて長男に訴えたようだ。

長男はこの手紙を読み、改めて母の無実の訴えを受け入れられたという。

「事件当日のことを振り返ると、母が着ていたTシャツの色は、確かに白ではなく黒でした。それに、当時の母は(筆者注・保険金詐欺をするために)足にすごいヤケドをしていて、立っていられず、すぐに座っていました。手紙に書いてあったことは、自分の当時の記憶と合致するものでした」

●「気の休める時間はありません」

手紙には、〈6/21面会で、これ歌うの時間切れでした。歌うつもりでした。××(筆者注・長男の名前)へ愛をこめてネ!〉と安室奈美恵のヒット曲「Hero」の歌詞も綴られていた。

〈君だけのためのヒーロー いつもそばにいるよ どんな日もそばにいるよ〉〈どこまでも全て君のために走る 永遠に輝やくあの星のように〉などと実際の歌詞とは微妙に違うところもあるが、末尾には〈ママより 眞須美〉と綴られ、子供への思いをあふれさせている。

「事件の時に僕は小5でしたが、それまで一緒に過ごしていた母のイメージは、世間で思われている凶悪犯のイメージとは一致しないんです。昔の記憶をたどっても、幸せだったことしか思い出せないですからね」(長男)

20年前、事件で亡くなった4人の中には子供も2人いた。長男が面会した際、「早く死刑執行を」と願う被害者遺族たちへの思いを聞いたところ、林死刑囚は「子供を持つ母親として、事件で子供が亡くなった人が犯人の死刑を望む気持ちはわかる。でも、それを私に向けられても困る」と語っていたという。

一方、手紙には、死刑への恐怖も率直に綴られていた。

〈「死刑」が確定したら、再審請求中でも、法務大臣が執行を命じれば、私も、ここ大阪拘置所で殺されてしまいます。「いつ、殺されるかもしれない」という思いは、46時中、頭、体、心につきまとい、襲ってくる毎日です。気の休める時間はありません。「私は犯人ではないのに国に殺される理由はありません」〉

林死刑囚は昨年3月、和歌山地裁に再審請求を棄却されたが、現在は大阪高裁に即時抗告中だ。手紙の末尾では、裁判で検察側の主張に沿う証言をした人物の名前を複数挙げ、こう訴えている。

〈真実を歪めて隠しとおすのですが? 「死刑」ですヨ! 亡くなられた方のためにも真実をお話下さい〉

事件から20年が過ぎた今も無罪を勝ち取り、子供たちのもとに帰ることを諦めていないのは間違いない。

【ライタープロフィール】

片岡健:1971年生まれ。全国各地で新旧様々な事件を取材している。編著に「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(鹿砦社)。広島市在住。

(弁護士ドットコムニュース)

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