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再審取り消しでも「負けてたまるか、100歳まで生きる」 袴田姉弟、52年目の誓い
袴田ひで子さん(6月21日、東京)

再審取り消しでも「負けてたまるか、100歳まで生きる」 袴田姉弟、52年目の誓い

「今回は絶対に再審への道が開かれる」――そう確信して臨んだ、いわゆる「袴田事件」第2次再審請求は6月11日に東京高裁で、再審開始決定の取り消しという後退の結果に終わった。7日後、弁護団は決定を不服とし特別抗告。今度は最高裁に舞台を移す。

1966年8月に逮捕されてから52年、無実を訴えてきた袴田巌さん(82歳)と支え続けた姉のひで子さん(85歳)。高齢の姉弟にとっては深い失望があったはずだが、「負けてたまるか。100年でも戦い続けますよ」と、新たなる試練に前向きに取り組む決意を見せている。現在の心境をひで子さんに聞いた。(ルポライター・樋田敦子)

●「弟を長生きさせて、私も100歳まで生きて無罪を勝ち取りたい」

東京高裁の再審取り消し決定から10日後の6月21日、ひで子さんは、東京都文京区で開催された「くり返すな冤罪!市民集会Ⅱ」の場であいさつに立っていた。冒頭で読み上げたのは、巌さんが1984年に書いた手紙だ。

「確かに孤独は私にとっても切なく、つらいことですが、無意味ではないのです。忍耐しその中で孤独を受け入れてくれば、必ず深い勝利への意味が分かるのです。

もし孤独が闘いの源泉であり、神秘を秘めているとするならば、私共の闘争は孤独を知るために、したたかな害とともにあると言えるでしょう。いずれにしても冤罪は生きてそそがなければみじめすぎるのだ」

刑務所で拘禁症を発症する前、無実を訴え続けていた頃の巌さんの手紙である。

そしてひで子さんはこう結んだ。

「冤罪事件と分かっていて、今回の高裁の判決でございます。特別抗告しましたので早く最高裁で審理を進めてほしい。生きてそそがなければならないというのは、82歳になった弟のことばでありませんが、弟を長生きさせて、私も100歳まで生きて無罪を勝ち取りたい」

●まさかの「再審取り消し」、ひで子さんの表情は明るく

1966年の逮捕から52年。静岡地裁の再審開始が決定が出て、巌さんが釈放されて4年。今回ばかりは弁護団も支援者も再審開始を疑わなかった。5点の衣類に関するDNA鑑定と血痕の付着した衣類を味噌漬けにする再現実験が静岡地裁でも高く評価されていて、それを覆すようなことはないだろうと思われたからだ。

ところが東京高裁での結果は、再審開始決定の取り消し。決定を受けて弁護団は茫然と立ち尽くし、支援者の中には泣き出す人もいたという。決定から約10日後、どんなにか落胆しているかと思いながら取材に行くと、ひで子さんの表情は意外にも明るかった。

「弁護団も感触が良かったので、勝つつもりでいたと思う。みんなが大丈夫、大丈夫だと言っていたので、私も大丈夫だと言っていた。しかし心の中では、そんなに簡単にはいかないと思っていました。そしてこの結果です。

だって狭山事件の石川一雄さん、名張毒ぶどう酒事件の奥西勝さん(故人)、鹿児島大崎事件の原口アヤ子さん、みんな再審が叶っていないじゃないですか。袴田事件だけ、再審開始にするわけにはいかないだろうな、と。

ただ巌の収監はしないということで、少しほっとしましたが……。これまで50年です。ここで負けるわけにはいかないんですよ。だからみんなに言ったんです。『今日一日だけがっかりしてろ、明日からまた頑張れ』それしかないもの」

●「事件はなかった、嘘だ。死んだ人はいない」

巌さんにも決定は伝わったが、分かっているかは、定かではないという。マスコミに聞かれて「事件はなかった、嘘だ。死んだ人はいない」と繰り返すだけで、ひで子さんもあえて聞かないし、巌さんも口を開かない。

47年7か月の収監による拘禁症の影響で「自分の世界」と現実を行ったり来たりしている。釈放直後からみれば、回復しているというが、自分の世界に入ってしまうと、ひとりごとをぶつぶつ言いだす。

「たった4年やそこらで治りませんよ。50年近くの年月は、そんなに生易しいものではなかったはずです」

●母の代わりに、支援を始める

当初から弟の無実を信じていたが、ひで子さんが本格的に支援を始めたのは、1968年からだった。すでに静岡地裁で審理は始まっていたとき、先頭に立っていた母親が失意のうちに突然亡くなった。「親孝行らしいことはひとつもできなかった」ので、せめて母の代わりになろうと、支援を始めた。

会社では会計を担当。給料は、生活費だけを残し、あとはすべて刑務所にいる弟のために差し入れ、一部は貯金した。

59歳のとき、「いつか帰ってきたら一緒に住めるように」と3階建てのビルを購入する。ローンが完済したのは、巌さんが釈放される前年。今はそこで姉弟が静かに暮らしている。

「兄にしろ姉にしろ、みんな家族を持ってましたから、金銭面でも精神面でも、巌一人にかかりっきりにはなれません。私はひとり身だったので、巌のことだけに専念できたのです。

姉が遊びに来て、孫のためにお菓子を買っていくんです。それに3000円払うのなら、2000円でも巌のために使ってほしいと思ったこともありました。でもみんなそれぞれに生活があるので、強いことは言えません。私が稼げばいいんだ、そんな思いでやってきました」

●アルコール依存症の一歩手前まで

しかし、いつまでも無実を証明できない苛立ち。「神も仏もあるものか」と打ちひしがれた。アルコールを多飲するようになり、依存症の一歩手前までいったこともあった。ひで子さんを押しとどめたのは、支援者からの電話だった。

「こんなに巌のことを思って活動してくれている人がいるのに、私がこんな状態ではいけない」と踏ん張った。それ以来、お酒は一滴も飲んでいない。

やがて支援する人々が、救う会を作って支援を始めた。ひで子さんは、全国各地で講演会に招かれ始めた。北海道から九州まで呼ばれれば講演に行った。一昨年はノルウェイのオスロにも死刑廃止の会議に参加したという。

「みなさんが、何かしたい、支援したい、と言ってくださったとき、私は署名運動を始めてみてはどうですか、署名だけでもしてほしいと言ってきたのです。そしてそれが実現しました。用紙に1筆でも書いてくれたかたは、巌の支援者だと思っています。事件自体はまだ解決していないけれど、巌が出てきて、こうして暮ちせるのも支援のおかげ。みなさんにお礼を言うつもりで全国を回っています。

巌のことは運命だと思っているのです。最初に最高裁で棄却されたとき、弁護士も支援者も大勢のマスコミもいたけれど、周りにいるすべての人が敵に見えましたよ。長い間、苦しいことを乗り越えてきたので、何が起こってもなにくそと、開き直っています」

●巌の事件は運命

現在、巌さんは、1日に6時間も町を散歩している。ボクサー時代のトレーニングのように、仕事のように毎日毎日歩き続ける。出会った人からは「巌さん頑張って」を声をかけられると、右手をあげて挨拶するまでになった。

「糖尿病なので薬を飲んでいて、本来は甘いものを食べちゃいけないんですが、バナナを4本も食べるときがあるのです。でもあれこれ言わず、なるべく自由にさせています。50年近く辛い思いをしてきたのだから、少しでも好きなことをさせてあげたい」

また毎日のように、「1万円くれ」と言ってくるそう。何に使うわけでもないけれど、巌さんの世界では「お金を持っているとバイ菌が寄ってこない」のだという。そのお金を貯めておいて、25日になると、「これは給料」と2万円を、生活費として1万5000円をひで子さんに手渡す。

「すべて私のお金なんですけれど、この習慣は刑務所に入る前と一緒なんですよ」

●「負けてたまるか。100年でも戦い続けます」

判決が出る前、弁護団の事務所の前に「袴田巌の壁」ができた。支援する市民は「袴田家に真の自由を」など思い思いの言葉を連ねた。ひで子さんはここに大きく「無実」、巌さんは「幸せの花」と書いた。

「30歳で逮捕されて、これまで幸せに縁遠かった。巌は幸せなんて思ったことがないと思っていたのに、すらすらと書いたのです。私もそこにい合わせた人全員がびっくりしちゃって……。釈放された4年たって、やっと幸せを感じられるようになったんだと思いました。

まだ本当の幸せではないかもしれないけれど、幸せという字が使えるようになったことがうれしかった。巌が幸せと感じるときが、私にとっても、幸せ。

だからこそ、負けてたまるか。100年でも戦い続けますよ、無実を勝ち取るまで」

【袴田事件】

1966年、6月30日未明、静岡県清水市(現在は静岡市清水区)の味噌製造会社専務宅から出火し、自宅は全焼、現場からは刃物による傷を受けた一家4人の遺体が発見された。同社の工場の寮に住んでいた袴田巌さんが逮捕されたが、ずさんな見込み捜査で決定的な証拠がなかった。巌さんは一貫して無罪を主張し、68年に死刑判決。高裁、最高裁で棄却されて死刑が確定した。再審請求は第2次にも及ぶ。2014年に静岡地裁は、再審開始を決定した。47年7カ月の収監期間はギネス記録だ。

【著者プロフィール】

樋田敦子(ひだ・あつこ)ルポライター。東京生まれ。明治大学法学部卒業後、新聞記者を経て独立。フリーランスとして女性や子どもたちの問題をテーマに取材、執筆を続けてきた。著書に「女性と子どもの貧困」(大和書房)、「僕らの大きな夢の絵本」(竹書房)など多数。

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