伝説のロックバンド「THE FOOLS」のボーカルで、ミュージシャンの伊藤耕さん(当時62歳)が、刑務所や病院で適切な処置をしてもらえず、服役中に亡くなったとして、伊藤さんの妻が国を相手に損害賠償請求訴訟を起こした報道が10月に話題になった。遺族の代理人をつとめる島昭宏弁護士は、自身もロック・ミュージシャンだ。島弁護士はどんな道を歩んできたのか。ライター、鳥井賀句さんによるインタビューを掲載する。
●「ロックで社会を変えたいと思うようになった」
現役の弁護士でありながらロック・ミュージシャンをやっているという変わり種弁護士がいる。その名は島昭宏、1962年名古屋生まれの57歳。実は彼のことは80年代から当時彼がやっていたThe JUMPSというパンク・ロック・バンドのヴォーカリストの島キクジロウとして知っていた。彼は自らのバンドで歌うだけではなく、「JUST A BEAT SHOW」という定期イベントを企画し、当時のライブ・ハウス・シーンで積極的なオーガナイズ活動をしていた。彼が主催していたそのイベントは20年間で300回も続き、そこにはブルーハーツやストリート・スライダース、ミッシェルガン・エレファントといった、後にメジャー・レコード会社からデヴューしブレイクする逸材たちも参加していた。始めに彼がバンド活動をやるようになったきっかけについて聞いてみた。
「小学生の頃にフォーク・ソングが好きになって、最初は吉田拓郎を聴いていたんだけど、岡林信康が強烈なメッセージを歌っているのを聴いて、反戦フォークとかにのめり込んでいったんですね。高校の頃にパンク・ロックと出会って、イギリスのクラッシュに凄く影響されてバンドをやるようになったのね。大学は政経学部を出たけど、卒業しても会社員にはならずに、塾の先生とかエロ本の出版社でバイトしたりしながらバンド活動をやってましたね。小学校の頃から狭山事件とか、岡林信康の『手紙』という曲で部落差別の事を知ったり、中一の時に有吉佐和子の『複合汚染』を読んで、もう物質的豊かさを求めるような社会には未来はないな、という思いが自分の中にあって、それが社会に対して問題提起を歌うパンク・ロックと出会って、ロックで社会を変えたいと思うようになったんですね」
●「このまま売れないバンドをやってても世界は1ミリも動かんな」
そんな熱烈なロックン・ローラーであった彼が、何故に弁護士になろうと思ったのか興味があった。
「41歳の誕生日を迎えた時に、ああ俺は16歳から25年もバンドをやってきたのか、でも世の中ひっくり返したくてバンドをやってたけど、このまま売れないバンドをやってても世界は1ミリも動かんなと思ったんだね。だったらまだあと25年は人生残ってるなら何をやるかと考えてみたんですよ。それで丁度司法試験に環境法が新しい科目として入ったと知って、弁護士として関わってみようかと思ったんですね。それで3年間ロースクールに通って必死に勉強して2年目で通りました」
2010年12月に48歳で弁護士登録をした島弁護士は、2011年1月に日本の電力会社にCO2を削減させようと呼びかけるシロクマ弁護団に加入するが、その2か月後に福島で原発事故が起こると、ゼネラル・エレクトリックや日立、東芝を相手に4200人の原告団の団長となり、原発事故発生時に原発メーカーは責任を免除されるとする原子力損害賠償法は違憲であるとして14年1月に原発メーカーの賠償責任を訴えた。だが最高裁でも棄却され、来年3月に国家賠償請求の裁判を始める予定だという。
「当時は原発問題は電気の作り方の選択といったように捉えられていたけど、実際は社会構造の経済の仕組みそのものであったわけなんですよ。それを崩壊させるということが、日本の経済の在り方を変えていくことだと見えてきたんです」
島弁護士はノー・ニュークス権という言葉を発案している。それは原子力の恐怖や不安から免れて生きる権利は、今や全人類の権利であるということである。原子力の恐怖から逃れて生きる権利が実現する社会を目指し世界中に張り巡らされた責任集中制度という原発体制を保護する仕組みそのものに闘いを挑んでいるのである。それは世界中の脱原発を願う人々と連帯する国際的な運動の出発点でもあるだろう。
●刑務所での病死「証拠も十分揃っているし、勝てる」
その他にも島弁護士は様々な案件を抱えていて、動物の殺処分を無くそうという動物愛護議連のアドバイザーをして、動物愛護法の改正にも尽力しているが、最近ではインディーズ・ロック界のカリスマ的ロック・シンガーだったFoolsの伊藤耕が2017年10月に覚せい剤取締法違反のため服役していた北海道の刑務所で病死した件は、刑務所が適切な処置を怠って彼を放置した結果だったと訴えた遺族の代理人も務めている。
「伊藤耕の件は、死因もはっきりせず、司法解剖も行われなかったことに遺族が不信を抱き、遺体を保管してもらって、もう一人刑事事件を担当してきた弁護士が証拠保全の手続きをして色々な証拠を確保し、実際解剖してもらい解剖の結果と証拠を照らし合わせてみたら、明らかにこれは対応をちゃんとしていれば死なずに済んだということが見えてきたんですね。死体検案書には『肝硬変からくる肝細胞がん破裂による出血性ショック』となっていたが実際の病名は絞扼性イレウスという腸閉塞の一種で、盲腸のようにちゃんと手術すればすぐに治る病気だった。
1回目に耕さんが腹痛を訴えて医者に見せた時には触診だけでレントゲンも撮らずに痛み止めを打っただけだった。次の日は何回も吐いたり倒れたりしているのに、結局夕方まで放置され、病院に連れていかれた時は既に心肺停止状態だったんだよね。これは勿論伊藤耕の事例ではあるけれど、こういうことが刑務所内や入管の中で行われているんじゃないかと前から思っていたことが明らかになった事案なので、そういうことをもっと社会に問題提起していきたいと思う。伊藤耕の場合は証拠も十分揃っているし、これは勝てると思っていますよ」
●ロック・シンガーとしての活動も再スタート
41歳の時にロック・ミュージシャンとしての活動をストップし、弁護士になる道を歩み始めた島氏だが、実はここ数年前からまたロック・シンガーとしての活動も再スタートさせ、今年の9月にはセカンド・アルバムとなる『KNOW YOUR RIGHTS』というアルバムをディスク・ユニオンからリリースし、全国で30回以上のライブ・ツアーも行っている。ちなみにそのバンド名は島キクジロウ& NO NUKES RIGHTSである。
「音楽を全くやめてたわけじゃなくて、反原発の集会なんかで頼まれて歌ったりしてたんだけど、だんだんと一人でやるより誰かを呼んでやった方が面白いと、昔のバンド仲間に声をかけているうちにいつの間にかバンドになってた。自分としてはバンド活動をすることで『ノー・ニュークス権』という言葉が少しでも広まって、若い人たちにも原発やエネルギー問題にも関心を持ってもらえたらと思っているんですよ」
そのアルバムは憲法第9条や21条の条文を歌い込んだ「Dance to the 9」、「Dance to the 21」といった曲や、北極の氷が溶けて、南の島が海に沈んでいくという気候変動危機をさりげなく盛り込んだ歌、実際には壊滅されたシリアのムスリム同胞団をテーマにした歌、基地問題等で翻弄される沖縄へ『離れていても手を伸ばし続ける』と連帯を呼び掛ける歌など、全ての曲が今日的な社会情勢を鋭く見つめ、正義と自由を求めるある種のアンセムとなっている。単なる趣味で音楽をやっているのではなく、彼がバンドを通して歌いかけている歌は、弁護士として彼が社会に訴えている事案と見事にリンクしている。
弁護士島昭宏は、法廷の場で、また音楽の場で、一貫して国民の権利と正義を主張し続ける世界でも希少なロックン・ローヤーであることに間違いはないだろう。