このほど出版された百田尚樹さんの『日本国紀』(幻冬舎)。ベストセラーになる一方、ネット保守層に人気の小説家が書いた「通史」ということで、ネットでは検証作業も盛ん。Wikipedia(ウィキペディア)などの記述と類似する箇所があるという指摘も出ている。
百田さん自身も、執筆にあたりWikipediaを参考にしたことは認めている。そのうえで、「ウィキから引用したものは、全体(500頁)の中の1頁分にも満たないものです」とツイートしている。
【拡散希望】私がウィキペディア(以下ウィキ)から大量のコピペをしたという悪意ある中傷が拡散していますが、執筆にあたっては大量の資料にあたりました。その中にはもちろんウィキもあります。しかしウィキから引用したものは、全体(500頁)の中の1頁分にも満たないものです。 #日本国紀
— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2018年11月21日
『日本国紀』には、Wikipediaという出典が記されていないようだが、これは引用と言えるのだろうか。引用一般の問題について、深澤諭史弁護士に聞いた。
●明瞭区別性と主従関係
ーー法律的に「引用」はどう定義されているのでしょう?
「通常、他人の著作物を利用するには、著作権者の許諾が必要ですが、例外的に許諾なしでも利用できる場合があります。引用もその一つです。
法律上、引用は『公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるもの』(著作権法32条1項)という要件を満たす必要があります」
ーー「公正な慣行」や「正当な範囲」とは?
「裁判例からは、(1)引用する方とされる方が明瞭に区別でき(明瞭区別性)、かつ(2)両者が主従関係(引用されるものが従、する方が主)にあることが必要であるとの見解が有力です。これを『二要件説』と呼びます。
著作権(著作者人格権を含む)の中には多くの権利があります。その中には、同一性を保持する権利、つまり改変されない権利や、著作者として表示してもらう権利もあります。
また、引用そのものの要件ではありませんが、引用者には出所の明示義務もあります(著作権法48条)」
ーー近年は違う裁判例も出てきたと聞きます。
「『公正な慣行』や『正当な範囲』を『総合的に考慮すべき』との見解もあります(総合考慮説)。明瞭区別性などに限らないという考え方ですが、専門家の間でも判断の分かれる非常に難しいところです。
私見としては、明瞭に区分でき、主従の関係にあることを中心に検討しつつも、公正な慣行に合致しているといえるか、もっといえば、経済上の不利益など、引用元の著作権者の権利を不当に侵害しないか、という点も併せて考慮するべきであると思います。実際の裁判所の判断も、これに近いのではないかと思います」
●Wikipediaも出所明示が必要
ーーWikipediaには、「ウィキペディアを二次利用する」というページがあります。
「著作権は個人の財産権です。ですから、物の貸し借りが自由であることと同様に、著作権者は、独自のルール(契約)で、他人に利用を許諾することができます。
Wikipediaの記事を転載する場合は、(1)Wikipediaの利用規約の範囲か、(2)著作権法上の引用の範囲か、さもなくば(3)権利者から許諾を得て、その範囲で利用することが必要です」
ーー利用規約でも出所明示が求められているのでしょうか?
「出所明示が求められていると考えてよいでしょう。
Wikipediaの利用規約によれば、クリエイティブ・コモンズ表示・継承ライセンスによるものであることの表示、著作権者(記事へのリンクでも可)の表示等が要求されています」
ーー学生時代、日本語版のWikipediaは信用性が乏しいとも指導されました。もしも、Wikipediaの記述がどこかからの無断転載だったとしたら、引用者も責任を問われるのでしょうか?
「この場合は、Wikipediaの投稿者が一次的な責任を負います。客観的には、正しく引用した利用者も権利侵害となりますが、賠償責任は、故意(わざと)または過失(不注意)がないと発生しません。
見るからに剽窃だとわかる場合は別として、通常は、Wikipediaの記事が剽窃であると見抜けないことについて、過失を認定することは難しい場合も多いと思います」
ーーとはいえ、出典を明示していなければ、なにを参考にしたかの証明が困難でしょうから、複雑な問題になりそうですね。
●歴史についての記述、似てしまう可能性は?
ーー学生時代のレポート課題などで悩んだ人もいると思いますが、特に歴史や事実を書くときは、参考資料に引っ張られて、表現が似てしまいがちです。中には、「コピペ→改変」だとして、問題になることもあります。法律上はどう判断するのでしょうか?
「著作権は著作物について認められます。そして、著作物として認められるには、『創作性』が必要であるとされています。
通常、事実そのものに創作性はないでしょう。しかし、その事実の表現次第では、創作性が生じます。
たとえば、『1582年6月21日に本能寺の変が起きた』という文章に通常は創作性は生じません。ですが、燃え盛る本能寺の様子や当事者の行動などを工夫して(一部創作を加えるなど)表現した文章であれば、創作性は生じます。
通常、歴史書には、事実の取捨選択や表現手法の選択といった点で、創作性があるといってよいでしょう。
そうすると、表現が同じであると、著作権の侵害の可能性が出てきます。この場合の判断基準ですが、類似しているかどうかは、これは説明や判断が非常に難しいのですが、その表現の本質的部分が直接感得できるかどうかの判断になります。
もっとも、偶然類似してしまった場合は、著作権の侵害にはなりません。著作権の侵害には『依拠』が必要であるとされており、偶然の一致には依拠はないからです。
ただ、広く公表されている著作物と類似している場合は、偶然ではなくて、参考にして写したことの推定が働くこともあろうかと思います」
ーー歴史史料が古語や外国語で書かれている場合もあると思います。本文中で現代語訳を使う場合の著作権はどう判断されますか?
「翻訳された創作性のある表現には、原文の著作者の権利のほか、別に翻訳等した人にも著作権が生じます。もっとも、古い作品で、原文の著作権が消滅している場合は、翻訳等した人の著作権だけが残ります。
原文は同じなので、訳が似てしまうこともありえると思います。その場合も、表現の本質的部分が直接感得できるかどうか、依拠性があるかどうかなどで判断されます。通常、同じものを訳して類似した場合は、依拠性を認めることが難しいケースもあると思います」
●『日本国紀』の疑惑、どう考える?
ーー『日本国紀』には、Wikipedia以外の文献との類似性も指摘されています。
「複数の箇所について議論がなされており、この場で全てを判断することはできません。
出所の明示だけでなく、それぞれの部分について、明瞭区別性や主従関係などの要件に合致するのか、引用先(『日本国紀』)の歴史書としての特性や引用元の特性なども考慮にいれる必要があると思います。
また、偶然類似してしまった可能性もあるので、『依拠』の要件を満たしているのかという議論もあるでしょう」
ーー深澤弁護士が専門に扱うネットの問題でも、著作権はよく問題になっているように思います。
「著作権法は、かつて業界人だけが知っていればよい『プロの法律』でした。
しかし、いまではワンタップで放送や配信が可能な時代です。誰であっても、ネットで情報発信をする人は、著作権の概略だけでも理解することが大事かと思います。その意味で、著作権法は『みんなの法律』になったといえます。
特に最近は、まとめサイトをめぐる紛争が増えていると感じます。サイト側も権利者側からも、どちらからも相談を受けることがたびたびあるのですが、非常に論点が多い(そして参考になる先例の乏しい)難しい問題であると感じています」