神戸市内の市立小中校で今年度、組み体操の練習中に66件の事故が起こり、うち6人は骨折したと市の教育委員会が発表した。久元喜造市長はこの夏、自身のツイッターで組み体操の見合わせを呼びかけていたが、これらの学校はこの要請を無視したことになる。
組体操。頑なに見合わせをこばむ神戸市教育委員会。教育次長は、今から方針を変えれば、学校現場が混乱すると。事故が起きたら、そのとき考えると。本当に無責任だ。子供たちは、あなた方の実験の対象ではない。生きた人間なのです。骨折は、命の危険、後遺症に直結する。すぐに、やめて欲しい!
— 久元喜造 (@hisamotokizo) 2019年8月2日
神戸市に限らず、組み体操の安全性について疑問はこれまでも何度なく呈されながらも、続けている学校は全国にあるようだ。また保護者の中にも「子どもの成長が見られる」「感動する」といった理由で賛同する声もみられる。一方で、ツイッターでは「法律で禁止して欲しい」という声も聞かれる。
市長が中止を呼びかけ、負傷者が出るなど危険は明確だが、なぜ組み体操はなくならないのか。猪野亨弁護士 に聞いた。
●「市長といえども中止を決めることはできない」理由
(編集部)どうして市長が中止を要請したのに、学校側は強行しているのか疑問です。
(猪野弁護士)組み体操の問題は他の種目と異なり、重大な事故につながりかねない危険があることにあります。柔道の必修化のときも同じような批判が起きたのも同様の趣旨でした。「スポーツには怪我がつきもの」というだけでは済まない問題であり、保護者の方々のみならず、こうした危険行為に怖い思いをしている生徒も少なくないと思います。
組み体操による重大事故の問題が顕在化して以来、多くの教育委員会、小中学校では組み体操を取りやめています。常識的な判断だと思いますが、教育委員会、小中学校が止めないと判断した場合、止めさせるのは大変困難なことです。
(編集部)なぜでしょうか。
(猪野弁護士)教育委員会は行政からの中立性が制度として保障されています。教育内容に関わるようなことについて行政が介入することによって不偏不党、政治的中立が求められている教育内容が偏向することを防止するためです。
もっとも現実にそれが実現できているかは別問題ですが、建前としては市長といえども中止を決めることはできません。神戸市長がツイッターなどで表明しているのはそのためです。
市長には権限がないので、禁止できません。市長に権限があるのなら、こんな形でツイッターでつぶやくことはしません。権限がある教育委員会に働きかけ続けるしかないのです。残念ですが。 https://t.co/E19JVjNBV6
— 久元喜造 (@hisamotokizo) 2019年9月10日
●「教育委員会、各小中学校の自主判断によらなければ止められない」
(編集部)以前とは異なり、組体操については「止めるべき」との世論が高まっているように思うのですが……。
(猪野弁護士)民意を背景にしたワンマン市長が恫喝して止めさせることも考えられなくはありません。しかし、そうした止めさせ方自体に問題があり、この組み体操の問題だけが解決できればいいというものではありません。必ず他の分野でも波及し、教育委員会の行政からの独立という制度自体が危うくなります。
結局、教育委員会、各小中学校の自主判断によらなければ止められないことになります。もっとも、それでは生徒もその保護者も置き去りです。教育委員会の独立性はこうした生徒やその保護者の声を無視してもいいという趣旨のものでありません。
これだけ大きな問題になっているにも関わらず、神戸市の教育委員会では「各学校はすでに練習や準備を重ねており、すぐにやめるのは難しい。来年春の対応については、今後検討したい」(NHK2019年9月26日放送)と述べていますが、事故が起きてからでは遅いという認識が欠如しています。
●刑事事件になる可能性は?
(編集部)法的な責任についてはどうでしょうか。
(猪野弁護士)事故が起きる可能性は十分に予見できることから民事賠償責任はもとより、業務上過失致死傷の罪になる可能性や傷害罪になるという見解もあります。私も故意犯となるかはともかく、刑事事件になる可能性は十分にあると考えています。
組み体操、特に人間ピラミッドは何段までを認めるのかという問題もありますが(大阪府では原則禁止、補助をつけて2段など)、5段であっても3メートルの高さから落下することになります。安全配慮という観点から、落下しても怪我をしないような安全装置が必要です。
人間ピラミッドの場合には骨折事故など重大な事故も起きていますが、それは運良く骨折で済んだという意味合いに理解されるべきものです。高所からの転落ですから打ち所が悪ければ死に至ることもありますし、重大な後遺障害を伴う怪我が発生することも十分に予見できるわけです。
●安全配慮はそもそもできるのか?
(編集部)そもそも組み体操では、安全配慮をしようにも限界があるのではないでしょうか。
(猪野弁護士)現実の安全配慮といえば、横で教員が見ているだけではないでしょうか。崩れ始めたら、横で見ているだけでは何の安全策にもなりません。下にいる生徒の負担は大変大きいでしょう。
何も訓練を受けていない未熟な児童生徒、運動が苦手な子も含めて行うのですから、重大な怪我をしないような安全配慮などできるはずもありません。
(編集部)保護者の側にできることはないのでしょうか。
(猪野弁護士)生徒、保護者の側もこうした危険行為に対し、本来のノーと言えなければなりません。教育は学校だけで作り上げるものではないからです。しかし、実際にはノーとは言いにくい雰囲気があることは容易に想像がつきます。
保護者が自らの自己責任でさせないという選択肢もあろうかと思います。しかし、実際には授業の中で練習を行うわけですから、その間、その子だけが孤立してしまいますし、実際にそのような選択が難しいのは明らかです。
●「危険と隣り合わせの達成感、教育のあり方として問題」
(編集部)なぜ、ここまで学校側が組み体操にこだわるのかも疑問です。
(猪野弁護士)組み体操はそもそも皆で努力、協力してやり遂げることに満足感を得るためのものですから、異議を述べることには相当な覚悟が必要です。反対の声が抑圧されてしまっていることは問題です。これでは誰のための教育のなのかがわからなくなってしまいます。
こうした達成感は、危険行為と隣り合わせだからとしか言いようがなく、教育のあり方としては問題です。一部の人たち、特に大人の側の自己満足に陥っていないでしょうか。
運動の苦手な子は決して少なくはありません。そうした子にとっては地獄の場にしかならず、「みんなで協力してやり遂げる」という前提が抜けてしまいます。教育効果としても疑問です。