猪野 亨 弁護士 インタビュー
弁護士を目指したきっかけ
私が法学部を目指そうとしたのは、高校生のとき、免田事件、松山事件などの死刑再審事件で無罪判決が相次いだことです。この時、警察権力とは恐ろしいものであるという印象を強く持ちました。
86年、私が北大に入学した直前のことですが、中曽根当時首相が北大にやってくるということに反対した学生4名が逮捕される事件がありました。当時は強力に産官学一体化が推し進められていた初期の頃です。学生を逮捕する警察も問題ですが、学長が恥さらしという趣旨のコメントを出したのには怒りを感じたものです。
その後、弁護士を志すようになりました。
冤罪事件について
まず、冤罪事件といっても過去に起こった事件の再審請求と、現在問題になっている冤罪事件は区別すべきです。前者については過去に起きた、拷問も当たり前の時代の捜査に基づく有罪判決を現在の視点でどう総括していくのかというものです。それに対して現在起きている冤罪事件の一類型では、本人の弁明より証人の証言が安易に偏重されてしまうことです。
証人の証言は捜査段階では、断片的なものがいつのまにか具体的かつ詳細になってしまうことから、被疑者だけでなく、証人に対する捜査にも可視化の制度を取り入れていき、そのあたりのチェックができるようにすることなどは求められるべきだと思います。警察の捜査について、信頼を前提に考えるのは誤りです。やはり無罪の人を有罪することは絶対に防ぐべきですから。
今までの経験と現在の仕事内容
弁護士であれば通常、受任する事件は当然として、主に消費者事件などに取り組んでいます。悪徳業者からの請求であったり、大企業からの理不尽な請求ですが、その請求額が数万円、10万円程度と少額な場合が少なくありません。このような事件にこそ楽しみがあります。
弁護団を組んで対応していますが、ほぼ手弁当(どころか実費持ち出し)なので、このようなことは弁護士に経済的基盤がなければできません。
経済的基盤がなければできないという主張に朝日新聞などは悪罵を投げつけていますが、広告収入に依存するマスコミに言われたくはありません。
弁護士としての信条・ポリシー
弁護士は、弁護士業務だけをしていればよいというものではありません。弁護士法の目的に基本的人権の擁護と社会正義の実現とあるとおり、この実現に向けて、やれることをやるべきだと思います。
特に弁護士は、独立自営業者として、自由に発言しるう立場にあるのですから、権力や多数派におもねることなく発言すべきです。もともと組織になじまない、と言って弁護士を志したのであれば、なおさらです。社会(多数派)におもねてどうしますか。
裁判員裁判について
裁判員制度は、その実施前から多くの問題点が指摘されていましたが、実際に実施されてみると、その問題点が露呈しました。「感覚」で裁けるはずがありません。元裁判員の方から、私も関与する北海道裁判員制度を考える会のホームページをみて、「本当に見てきたような内容であり、批判はその通りだ」という連絡もいただきました。
そもそも裁判員制度の導入は冤罪防止のような司法改革を目的としたものではなく、「市民の司法制度への参加」という側面が強くありました。それは被疑者が裁判員の「感覚」によって裁かれてしまうということです。ですから非常に恣意的な判断がされやすくなり、公平な裁判が保たれなくなってしまいます。
裁判員をやりたくないという国民も実施前よりも増えています。だから裁判員をお客様扱いする、などというのは本末転倒です。
見直しというレベルの話ではなく、即刻、廃止すべきです。
裁判員経験者は、口をそろえたように「良い経験をした」と感想を述べています。人を裁くこと、さらには死刑判決を下すことが、それほど良い経験なのでしょうか。
裁判は、1つ1つが真剣勝負であって、大人の社会科見学の場ではないし、被告人は実験材料でもありません。いかにも自分が裁いてやったんだという態度について、どう思いますか。本当に、自分自身が刑事裁判に直接、関わることが良いことなのかどうか、よくよく考えるべきでしょう。
法科大学院について
私に言わせれば完全に失敗した制度だと思います。
まず法科大学院という制度ですが、これは特に弁護士人口を激増させるために導入された制度です。多額の税金も使い多くの人を集め、人材育成をしておきながら淘汰していくというのですから、そこに税金の無駄遣いが生じます。そしてもっと大きな問題としては弁護士という職に競争原理を導入してしまっていいのかという問題があります。
三権の中の1つである司法権において、裁判所・検察・弁護士という三者の対立構造を保っていました。その中で弁護士に競争原理を取り入れ、金次第ということになれば、弁護士の在野精神が失われかねず、結果としてその対立構造の一角が崩されてしまいます。
さらに、例えば先述の冤罪事件の項目で示した少額の請求額の事案や冤罪に取り組む弁護士などは、決して仕事に見合う報酬が得られるわけではありませんから、これまでは多くの弁護士は報酬よりも「正義感」といった思いから取り組んできました。
しかし、このような事案は当然のことながら競争原理にはなじみません。これから弁護士が増えて、競争が促されると、逆に取り組む弁護士が皆無になってしまう可能性が十分にあります。
確かに弁護士が身近になることはとても重要なことですが、数を増やしたからといって弁護士が身近になるわけではありません。米国では100万人の弁護士がいると言われていますが、その米国ですら、弁護士選びはうまくいっていません。
日本でも過払事件を中心にテレビCMが流されていますが、高額報酬などが社会問題になったわけで、決して、これが利用者が求めていた「身近」とは思えません。
昔に比べてインフラなども整備され、黒電話だけがツールではなくなり、インターネットなどにより情報収集が容易になった現在にあっては、コストも下げることができています。しかし、基本的に手作業の弁護士業務のコスト削減にも限界があることも認識すべきです。弁護士の数を激増させて、その質を犠牲にしてまで競争原理を入れようとした弁護士激増政策を含め、この法科大学院制度も誤りです。