群馬県前橋市の県道で2018年1月、自転車で通学中の高校生2人をはねて死傷させたとして自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた男性(88)に、前橋地裁は今年3月5日、無罪判決を言い渡した。検察側が控訴した。
ところが控訴審で、男性の弁護側が被告人家族の意向などを理由に、有罪を求めたことから、法曹関係者の間で話題となっている。
毎日新聞(2020年10月6日)によると、東京地裁で10月6日におこなわれた控訴審第1回公判では、弁護人は被告人とは「40年来の知人」であるとし、「本人と面談し、相当な方法で有罪を認める意思確認を行った」などとしている。
無罪判決を受けたのに、被告人が自ら有罪を望んだ場合、弁護人は被告人の意向をどこまで汲むべきなのだろうか。刑事事件を多数手がけてきた中原潤一弁護士に聞いた。
●弁護人はどこまで意向を汲むべきか?
ーー今回の事件のように、被告人自らが有罪を望んだ場合、弁護人は被告人の意向をどこまで汲むべきなのでしょうか。
弁護人は、依頼者である被告人の意向を最大限汲まなければなりません。
そのため、被告人自らが有罪を望んだ場合、それが故意犯(犯罪であることを理解した上で犯罪に及んだ場合)であれば、原則として被告人の意向を汲んだ弁護活動をすることになります。
ただ、故意犯であったとしても、それが誰かをかばうために有罪を認めているような場合には、被告人を説得して無罪主張をすることになります。説得できなかったとしても本人は有罪を認める一方で弁護人が無罪主張をすることはあり得ると思います。
ーー過失犯や責任能力の主張をする場合はいかがでしょうか。
この場合は話は別です。そもそも、それが「過失」なのか、その行為時に「責任能力があったのか」などといった判断は、法的な判断であって(事実関係の)評価の問題です。
たとえ被告人ご本人が「過失があった」「責任能力はあった」と言って有罪を認めていたとしても、本人が認めていること自体は法的には特に意味はありません。
事実関係を前提にして、本当に法的に「過失があった」あるいは「責任能力はあった」といえるのかを弁護人が検討し、もしそれが法的に「過失はない」「責任能力はない」と評価され得るものだとしたら、弁護人はむしろ無罪主張することを考えるべきでしょう。
これは、「弁護士の職務に関する倫理と行為規範を定める弁護士職務基本規程」46条が刑事弁護の心構えとして「被疑者及び被告人の防御権が保障されていることにかんがみ、その権利及び利益を擁護するため、最善の弁護活動に努める」と規定しているからです。これを弁護人の最善努力義務と言います。
この最善努力義務は、いうまでもなく被疑者被告人ご本人との間で負うことになります。ですので、家族の意向が被疑者被告人の利益にならない場合には、被疑者被告人の利益を優先させることになります。
そのため、「過失犯」や「責任能力」の主張をする場合には、家族や本人の意向に関わらず、弁護人が無罪主張をしなければならない場面も存在し得ます。
●「冷静な議論」を
ーーネット上には被告人への処罰を望む声も少なくなく、「目には目を。歯には歯を」のように、応報としての「刑罰」を望む声が多いようにも感じられますが、本来「刑罰」の適用はどうあるべきでしょうか。
現代社会において「刑罰」は将来の犯罪抑止という観点から理解されるべきだと考えます。
つまり、国家が国民に対して一定の行為を犯罪として予告し、その犯罪に該当する行為をおこなった者に刑罰を与えることで、将来に犯罪がおこなわれることを防止するために刑罰が存在すると考えるべきです。
そして、その行為には、刑罰を科すことが納得できるくらいの「非難」可能性(行為者を非難できるような行為でなければ、罰せられない)がなければなりません。刑罰は国民にペナルティを与えるものですから、その行使は慎重にしなければならないものでもあります。
本件は大変痛ましい事件ですが、ご家族やご本人をネットでバッシングすることでは何も生まれません。このような事故を起こさないためにこれからどうしていくべきかという点についての冷静な議論が必要だと考えます。