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41歳パンクロッカーが弁護士へ転身決意、ロースクールで「第2の青春」法律学ぶ面白さに目覚め
自身が経営する飲食店でポーズを決める島昭宏さん(撮影:大北栄人)

41歳パンクロッカーが弁護士へ転身決意、ロースクールで「第2の青春」法律学ぶ面白さに目覚め

ロックバンドのボーカルから弁護士となった島昭宏さん(61)が弁護士になることを決めたのは41歳のとき。ロースクール制度が日本でも開始することを知ったからだった。正反対とも言えるような転身への一歩は、ロースクールだったからこそ踏み出せたのだという。(ライター・大北栄人)

画像タイトル ロックンローヤーとして、今もステージに立ち続けている(島さん提供)

●フルチンのCDジャケットのせいでロースクールの前期試験は全部落ちた

──ロースクールってすんなり入れるものなんですか?

いや、それが前期試験は全部落ちたね。ロースクール制度ができて2年目だから倍率は10倍以上というレベルで厳しかった。

未習コースの試験は知能テストみたいな適性試験と小論文と面接なんだけど、自分がそれまでやってきたことに関する資料を提出しないといけなかった。おれは、甲本ヒロトとかドリアン助川なんかと作ったバンドで、国会前でフルチンになって撮ったジャケットのCDを作ったことがあって。国会で不戦決議というのを出すか出さないかって時「お前らが出さないならおれたちが出す」っていうまじめな趣旨だったんで、自信満々で提出したんだけど全部書類で落ちちゃって(笑)。

──すごい…そして破天荒なバンドマンはちゃんと落とされるんですね

小論文がものすごく得意だったから「どこでも行けるな、東大にしようかな」とか思ってたら何の実力も出せずに落ちたんだよね。家族にも「バカじゃないの? 通るわけないじゃん」って言われて、おれは十分アピールできると思ったんだけど。後期は写真を白黒にするとか、ちょっと小さめにして。結局駒澤大学と明治学院に受かって自転車で行ける駒澤に行ったね。

──でも倍率10倍の試験を42歳で受ける一歩、よく踏み出せましたね

おれは弁護士に向いているし、向いているから司法試験も当然受かるだろうと。ロースクールだって弁護士に適した人材を向こうが選ぶんだから俺は受かるだろうって。

──「おれは受かる。ソースはおれ」状態だ

その5年前ぐらいにカミさんから「弁護士になったらどう? 絶対向いてると思うんだけど」って言われてね。文章も上手だし、人を説得することも得意だしってことだと思うんだけど。俺も向いてるとは思ったんで、受ければどこでも受かると思ってましたね。

──実際、向いてました?

弁護士になったらまずは文章だもんね。法廷では書面で戦うし。あとはやっぱり尋問が大事で人からしっかり話を聞き出す力も必要だけど、肝心なのは全体の構成力だと思うんだよね。この事案に対してどういう構成で戦って、どういう証拠を放り込むと成果に結びつくのか。一般的には数学が得意な人が弁護士に向いてるって言われてる。おれ文系だけど高校のときは数学が全国でも上位だったからそれもあるのかもしれない。

画像タイトル インタビューに応じる島さん(撮影:大北栄人)

●社会変革を目的としたもう一つの人生があってもいいかなと

──ということは勉強はそもそも得意だったんですか?

得意だった。愛知県の進学校の高校でバンドやってたんだけど、同じバンドにいた同級生がドリアン助川。あいつは神戸から来て名古屋の事情も知らないであちこちからケンカを拾ってくるんだよ。こっちはおぼっちゃん学校なのに。そのときにはもうおれはバンドでやっていくんだって決めてたね。

そもそもが社会変革がしたいからバンドやってたんですよ。中1のときに社会変革をライフワークにすると決めたんだよね。当時は世界の有識者が集まったローマクラブが「成長を前提とした社会はこのままでは持たない」と発表したり、1970年の公害国会と呼ばれた次の時代。そういうものへの関心があったところ岡林信康のフォークソングや有吉佐和子の小説『複合汚染』なんかが結びついた。

社会的影響力のある道を選びたいけど大学教授とか政治家じゃかっこよくないなと考えてたらパンクブームがやってきた。そこで「社会をひっくり返すのはバンドじゃない?」ってなったんだよね。

──バンドも弁護士も社会変革という面では同じなんですね!

そう。そこから一瞬も休みたくないと思って音楽をやってたんだけど、41歳の誕生日に初めて「もう一個、別の人生があるとして何になりたい?」って自分に聞いてみようと思ったのね。

バンドを25年やってきたけど社会変革という目的でいうと社会は1ミリも動いてない。その目的に直接関わるもう一つの人生があってもいいかなと。

──実際、弁護士になって変わりました?

弁護士になった今は1つの裁判を通していろんな種をまいたり、きっかけみたいなものを作れてる実感はやっぱりあるよね。

●俺は日本で一番勉強する受験生になろうと思った

ロースクールができることは新聞で知ってて。8割ぐらいは弁護士になれるという触れ込みだったけど、ちゃんと考えてみたらそうじゃないわけ。だってロースクールの定員が一年で6000人とかで受かるのは、予定で最大3000人だからね。しかも、実際は1500人で頭打ち。

──駒澤にも島さんみたいな人がたくさんいたんですか?

1学年50人ちょっとかな。ロースクールができて2年目だから駒澤大学でもレベルの高い人がいっぱい来た。いろんな経験をしてきた人が経験を生かしつつ法律を駆使して社会に関わっていくことを目的とした制度ができて2年目だったから面白い人が多かったよ。

例えば東大京大出て大手企業や銀行で30歳ぐらいまで働いてって人とか。 地方議員とか政治家の秘書やってたとか。司法試験になかなか受からなくてロースクールにっていう人もやっぱり多い。だからもう全然基礎知識も違うし。

学校始まってすぐに民法の小テストがあって、返ってきた答案に「◯」って書いてあって、◎、◯、△3段階評価の◯と思ったんだけど、隣のやつの答案に「7」って書いてあってね。◯じゃなくて10点満点の0点だったのかと思ってこっち見たら「87」って書いてあった。100点満点の0点だった。それくらい差があったよね。

──ロースクールって司法試験に向けての受験生活でもあるんですね

司法試験はとにかくとてつもない分量だから。論理的な力とかそういう要素もあるだろうけど、それ以前にとてつもない分量の勉強をやった上で4日間の試験で出し尽くすっていうのはもはや別の能力だよ。

もう半端な緊張感じゃないし、問題自体も数ページにわたる事案を読み込んでそれにどう対応するかとフルスピードでやる事務処理能力も問われるから。

失敗なんていくらでもするんだけど、即死っていう取り返しのつかないミスに気づくとさ、次の日の試験に行きたくなくなっちゃうの。だから最終日来ない人なんていくらでもいる。一流大学出た人でも落ちた人はいっぱいいるのはそこのハードルでうまくいかなかったんじゃないかな。

──それは絶対にしんどい……

年収1000万円だったのにロースクール来て三振して(5年間で3回司法試験の受験資格がある。現在は5回)地方公務員にっていう人、いくらでもいるからね。

おれは最初から日本で一番勉強する受験生になろうと思ってやってたから。とはいえ実際やってみたら大変。1回落ちたしね。

画像タイトル インタビューに応じる島さん(撮影:大北栄人)

●休憩時間もみんなで法律の話、すげーな、青春だと感動

──実際どんな感じで勉強するんですか?

勉強は試験の日まで毎日ずっと同じペースでやり続けた。ロースクール3年間と一回落ちたから合計4年。朝、小学生の娘を送って、予備校の講義の録音を聞きながら学校行って、夜11時まで勉強してまた講義聞きながら帰って、腹筋腕立て風呂入って焼酎一杯飲んで6時間寝るんだけど、カミさんは子どものこととか話したいこといっぱいあるわけ。それでもおれは「あー、明日明日。メモ書いて残しといて」って。特別に話を聞いてあげる日は一回もなかった。もう怒り狂ってたよ。

──パパが受験生のママのつらさありますね……司法試験の勉強ってどういうものなんですか?

俺にとっては、何かを理解して覚えるんじゃなくて常識のレベルを上げてくって感じなんだよね。「赤信号は止まる」とかそういうことはもう体が覚えてるわけじゃない? おれは記憶力がなかったから、よく教科書3回読めとか言われるけど7回は絶対読んだ。

勉強は面白かったね。もうめちゃくちゃ面白い。頼りない先生のときはムカついて「そんなんで受かると思ってるんですか?」って先生を責めまくる。例えば裁判所にみんなで見学に行くときも一人で行って「あそこまでに判例5つ読み込むぞ」とか勉強してた。友達と喋りながら電車に乗るなんて時間はなかったね。

面白かったのは休憩時間でもロビーやテラスとかでみんなもうず~っと法律の話してるんだよ。あの本はよかったとかあの判例ってどうなのかなみたいな話をずっとしてる。すげーな、青春だ、と思って感動したよね。おれも法科大学院だから行こうっていう気になったんであって予備校だったら行かなかったよね。

──学費とかお金のことってどうされてたんですかね?

奨学金が借りられたんだよ。利息ゼロで簡単に借りられて4年間で700万くらい借りた。でも実際には弁護士なれずに返済が滞ってる人もいっぱいいるよね。

生活費はバンド仲間で始めた飲食店をやってて。その店が好調でかみさんが切り盛りすれば生活は困らないぐらいの収入はあったし。

●憲法はロックじゃんって思ってすぐに大好きになった

──法律の勉強で面白かったのってどういうところですか?

授業は面白かったね。授業で憲法の勉強が始まった初日に「憲法ってロックじゃん」って思ってすぐ大好きになっちゃって。

──憲法ってロックなんですか!? 最近も改憲の話題が出てましたが。

憲法の一番素晴らしいところは、13条の「全て国民は個人として尊重される」っていう一文。もう本当に全てを象徴してると思うんだよね。個人なんだよ。

自民党の改憲案では「人として尊重される」って「個」を消しちゃってるけど「人として尊重」って憲法に書く話じゃないよね。個人として尊重されることってすごく意味がある。社会のための個人じゃない、個人のための社会なの。

岡林信康の『私たちの望むものは』という歌の「私たちの望むものは社会のための私ではなく 私たちの望むものは私たちのための社会なのだ」という歌詞に繋がる話で。そこがもう憲法の理念そのもの。こんなロックなことないよ。

──憲法以上にロックなことはない…!?

憲法19条からが人権で、思想・良心、20条は宗教、21条が表現の自由なんだけど、自由は「公共の福祉による制約」を受けることが憲法に書いてあるわけ。公共の福祉って何かっていうと、個人の権利と権利が衝突する場面を調整するための原理みたいなものだよね。

例えば表現は自由だけど、小説で誰かのプライバシーを暴きまくっちゃったりできない。統一教会が宗教活動かはわからないけど他者に関係してくることは調整の必要性が出てくる。思想良心の自由は内心の問題だから絶対に制約しちゃいけないんだよ。だけどそれを表に出すといろんな調整が出てくる。

憲法は戦後の反省から作られてるから、国が思想統制したり宗教を利用したりっていうようなことを全て封じようっていうのが今の憲法。知れば知るほど、いや~、よくできてるなって思う。やっぱり一番大事なことは自由だし、それを守る憲法はロック。

●ロースクールは失敗だけど、ロースクールがないと俺みたいな人間は出てこない

──分かってきました、憲法はロック。司法試験後はどんなことに関わってるんですか?

弁護士になってからトップスピードになってないと年齢的にも間に合わないから在学中から実務の勉強もしようと八ッ場ダムの裁判に参加させてもらってたね。弁護士登録してすぐシロクマ弁護団というので電力会社に「CO2減らせ」ってやった。環境問題をライフワークにしようと思ってたからね。

おれが今やってるバンドは”NO NUKES RIGHTS”っていうんだけど、原子力の恐怖から免れる権利、ノーニュークス権が人間にはあるだろっていう名前なんだよ。

画像タイトル 音楽と弁護士の活動を通じて、社会変革を目指し続ける(島さん提供)

──権利?? こういう権利があるって名前から生み出すのって一般的なんですか?

やっぱり法律的に戦うというのは権利がすべてのスタートなんだよね。権利が侵害されるから賠償させたり差し止めろと訴えることができる。そこの構成がしっかりできなければ戦えない。

──なるほど、そういうことなんですね。ロースクールを振り返ってみてどうですか?

ロースクール自体は今どこも定員割れしてるし、制度の失敗だと国もちゃんと認めてどうするのか考えてほしいけどね。だけどおれみたいな人間は、ロースクールっていう制度がなければ司法試験なんて頭にも出てこないからね。

ロースクールで過ごした時間はおれとしては素晴らしい時間だったよ。ゼミやろうよって何人か集まって題材を持ってきて議論を延々し続けるんだけど、それは今ものすごく役に立っている。一つの問題に対してこういう発想もあるのかって。修習期間にもできるけど短いから。

──ちなみにバンドの経験は役立ってます?

バンドももちろん今役に立ってるよ。おれ自身いつだって瀬戸際で生きてきたから圧倒的に強いよね。どんな相談来ても「わかるわかる、おれもそういう仲間がいて」って。凶悪犯だろうがなんだろうが「わかるよ、やっちゃうんだよな、そういうこと」って(笑)。

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