関東大震災から5日後の1923年9月6日、千葉県福田村(現・千葉県野田市)の利根川沿いで、香川県から来た薬売りの行商人15人のうち、妊婦や子どもを含む9人が、自警団や村人たちによって殺害された。
のちに「福田村事件」と呼ばれるこの凄惨な事件は、震災直後に根拠のないデマが飛び交う中、自警団や村人たちが、香川から来た行商人を「朝鮮人」と疑ったことがきっかけとされる。
当時、他の地域でも、暴徒化した市民による「朝鮮人虐殺」が起きているが、この事件の存在はこれまであまり知られてこなかった。
オウム真理教を追ったドキュメンタリー『A』の森達也さんは「事実がここまで知られずにきた理由は、加害者だけでなく、生き残った被害者や遺族も沈黙したから。なぜ沈黙したのか。被害者が被差別部落の出身だったことと無縁ではないと、僕は考えます」と話す。
20年ほど前に事件を知って以来、映像にできないかと考えていた森さんは「被差別部落の問題が重なることで、日本の近代の歪みを描けるのではないか」と初の劇映画に取り組むことにしたという。
関東大震災からちょうど100年の節目となる今年9月1日に公開される映画『福田村事件』について、森さんに聞いた。
『事件』が起きる直前のシーン(c)「福田村事件」プロジェクト2023
●「どうして人は、こういうことができてしまうのか」
――森さんが事件を知ったのは20年ほど前だそうですが、そのときにどんなことを感じたのでしょうか。
オウム真理教を取材して以来ずっと、「どうして人はこういうことができてしまうのか」というのが、僕にとって大きなテーマでした。
オウムの施設に入って目にした信者は、穏やかで、善良な人たち。しかし、彼らも指示されていたら、サリン事件を引き起こしていたかもしれない。そういう衝撃を受けました。
その後、アウシュビッツ(ポーランド)や、キリング・フィールド(カンボジア)などに足を運びながら、朝鮮人虐殺について、できるものなら何か手がけたいと思うようになりました。
福田村事件のことは『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(ちくま文庫)という著書で触れましたが、自分で1冊の本を書けるだけの資料はないし、テレビ局には企画を断られていたんです。
ただ、『FAKE』(佐村河内守氏の素顔に迫ったドキュメンタリー)を撮ったあと、劇映画としてなら、できるかなと思って。
――それはなぜでしょうか。
学生時代、映画サークルで8ミリ映画を撮っていて、ドラマの制作がやりたかったのに、勘違いでドキュメンタリーの制作会社に入ってしまったんです。困ったなと思いながら、いざ始めたらおもしろくて、ずっとドキュメンタリーをつくってきましたけど、ドラマも大好きで、いつかきちんと撮りたいと思っていました。
――劇映画で撮ろうと考え出したタイミングで、企画・脚本を担当することになる荒井晴彦さんと遭遇したと。
2019年の『キネマ旬報』のベスト・テンで、荒井さんが撮った『火口のふたり』が日本映画部門1位に、僕が撮った『i-新聞記者ドキュメント-』が文化映画部門1位になって、表彰式の控室が一緒だったんです。
荒井さんから「福田村の事件を映画にしたいと思っているんだけど、森さんも考えているの?」と聞かれて。じゃあ、一緒にやろうという話になりました。
――森さんと荒井さんは、映画制作のバックグラウンドがだいぶ違いますよね。
そうですね。ただドキュメンタリーと劇映画の違いというより、僕の場合は『A』に始まって、撮影現場にいるのは、自分1人か2人という単独作業だったのに対して、今回は時代劇かつ群像劇で、スタッフだけでも何十人もいる。それは自分にとって、まったく初めての環境でした。
――森さんは以前から「ドキュメンタリーもフィクションも、さほど違いはない」と話しています。
映像を撮ること自体は変わらないけれど、つくる環境は全然違うということに、実際にやってみて初めて気づいた感じです。
たとえば僕にはまったくない発想を提案されて「なるほど。たしかにそうだ」と思うこともあれば、1人だったら実現できるのに、周囲に「それは違う」と言われることや、自分の意見が通らないこともありました。
特に脚本部とは、なかなか意見が一致しなかった。こんな状況では監督はできないと思い、降りようと思ったこともありました。今だって納得していません。でも、クラウドファンディングで多くの人から支援されたのだから、とにかく最後までやりました。
森達也さん
●「成功体験」ばかり記憶しようとする傾向が強くなっている
――さきほどおっしゃったように、今回の映画は、制作費の一部をクラウドファンディング(CF)で集めています。
どう考えても大手が出資してくれそうな映画じゃないので、CFも使って、できる限り予算を集めなければ出発できないと、プロデューサーが動いてくれました。
コメントを書いてくれる支援者も多かったのですが、その中に「祖父も、朝鮮人が殺されるところを見たと言っていました」という話が複数あって。こういう証言も掘り起こせば、出てくるのだなと思いました。
――映画の主題でもある朝鮮人虐殺のように、あったことをなかったように扱う、そういう風潮が現代の日本では強くなっています。
朝鮮人虐殺だけじゃありません。南京虐殺や従軍慰安婦など、自分たちの過ちを忘れて、かつて日本はこんなに素晴らしい国だったと「成功体験」ばかり記憶しようとする傾向が強くなっています。
人間にたとえれば、自分の失敗や挫折を記憶せず、良かったことばっかり覚えているって、こんなに嫌な奴はいないですよね。でも、この国は今そうなっています。
映画だって、歴史を記憶する装置でもあるはずなのに、そういう機能を果たせていない。この状況を変えていきたいですね。
――その場の空気にのまれれば、誰でも加害側になりかねない。映画を観て感じたのは、そういう怖さや後ろめたさでした。
広島、長崎の原爆、沖縄戦、東京大空襲などでは、たしかに被害を受けた側だけど、この国はアジアの国々に対して加害した側でもあります。その記憶をきちんと保持せずに、「悪」を造形するとモンスターになってしまうんです。
なぜ朝鮮人虐殺や南京虐殺を彼らは否定するのか。自分たちの祖先はそんなモンスターじゃないと思いたいからです。でも、それは逆で、戦争などある条件下で集団化が始まったとき、普通の人間があり得ないほどに残虐な行為をしてしまう。日本だけじゃない。とても普遍的な現象です。彼らと自分たちと地続きなんだと、気づくべきです。
ウクライナのブチャで虐殺したロシア兵も、国に帰ればおそらく、家では良き夫、良き息子でしょう。そういう意識がこの国ではどんどん希薄になっています。
――成功体験ばかり耳にしていると、状況次第でタガが外れれば、誰でも加害側になりかねないという感覚が育ちにくいかもしれません。
テレビで朝から晩まで大谷翔平を映しているのは、世界が称賛する「すごい日本人」がいることが、日本人として気持ちいいからでしょう。ただ、それは大谷個人がすごいだけで、日本人全般がすごいわけではありません。でも、そういうニュースを見たい人が多く、視聴率が取れるから、テレビは大谷ばかりやるわけです。
――森さんは以前からメディアについて発言されていますが、現状をどう見ていますか。
退行していますよね。ジャニーズも統一教会も、問題は同じだと思います。何が同じか。業界の末端にいる僕自身、これらの問題は何となく知っていた。ということは、記者やディレクターもみんな知っていながら、問題視しなかったということです。つまり(僕も含めて)みんな状況に馴致されていた。ところが、何かきっかけがあると、一斉に騒ぎ出す。
今、『週刊文春』が独走しているのは、話題になって、部数に貢献できることなら何でもするからです。それが結果的に、政治権力の監視までしているけれど、これは既成メディアがいかに自分の役割を果たしていないか、ということだと思います。
森達也さん
●メディアと社会はつねに同じレベル
―福田村で起きた事件が広く知られるようになるまで、1世紀近くかかりました。
加害者側が「できれば口にしたくない」と沈黙するのはわかります。この事件に特異性があるとしたら、被害者側も沈黙したことで、ここまで知られずにきたということです。
でも、同時に、殺された朝鮮人の遺族たちの多くも、声をあげることができなかった。どちらもおかしい。そもそも虐殺など絶対に肯定できないけれど、虐殺後も、この国のねじれた近代は変わらなかった。いやむしろ強化されています。
福田村事件は、朝鮮人虐殺に部落問題が重なりました。この特異性は、日本の近代の歪みを映し出し、映画としての強度につながる点で、劇映画にふさわしい題材だと思いました。
――役者のみなさんがそれぞれ適役でした。
キャスティングする前は、映画が完成しても「反日映画」と言われて炎上する可能性もあり、「そんな映画に誰が出てくれるだろう」とプロデューサーは気にしていたんです。でも、東出昌大さんは自分から「どんな役でもいいからやりたい」と連絡してきてくれた。オーディションにも、びっくりするほど大勢が集まりました。
オーディションのコメントにも「日本にはこういう映画があまりにも少なすぎるので、私はぜひ、こういう映画に出たい」と複数あって、俳優さんたちもそう感じていたんだと思いました。
――映画が世に出ることで、つくり手側の過剰な自主規制が変わればという思いもあったのでしょうか。
それもありますけど、ただ、朝鮮人虐殺をテーマにした映画をどのくらいの人が観に来てくれるか、ちょっと未知数ですよね。大手が(このテーマを)やらない理由は、予算を回収できるかという懸念があるからで、この映画も蓋を開けてみるまでどうなるかわかりません。
僕は、メディアと社会はつねに同じレベルだと思っています。それは映画も同じです。もし今の日本映画がダメになっているとすれば、マーケットである日本社会がダメになっているからです。お客さんが観に来てくれるなら、きっと南京虐殺の映画もつくられています。
でも、このご時世では、お客さんが来るどころか、炎上して、上映中止運動が始まるのが目に見えています。ただ、これも過剰なセキュリティ意識で、やってしまえば何とかなる場合が多いのに、それができないと思い込んでしまっているんです。
――オウム、ミゼットプロレス、放送禁止歌、屠畜。これまで森さんがこうしたテーマを映像化する際、ハードルはありましたか。
よく、こういうテーマを「あえて選んでいる」と勘違いされるんですけど、僕がオウムを撮ったのは制作会社の業務の一環でした。撮り始めたら梯子を外されて、引くに引けずに『A』を制作しました。
『放送禁止歌』も、フォークソングが好きで撮り始めたら、それが部落問題につながって。放映したとき同僚から「おまえ、よくやったね」と言われて「何で?」と聞いたら、「普通、テレビで部落差別はできないだろう」と言われて、「え? そういうものなの」と。
自分ではあまり気にしていなくて、結果的にそれでも作品はできています。だから、僕の経験則として、みんなが「これは危ない」と言っているものほど、それほど危なくないというのはありますね。
――そういう制作者がもう少し増えると良いと思います。
やっぱり集団と個の問題なんです。組織にいると、リスクヘッジやガバナンスやコンプライアンスなどの規範が強くなるから、横並びで自分の意思は通しづらくなる。でもジャーナリズムは個の感覚に依拠するはずです。
僕は最初にオウムの施設に入って、その後、メディアからパージ(追放)されて1人になったので、それも大きいと思います。
当時、オウムを取材している記者やディレクターは、"オウムの信者はみんな邪気がなくて穏やかだ"とわかっていました。でも、それは絶対に記事にしないし、テレビでも放映しませんでした。
そう口にした瞬間、「オウムの肩を持つのか」と凄まじい抗議が来るからで、結果的に"オウムは残虐で危険な集団"となってしまう。それは組織にいるからですよね。
――自分が見て、感じたことを書かないだけでなく、違うことを書いてしまう。今回の映画でいうと、新聞社が内務省の通達に従うシーンに重なります。
内務省の通達とオウムでは、意味合いが違うけれど、メディアが個々の現場感覚よりも、政治権力の意向に左右されて、売り上げを優先することは当時も今もあるんじゃないかな。
統一教会なんてまさにそうですよね。安倍晋三がしょっちゅう式典に参加したり、祝電を送っていることは、僕も知っていたけど、それが大きなニュースになるとは思っていなかった。
――人間は何にでも慣れてしまうので、集団の動きについて自問することが必要だと、映画を観ながらそう思いました。
人間はいろいろな集団に所属して生きていく存在です。集団とは、言い換えれば、組織・社会で、それがあるから人間はここまで繁栄したけれど、そこにはリスクも必ずあります。それを一言にすれば同調圧力。その帰結として集団は暴走する。そんな事例は歴史にいくらでもあります。
特に日本人はその傾向が強い。だから、集団の過ちの歴史を僕たちは学ぶべきです。いや、知るだけでいい。
集団化が起きるのは、不安や恐怖に端を発するセキュリティ意識が要因になることが多い。1人だと怖いから、同質なものと連帯したくなる。そうやって異質なものを排除しようとする傾向が最近、強くなっています。仕切り入りのベンチに代表される「排除アート」は、日本が圧倒的に多い。Jアラートや台湾有事など、メディアも政府と一緒になって、不安を煽っています。
歴史は何のためにあるか。ある人はこの問いに「失敗を学ぶためにある」と答えていましたが、僕もそう思います。人間は失敗を通じて成長するのに、過去の過ちを否定して、失敗の記憶を忘れた状態でどこに軸足を置くのか。
福田村事件は100年前に起きたことだけど、決して昔話としてではなく、今に通じることとして、映画を観てもらえればと思います。(取材・文/塚田恭子)
【プロフィール】 もり・たつや/広島県生まれ。立教大学在学中、映画サークルで8ミリ映画を撮り始める。90年代前半からフジテレビの『NONFIX』枠でミゼットプロレス、放送禁止歌、超能力者などをテーマにしたドキュメンタリーを制作。1998年に公開された、オウム真理教の信者を被写体とした『A』がベルリン国際映画祭をはじめ、多くの海外映画祭に招待される。映像だけでなく、ノンフィクション、小説なども数多く手がけている。近著に『千代田区一番一号のラビリンス』『集団に流されず個人として生きるには』など。
森達也さん
●『福田村事件』
9月1日(金)より、テアトル新宿、ユーロスペースほか全国公開(配給:太秦)