ジャニーズ事務所の創業者、故ジャニー喜多川氏(享年87)による性加害問題をめぐり、国連の人権理事会の専門家が7月下旬に来日して、元所属タレントからヒアリングをおこなう予定だと報じられている。
国際社会からも厳しい目が向けられる中、すでに被害を告白している元ジャニーズJr.の二本樹顕理さんが7月12日、弁護士ドットコムニュースのYouTubeライブに出演した。
芸能界とメディアの関係を長年取材するジャーナリスト、松谷創一郎さんとともに、これまでの性加害報道を振り返りながら、今後の被害者救済のあり方について議論を交わした。
約1時間のライブ放送を3本の記事に分けて、一部書き起こしで紹介する。1本目にあたるこの記事では、二本樹さんのジャニーズ事務所時代の生活や退所を決意したきっかけなどについて話を聞いている。
●合宿所、大体5、6人くらいがレギュラーで出入り
司会:二本樹さんは中学1年生だった1996年にジャニーズ事務所に入所されました。当時はどのような生活を送っていましたか。
二本樹顕理さん(以下、二本樹):入所後はレッスンに参加するかたちで、そもそも初めてオーディションが終わったあとに呼ばれた会場がコンサート会場だったんですけども、コンサートで現役のタレントさんたちの後ろで踊るとか、その当時ジャニーズJr.の出演している番組とかがありましたので、そうしたものに向けてのレッスンを積み重ねて番組に出演する。そういったことを繰り返していました。
司会:レッスンはどれくらいの頻度だったんですか。
二本樹:固定でやってたのは週1程度で、その他は番組の前にリハーサルとかで練習を重ねていたと思います。
司会:練習は平日だったんですか。それとも週末、学校がないとき?
二本樹:平日もあったと記憶してるんですけれども、固定で練習してたのは日曜日だという記憶があります。
司会:日曜日のどういう時間帯だったんですか。
二本樹:昼過ぎか夕方頃から集まって、大体夜10時前には解散するという流れでした。
司会:そうするとレッスン後にいわゆる合宿所と言われてるところに泊まることもあったんですか。
二本樹:そうですね。少なくとも私が在所してた当時は、合宿所というワードは使ってなかったんですけれども、2つありまして、宿泊する場所が。1つがアークヒルズタワーという場所ともう1つは全日空ホテルですね。そこに宿泊していました。
司会:両方とも東京の六本木にあるところですよね。
二本樹:そうです。
司会:ただ、その合宿所は、みんながみんな行ける場所ではなかった。
二本樹:そうですね。大体5、6人くらいがレギュラーで出入りしてまして、多いときは10人とか、そういうときもありました。
司会:そこに行けるのはジャニーさんから声を掛けられた人だけ?
二本樹:そうですね。ジャニー氏から直接指名されることが多かったです。
●練習場はテレビ朝日の旧社屋にあった
松谷創一郎さん(以下、松谷):レッスン場についてテレビ朝日の旧社屋の中にあった第1リハーサル室といわれてますけど、それはたしかなんですか。
二本樹:そうですね。レギュラーで練習を行っていた場所はそこになりますね。
松谷:そこはちょっと昔の社屋で、今ないんですけど、いろいろなタレントさんがテレビとかでよく懐かしい話としてされるのもだいたいそこなんです。プレハブの3階?2階?だった?
二本樹:おそらく2階だったと思うんですけど、階段上っていって、その会場の中に入っていたことは記憶してるので。
松谷:1階にバスが並んでいるみたいな。
二本樹:あー、そんな感じでしたね。
松谷:なるほどね。ちょっと当時の警備体制とかわかんないんですけど、通用門みたいなところから、日曜日ですよね、入れるような感じだった?
二本樹:その門のところに警備員さんがいたことは覚えてるんですけど、当時のジャニーズJr.たちは、ほとんど顔パスみたいな感じで、わりと自由に出入りしてたような印象はあります。
松谷:そうですか。じゃあ、ゆるかった。
二本樹:そうですね。
松谷:そこの第1リハーサル室というのは、ジャニーズがテレビ朝日から単独で借りている場所だったんですかね。
二本樹:そうですね、そのように耳にしてますけどね。
松谷:日曜日が多かったということですけど、平日もあったということは、とにかく行きたければ、いつでもいいという感じですか。
二本樹:固定で日曜日とかに練習していまして、『ミュージックステーション』って金曜日の放送でしたっけ。番組前とかも練習していたと思いますね。
松谷:なるほどね。テレビ朝日の株主総会で、テレビ朝日の会長さんが「特定の会社だけに貸し出していたことはない」というんだけども、どう考えてもそこの第1リハーサル室はずっとジャニーズ事務所が占有をしていたし、いろんなタレントがいろんな番組でこの話をするんですけど、どう考えても、そこはジャニーズ専用のリハーサル室だっていうふうに受け止められますし。
同時に二本樹さんもそうですし、平本さん(*1)もそうですけども、そういう空間でジャニー氏がJr.に対してボディータッチをするとか、そういった行為を行っていたということを話されてましたよね。それは、もうテレビ朝日の社屋だっていう?
(*1)元ジャニーズJr.の平本淳也さん。二本樹さんが発起人となった「ジャニーズ性加害問題当事者の会」の代表をつとめる。
二本樹:そうですね。テレビ朝日の社屋内でもありましたし、また別の場所でもありました。
松谷:それはもう何て言うかな。すごく露骨なことではない?
二本樹:そうですね。さすがにすごく露骨ではなかったんですけれども、たとえば、ジャニーズJr.を複数名自分の側に置いてわりと身体を密着させるようなかたちで座らせたりとか、肩をマッサージしたりとか、腕とか太ももに触れたりですとか、あと小学生くらいの子だと膝の上に乗せたりとか、そういった行動は見られましたね。
松谷:平本さんもなんか膝の上に乗せられたり(したと聞いた)。そういうときにテレビ朝日の社員とかは、その場にはいないものですか。
二本樹:そうですね。テレ朝のスタッフの方がいたという記憶はないです。
松谷:大人は、ジャニーさんとトレーナー?
二本樹:振付師の方と、振付師の方のアシスタントも当時2人ほどいらっしゃった。その方々とかマネージャーの方とかいらっしゃった感じ。
松谷:テレビ朝日は、全然、中のことを知らない感じなんですね。
二本樹:そうですね。まあ、会場の開け閉め程度のものだったのかもしれないですけど。
司会:それもちょっと不思議な感じがしますよね。一企業が非常に肩入れをしているといいますか。合宿所での被害があったということになるんですけれども、二本樹さんがJr.として事務所に在籍した時間はどのくらいありましたか。
二本樹:ジャニーズに入所してから、3カ月後ぐらいに合宿所に、一番最初に行ったのは全日空ホテルの方だったんですけれども、宿泊するように声を掛けられていきまして、最初は月1ぐらいのペースで行ってたんですけども、だんだん頻度が増えて来て、もう週のうち2、3回とかは合宿所に泊まるようになっていました。
●退所のきっかけはドラマ出演だった
司会:その後、二本樹さんはどういう経緯で退所を決意されたんですか。
二本樹:退所を決意したきっかけは、私が在職してた期間の後半のほうで、ドラマのレギュラー役をいただきまして、それが学園もののドラマだったんですね。山梨県で3カ月間、学校の夏休みの期間を利用して、ほぼ宿泊しながら現地でロケをおこなう感じで、そのときに初めてジャニーズ事務所以外の別の芸能プロダクションの同世代ぐらいの子たちと共演するという機会を得て。
そのときに、自分はこういう性加害とかを通りながら、芸能界のお仕事をしている。でも、他のプロダクションで活躍している子たちはそういうところを通らずに、ある種、健全なかたちで活躍している様子を見て、自分が置かれてる状況というのがとても異様なものに思えてきまして。
その間に、3カ月、山梨県でロケをやってたんですけど、ちょっと頭が冷えるというか、目が覚める感覚を覚えまして、ドラマのロケが終了するころには、ジャニーズ事務所の活動に戻りたくなくなっていた自分がいまして、ドラマの終了後に「退所します」とお伝えして辞めたのが、そもそもの経緯でした。
松谷:それは何のドラマか教えていただけますか?
二本樹:フジテレビの『それが答えだ!』というドラマです。
●ジャニー氏の権力「口出しはできないような雰囲気」
司会:性暴力は地位とか権力を背景にしておこなわれることが多いですが、当時ジャニーさんの権力というのは、具体的にどういうものだったとご覧になっていましたか。
二本樹:ジャニーズJr.が行く場所にはどこでも同行しているという感じで、必ず現場にいたという印象がありますね。基本的にジャニーズJr.の身の回りの世話とかをされてるんですけれども、ただ何て言うんですかね。雰囲気的にはすごい力を持っているというか。周りの大人は誰もジャニー氏に対して干渉しないとか、口出しはできないような雰囲気はあったと思います。
司会:一般的な感覚からすると、高齢の男性の周りに幼い子どもたちが(密着するかたちで)いるという状況は、違和感があるんですけれども、それが自然なこととして受け止められたということの背景は、そこまでしないと売れないから、自分がタレントとして活躍するためにはそれを受け入れなきゃいけないんだという思いでしたか。
二本樹:一つは中学校1年生で13歳ぐらいの年齢で、言ってしまえば、学校社会とかその程度ぐらいのものしか知らなくて、そういう業界に入って、性加害というのがおこなわれてるというのがなんて言うんですかね。
そういう世界に身を置いてしまったことで、それが当たり前に受け入れられているというのが、違和感を持てなかったというか、そういうものとして受け入れざるを得なかったというような背景があったのではないかと思います。
松谷:それは1996年ぐらいですよね。
二本樹:1996年でした。
松谷:ジャニーズ的に言えば、SMAPがブレイクしてTOKIOとかV6がデビューする直前くらいですよね。
二本樹:V6さんもTOKIOさんもデビューしてたと思います。
松谷:ジャニーズがすごく人気があって、業界の中では強くなっていってるということを中学1年生でも当然理解をしていた?
二本樹:それは身に感じてました。
松谷:自分ももしかしたらそういう立場にいけるかもしれないということですよね。
二本樹:そういうのがありましたね。