介護スタッフによる高齢者らへの虐待や暴力などが度々ニュースになっている。その反面、介護する側が介護される側やその家族などからのカスタマーハラスメント(カスハラ)にさらされていることは、あまり報じられることはない。
しかし実態は深刻で、今年3月には厚生労働省が、介護現場でのカスハラ事例集を公表するなど見過ごせない問題となっている。
介護の仕事は基本的に善意で成立する。それゆえに利用者側の要求がエスカレートしやすく、善意が踏みにじられることがあるのだ。介護カスハラに詳しい外岡潤弁護士に話を聞いた。(ライター・梅田勝司)
●介護業界で起こるカスハラの悪循環
外岡弁護士のもとには、カスハラに悩む施設やケアマネージャーからの相談が多く寄せられているという。介護を受ける高齢者やその家族が、介護者のちょっとしたミスを過度に責め、エスカレートしていくケースが多いそうだ。
「怒鳴って謝罪を求めてくるとか、理詰めで延々と責めてくるといった話をよく聞きます。いくら謝罪しても許してもらえない。話し合いも堂々巡りになって一向に進展しないので困り果ててしまうわけです」(外岡弁護士)
カスハラの背景には、介護施設の離職率の高さもあるようだ。ベテランが少なく、施設には新人や介護資格を持たずに働いている職員もいる。そうした未熟さが目立つ職員はどうしてもミスが多くなる。
「問題のある職員がいても、法的には簡単にクビにできません。人手も少ないので、指導してだましだましやらないといけない部分もあるのが現実です」(外岡弁護士)
そのため利用者からのクレームには正当な理由があるものも少なくない。ただその態様が度を超えたものになってくると話は別だ。介護スタッフの離職はさらなるサービス低下とクレームという悪循環を招く。少子高齢化にあって、介護業界のカスハラ対策は社会的な課題と言えるのだ。
●利用者の過剰要求が起きるケースも
中には、利用者側が過度な要求をしてくることもある。裁判にも発展したあるケースを紹介しよう。
2015年8月に東京地裁で、訪問介護の契約を解除されてほどなく要介護者が脳出血で死亡したことについて、遺族が契約解除は不当だったとして、訪問介護業者に損害賠償を求めていた事件で、遺族側の請求を棄却する判決が出された。
原告のひとりである長男のA氏は仕事の合間を縫って、同居する親を熱心に介護していたという。朝4時には起きて洗濯、掃除、入浴・食事介助、デイサービスに出かける準備を毎日行っていた。ただ、気分のムラも激しく、介護関係者へのクレームも頻繁だったようだ。
判決によると、A氏はヘルパーに対して次第に、訪問介護計画等により定められたサービスの範囲を逸脱した要求をするようになったという。具体的には医師に禁止されている歩行介助、食事介助などで、いずれも事故予防の観点から止められていたものだ。
ヘルパーができないと答えると不機嫌になり、大声で怒鳴るため、ヘルパーは恐怖感から従わざるを得ないこともあった。あるときには、A氏がヘルパーに対して1時間近く怒鳴り続けた挙げ句、塩を投げつけて追い返したという。もはや事業所では対応できず、自治体の介護保険課や地域包括支援センターも巻き込むトラブルへと発展していった。
A氏はこれら公的機関の担当者に対して、「ヘルパーは、朝6時からでも、7時からでも来るべきだ。自分はこんな大変な思いをしてやっている。ヘルパーに『介護より、もっと仕事の方に力を入れた方がいい』と言われた。たいした教育も受けていない、貧乏人に言われる筋合いはない。東大出てから言え。今思い出しても腹が立つ」と言い放ったこともあったという。
事業者からの解除通知に対しても「突然解約の話を持ってきて。何の謝罪もなく人としても(事業者に所属する)ケアマネージャーとしてもおかしい。恥をしれ。犬畜生。捏造しやがって。徹底的に闘ってやる」と言い放っている。
●善意を「当たり前」と思うなかれ
ヘルパーやケアマネージャーは決して家事手伝いではなく、要介護が必要な高齢者らの介護・介助を法に定められた範囲と決まった時間内でこなす仕事だ。しかし、A氏のように要求がエスカレートしていくことは決して珍しくはないという。
「介護職に就く方はやはり思いやりがあって優しい方が多いので、少しのことならやってあげようと頑張ってしまうこともある」(外岡弁護士)
それを勘違いして「何でもしてくれる」と思い込むと、カスハラに発展してしまう可能性がある。たとえば訪問介護でも、掃除や洗濯などの生活援助(家事援助)のサービスが受けられるのは国の施策上、「利用者が単身、家族が障害・疾病等のため、本人や家族が家事を行うことが困難な場合」などに限られており、本来なら市町村の生活支援サービスや介護ボランティアなどの領分だ。
こうした事態を防ぐためにも、重点事項説明書でケアマネージャーらの業務範囲を明確化する必要があるという。
このほか、訪問介護では家族が近くにいて介護の様子を見ているため、トラブルになりやすい傾向があるという。現在は新型コロナでリモートワークが広がっていることから、外岡弁護士への相談件数も増えているそうだ。
●契約解除の難しさ
話し合いで解決しない場合、介護業者は当事者に対して契約の解除に踏み切る場合もある。ただし、福祉サービスである以上、必ずしも自由に契約を打ち切れるわけではない。
2014年5月、大阪地方裁判所堺支部で、障害者短期入所サービスの契約解除を無効とする判決が出ている。
この裁判は、施設内でほかの利用者から蹴られた入所者の父親との話し合いで、施設側が恫喝を受け、さらにその後も誹謗中傷を受けたとして契約を解除したものだ。
判決によると、施設側は、経営状態から常時職員をそばにつけるのは困難だとして、安全確保のため、被害にあった入所者の施設利用日数を減らしてほしいと申し入れた。これに対し、両親は被害者側なのに利用制限されるのは不満だと感じ、話し合いの際に机を叩き、大声で「おい、お前な」などと言って、強い口調で抗議したという。
裁判所は、事故について施設側の安全配慮義務違反は認めなかったが、話し合いの過程で施設側の対応にも問題があり、利用者が同施設を12年利用しているなかで1回だけ起こったトラブルを「重大な背信行為」とは評価できないとして、契約解除を無効とした。
子どもが怪我を負ったとなれば、施設側に説明を求めるのは家族として当然だろう。その意味で、本件はそもそもカスハラとは評価できないケースなのかもしれない。
ただ、限られた人員で、複数の利用者を受け入れる以上、こうした調整が難しい問題に直面しうるのが介護施設でもある。
「受けた行為が本当にカスハラかどうかは判断が難しいこともあります。揉めたからといって、すぐに契約解除してしまうと、相手は生活できなくなってしまうかもしれないという問題もあります。人権や相手の状況のバランスも常にチェックする必要があります」(外岡弁護士)
介護現場では、要介護者本人からの暴言や物を投げる、叩く、セクハラといった事例も数多い。しかし、認知症などの病気や障害が原因のこともあり、カスハラとして対応して良いかどうかの判断の難しさは常につきまとうという。
●介護カスハラ対策で事業者に何ができるか
カスハラを受けた場合、どうしたら良いのか。厚労省は2018年に対策マニュアルを発表している。この中ではカスハラを受けた場合、上司に相談できる体制ができているかなど組織内でのカスハラ対応策に関する調査結果が掲載されているが、予想以上に対応できている業者は少ない。
外岡弁護士によると、介護業者は小さいところが多いことも関係しているという。小規模事業所はよくいえばアットホーム的で人数も少ないので、非常時の想定が後回しにされがちだ。
「カスハラ対策で一番大切なのは内部の連携。チームで対応することが求められます。問題だと思う行為があったら全体に共有して、皆でハラスメントかどうかを検討していく。事例を蓄積していけば、契約書に契約解除の理由をより細かく書くこともできます」(外岡弁護士)
また、「言った」「言わない」が争われることもある。記録の残るメールやチャットにせず、トラブル対応の電話を録音せずに対応してしまうことなども原因のひとつになっているという。記録を取ることでクレームが無駄に過熱することを防げるかもしれない。
介護は言うまでもなく大変だ。介護される本人やその家族は大きなストレスにさらされており、介護者に対する期待は高い。その意味では、介護カスハラは必ずしも当事者だけの問題ではなく、社会の問題でもあるだろう。
本来、介護事業者にできることは限られている。利用者には事前にそれをわかってもらう周知とカスハラ対策を徹底することで、今よりも働きやすい業界にできるはずだ。
そして事業者ができないことについては、社会として対応していくという両輪が必要なのではないだろうか。