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違憲の「隔離法廷」で出された死刑判決…ハンセン病元患者が語る「菊池事件」の非人道性
ハンセン病療養所の「菊池恵楓園」(Googleストリートビューより)

違憲の「隔離法廷」で出された死刑判決…ハンセン病元患者が語る「菊池事件」の非人道性

ハンセン病患者とされた男性が殺人罪などに問われ、隔離施設の療養所「菊池恵楓園」(熊本県合志市)内などの「特別法廷」で裁かれて死刑判決が言い渡された「菊池事件」。男性は無実を訴え続けたが、1962年に死刑が執行された。事件の背景には、県内のハンセン病患者すべてを療養所に隔離させる「無らい県運動」があった。

菊池事件の再審請求を検察がおこなわないことは違法だとして、元ハンセン病患者などが原告となり、国を訴えた裁判で、熊本地裁は2020年2月、原告の訴えを退けたものの、特別法廷での審理は違憲であるとした。

原告団の事務局長を務めた元患者の竪山勲さん(72)は7月22日、オンライン講演会(企画:NPO法人「マザーハウス」)で「違憲の法廷で出された死刑判決は、そのままでよいのか。再審請求を認めるべき」と訴えた。(吉田緑)

●「菊池事件」背景に、ハンセン病患者への差別と偏見

ハンセン病は「らい菌」によって、主に皮膚や末梢神経が侵される感染症。治る病であり、感染力は弱く、療養所の職員の中に罹患した人はいなかったという。

しかし、菊池事件が起きた1950年代は、ハンセン病患者を療養所に隔離することなどを定めた「らい予防法」(1996年に廃止)にもとづき、官民一体となって患者の隔離を進める「無らい県運動」が本格化。ハンセン病はおそろしい不治の病であると考えられていた。

ハンセン病の療養所は日本全国に14カ所(私立1 、国立13)ある。その1つである「国立療養所長島愛生園」(masarufujiwara / PIXTA)

菊池事件は、1951・52年に熊本県旧菊池郡で起きた爆破事件と殺人事件の2つをいう。

熊本県が公表している資料などによると、1つ目は、1951年にAさん宅にダイナマイトが投げ込まれ、Aさんとその子どもが負傷した事件。同じ村に住んでいた男性が殺人未遂などの疑いで逮捕された。男性はハンセン病であるとされ、裁判所ではなく、療養所である菊池恵楓園の施設内で裁判を受け、翌年の1952年に懲役10年の有罪判決を言い渡された。被害者であるAさんは、男性を「ハンセン病の疑いがある」と県に知らせた人物だった。

療養所内の代用拘置所に収容された男性はすぐに控訴したが、同年6月に逃走。翌7月に全身に刺傷を負って亡くなっているAさんがみつかり、男性の犯行と疑われた。その後、警察にみつかった男性は、殺人などの疑いで逮捕された。

男性は、いずれの事件も否認したが、控訴・上告ともに棄却された。1つ目の爆破事件は1953年に懲役10年が確定。2つ目の殺人事件は同じ年に死刑判決が言い渡され、1957年に確定した。裁判は、いずれも裁判所ではなく、療養所の施設内などの「特別法廷」でおこなわれ、裁判官や検察官などは白い予防着と手袋を着用し、はしで証拠を摘むなどしていた。

男性は3回の再審請求をおこなったが、すべて棄却。3回目の再審請求が棄却された翌日の1962年9月14日、男性は福岡拘置所に移送され、そのまま死刑が執行された。法務大臣が死刑執行指揮書に印鑑を押したのは、再審請求が棄却される前の9月11日だったという。

●39都府県から署名9293筆「空白県なくしたい」

竪山さんをはじめとする元患者らは、2012年、菊池事件の再審請求をおこなうよう検察に要請。検察が応じなかったため、竪山さんらが原告となり、再審請求をおこなわないことは違法だとして、損害賠償を求めて国を訴えた。

熊本地裁は2020年2月、原告の請求を退けながらも、特別法廷での審理はハンセン病患者であることを理由におこなわれた「合理性を欠く差別」であるなどとし、違憲と示した。判決は確定している。

男性は、裁判所での公正・公平な裁判を受けることができなかった(takeuchi masato / PIXTA)

しかし、竪山さんらがその後、再審請求を求める要請書を熊本地検に提出しても、応じてもらえなかったという。そこで、署名活動を始め、47都道府県のうち、39都府県から合計9293筆(7月21日時点)の署名が集まっているとのことだ。

竪山さんは「官民一体となり、ハンセン病患者を一掃しようとする無らい県運動がなければ、このような事件は起きなかった。空白県をなくし、全都道府県から1万筆以上の署名を集めたい」と協力を呼びかけた。

ハンセン病患者への差別や偏見を助長することになったとされる「らい予防法」。竪山さんをはじめとする元患者らが立ち上がり、国の謝罪や救済措置などを求めて国を訴えた裁判で、2001年5月、熊本地裁は「らい予防法」は違憲と示している。

判決が確定してから20年の月日が経過したが、竪山さんは「死してなお、故郷に帰れない遺骨がある」と語る。家族が遺骨を故郷に持ち帰れないのは、今でもハンセン病への根強い偏見が残っているためだという。

●コロナで「改悪された」感染症法…届かなかった被害者の声

竪山さんは新型コロナウイルス対策にも言及。「感染症法が改悪された」と怒りをあらわにする。

1999年に施行された「感染症法」の前文には「過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要」と明記されている。

しかし、新型コロナ対策を強化するため、2月に施行された改正感染症法には、入院を拒否したり、入院先から逃亡したりした場合の罰則が盛り込まれている。

竪山さんをはじめとする元患者らは、罰則に反対する意見書を国や各政党などに宛てて1月に提出。「ハンセン病問題の反省・教訓のうえで作られた感染症法を改変するならば、被害者である私たちを呼んで話を聞いてほしい」と伝えたが、どの政党からも声がかからず、失望したという。

また、新型コロナ対策についても、「病人が第一ではなく、『病人を隔離して、社会の健康な人たちを守る』という考え方で対策が進められている。ハンセン病問題と変わらない」と批判し、次のように述べた。

「コロナに感染した人を応援する声がなく、医療従事者の支援のみが強調されることで、感染した人は『悪人』であるとみなされてしまう。本来であれば、コロナに感染した人を応援したうえで、医療従事者に対するエールを送るべき。感染症法も再度、見直すべきではないだろうか。まずは、医療と司法の世界に人権感覚を取り戻すことが必要だと思う」

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