日本の刑事司法に、海外から厳しい視線が向けられている。3月に来日した国連拷問禁止委員会のドマ委員は東京都内で記者会見を開き、日本の刑事司法について「残念だ」「容疑者の自白に頼り過ぎている」と批判した。
ドマ氏はモーリシャス最高裁の元判事で、昨年5月、日本の刑事司法を「まるで中世のようだ」と評して話題になった人物。所属する国連拷問禁止委員会も以前から、「取調べに弁護人の立会いが認められないのはなぜか」「長時間にわたる取調べで自白を得ている」などと、日本の刑事司法に対して、数多くの疑問を投げかけている。
こういった指摘について、日本の弁護士はどのように受け止めているのだろうか。刑事法制委員会の委員もつとめる小笠原基也弁護士に聞いた。
●指摘は正しい。捜査側だけでなく裁判官も「自白偏重」
「刑事弁護をまじめに扱っている弁護士であれば、誰でもドマ氏の指摘は正しいと思うでしょう」
小笠原弁護士はこう語る。
「自白に重きを置いた捜査はとても危険です。捜査側が、自分たちの『見込み』に沿った自白をするよう、容易に働きかけることができるからです。さらに、日本の捜査機関は、捜査側が証拠を独占しており、捜査側に不利な証拠を隠すことができます。これらが、冤罪を生み出す温床となっているのです。
日本では、裁判資料として被告人の調書が広く証拠となります。調書とは、捜査員が、被告人の供述内容を『このようなことを話していました』と作文風にまとめた書類です。一度、この自白調書が作成されると、後の取調べや裁判で強く無罪を主張しても、受け入れられずに有罪になるという例が多々あります」
つまり、警察・検察だけでなく、裁判官のほうも、自白に重きを置いているということだろうか。
「はい。裁判官の自白重視が、捜査官の自白偏重へとつながっているのです。自白があれば、それにしたがって裏付け捜査をすれば、事足りてしまうのが現状です。捜査を省力化できますから、捜査官としては、地道に証拠を収集・検討するより、自白を取ったほうが早いという風潮を生んでいるのではないでしょうか。これが行き過ぎると、その人に不利な証拠に沿ったウソの自白の強要と、有利な証拠隠しにつながるのです」
たしかに、足利事件など、大きなえん罪事件は自白が決め手になったものが多い。最近、再審が決まった袴田事件も同様だ。
●被疑者を簡単に勾留できる「人質司法」も自白偏重を助長
「この自白偏重を支えているのが、勾留制度の実態です。『人質司法』と呼ばれています」
人質司法とは、きな臭い言葉だ。
「勾留というのは、逮捕に続いて、10日間を限度に被疑者の身柄を拘束することです。実は、刑事訴訟法上、勾留は例外的に行われる手続ですが、現実には多くのケースで勾留が行われています」
勾留が法律上は、「例外的な行為」だったとは意外だ。
「裁判官が『証拠隠滅のおそれ、逃亡のおそれ』という例外の規定を広くとらえることで、原則と例外が逆転しているのです。遠隔ウイルス事件などをはじめ、容疑を否認しているだけで、勾留されたり、保釈を認めなかったりするケースが多々あります。勾留場所も、警察署内部の留置場、つまり『代用監獄』です。その結果、長期間・長時間の密室での取調べが可能になっているのです」
しかし、無実の人たちは、どうしてウソの自白をしてしまうのだろう。
「20日以上身柄を拘禁され、家族や弁護人と自由に会ったり、話したりすることができない状態です。そのような状況で、親密さを装った捜査官から『認めれば罪が軽くなる、早く出られる』と言われ続けたときの心理状態を想像してみてください。かなり追い詰められた状態です」
●国の改革案は「かえって自白偏重を加速させる」
では、どうしたら、自白偏重の風潮を現状を変えていけるのだろうか。
「個々の捜査官や裁判官の意思改革だけでは、足りないのは明らかです。ドマ氏が述べるような制度の改正が必要です。
具体的には、
(1)弁護人立会権
(2)取調べ時間の制限
(3)代用監獄の廃止
(4)勾留できる場合を厳しく制限すること
(5)逮捕から裁判終了まで全過程の例外ない取調べ(任意の事情聴取を含む)の可視化
(6)自白調書を証拠とすることの禁止または大幅な制限
などが考えられます」
「捜査機関の一連の不祥事を受けて、国の法制審議会特別部会でも、改革案が検討されました。しかし残念ながら、取調べの一部の可視化、被告人への偽証罪の導入、司法取引の導入など、自白偏重をさらに加速させるようなことが提言されています。全く改革の体をなしていません」
誤認逮捕される人は、きっと逮捕されるまで「まさか自分が」と思っていたことだろう。誰もが、誤認逮捕の可能性がある。
「そうです。ですから、国民が自分の問題として、しっかりと制度改革を求めていくことが重要です。『中世からの脱却』を図らねばなりません」
刑事司法改革がどのような方向に向かうのか、私たちも注視していこう。