インディーズ界のカリスマ・ロック・バンド「THE FOOLS」のボーカリストだった伊藤耕氏の死亡をめぐる国賠訴訟について、ライター、鳥井賀句さんのレポートをお届けします。
●初公判の様子
2017年10月17日に北海道月形刑務所で服役中に死亡した伊藤耕氏(当時62歳)が亡くなったのは刑務所や病院で適切な処置がなされなかったからだと、伊藤氏の妻の満寿子さんが国を相手取り2019年10月30日に損害賠償を求める裁判を起こしたニュースは、音楽ファンの間でもかなりの関心を集めた。その初公判がこの3月26日に東京地裁の第803号法廷で行われたのでそれを傍聴してきた。
まず原告代理人の島昭宏弁護士が今回の伊藤氏の遺体は司法解剖をされず、死体検案書には『肝硬変からくる肝細胞ガン破裂(推定)、出血性ショック』とあったが、その後遺族側が死体解剖をしてもらった結果、死因は『絞扼性イレウス(腸閉塞)による出血性ショック』であり、事実と異なる記載がされ、すぐに病院で適切な手術をすれば回復する病気だったのに、伊藤氏が10月15日に痛みを訴えてからも病院で適切な処置もされず、放置され、16日に病院に運ばれたときは既に心肺停止状態であったことなど、様々な証拠も揃っている」と文書を読み上げたが、被告側は答弁書の提出のため6月中旬までかかると述べ、次回の公判は7月上旬になると決まっただけで、約30分で閉廷してしまった。
なんだか時間がかかりそうな気配だが、この日法廷はコロナ・ウイルス対策とのことで、通常の半分の席しか用意されず、入りきれなかった人たちのために、近くの弁護士会館で島弁護士がパワポを使って、今回の裁判の概要をプレゼンするという奇特な試みが行われた。
裁判の概要を説明する島弁護士(撮影:鳥井賀句)
●伊藤耕はメッセージ色の強いリアル・ロックを追求してきた
THE FOOLSの伊藤耕くんとは個人的にも古い知り合いである。1978年頃僕が高円寺で経営していたパンク・ロック・バーに耕くんはよくやってきていて、当時彼がやっていたルアーズというバンドのデモ・テープを聞かせてくれたりした。そのテープには英国のザ・フーなど外国の曲のカバーが多く収められていたが、最後の方に入っていた「無力のかけら」という耕くんのオリジナルが凄く良かった。あらゆることに無関心になっている世代に疑問を投げかけたリアルな歌詞が印象的だった。
伊藤耕氏(撮影:鳥井賀句)
「こういう曲をもっと作って歌いなよ」と言った覚えがある。その後SEXというバンドを結成した耕くんは僕が企画したイベントにSEXで出演し、その時のライブ盤『東京NEW WAVE’79』は当時のビクターから出たが、彼らの演奏も収録されている。耕くんはその後SYZEを経て80年にTHE FOOLSを結成し、メッセージ色の強いリアル・ロックを追求し、途中活動停止期間もあったが2017年まで彼らはインディーズ界では大きな影響力を放つカリスマ・ロックン・ロール・バンドであり続けた。今後も彼らのドキュメンタリー映画の公開や単行本の発売も予定されている。
伊藤耕氏(撮影:鳥井賀句)
●伊藤耕の死に妻満寿子さんが感じた違和感と不信感
今回の原告である耕くんの奥さんの満寿子さんに現在の心境を語ってもらった。彼女が北海道の耕くんの死を刑務所からの電話で知ったのは10月17日の午前0時10分だったという。
「耕を迎えに行く準備を17日にしていたけど、CTを撮り死亡の原因が分からなかったら司法解剖になると待たされ、迎えに行くのは18日になった。結局解剖はしないことになりましたと言われました。さらに16日の23時に急に倒れたと聞いていたのに前日の15日に具合が悪くなったと言われて、全く話が違うと思ってメモを取り始めたんです。
結局耕は8時間の間に3回も倒れたと聞いた。3回目は彼が着替えて布団をたたんだ上に座り込んでる状態から倒れていたのを見回りの看守が見つけて救急車を呼んでるが凄く時間がかかっていて出発までに40分以上かかっている。何で?と思った。死体検案書を見たらそこには肝硬変からくる肝細胞ガン破裂と書いてあったけど、推定となっていた。亡くなる3週間前に彼と会ったときは元気だったのに肝臓ガンならその時気付くはずです。
北海道大学まで行って専門の先生に検案書を書いてもらったと聞かされて。突然何で北海道大学の話になってるんだろうと最初から違和感と不信感がありました。知り合いの医療関係の人にも絶対解剖して死因を追求したほうがいいといわれて・・」
妻満寿子さん(撮影:鳥井賀句)
●無念の思いを世間に伝えようと裁判を起こした満寿子さん
満寿子さんはそれから苦労して耕くんが死亡した月形町立病院での診断書を手に入れて調べたら急性胃粘膜病変と書いてあって、肝臓の話が胃の話になっている。これはおかしすぎる、自分のできるだけのことをやろうと誓ったという。
満寿子さんは法律には全くの素人だったのだが、当初はすべて自分がおかしいと思ったことを、検察庁や法医学教室や人権センター等を調べて自分で電話をかけて話を聞いてもらっていたという。一般人が依頼してもなかなか法的な申請は時間がかかったり通らなかったりする場合もあるらしく、最終的に以前から知っていた加城千波弁護士に依頼し、証拠保全に努めていった。
素人の満寿子さんの執念というか耕くんの無念の思いを世間に伝えようと彼女を動かしていたのは、天国の耕くんが彼女にテレパシーを送っていたのかもしれないと思う。結果耕くんの死から約2年かかったが満寿子さんは耕くんを不自然な死に追いやった国を提訴した。北海道大学死因究明教育センターでの解剖の結果は耕くんの血管や骨や内臓はどこも悪いところはなかったという。
伊藤耕は確かに薬物取締法に触れて裁判や服役を経験してきたが、彼が自身の音楽で常に訴えていたのは、人間は自由であるべきであり、あらゆる不条理と戦えというメッセージだった。耕くんとは28年前に知り合い8年間夫婦だったという満寿子さんは今耕くんについてこう語る。
伊藤耕氏と妻満寿子さん(撮影:黒石麻里子)
「今思えばすべていろんなことが楽しかったけど、彼からはいろんなことを教えてもらったという気持ちが強いです。耕は何物にも捉われなくても生きていけるということを見せていたし、みんなにもそれを伝えようとしていた。メッセンジャーでチャレンジャーというところ、自分の信念をどんな状況でも変えなかった。
自分の生き方を曲げて妥協したほうが楽だけど、そこは絶対に自分の信念を変えなかった人ですね。コロナ・ウイルスで大変な時に沢山の人が耕のために時間を割いて裁判所に来ていただき、ありがたいと思っています」
●代理人の島弁護士「絶対に勝たねばいけない裁判です」
最後に原告の代理人となっている島昭宏弁護士は、今後の伊藤耕の裁判についてこう語っている。
「耕さんが腹痛を訴えてからわずか35時間後に死亡するまでの事実経過は基本的に争いようがないはずです。次回7月1日以降当事者だけによる弁論準備手続きが数回行われ、多分来年になると思われますが、公開の法廷で証人などの尋問が行われた後に判決というのが今後の流れでしょう。勝つことしか考えていませんよ。
耕さん以外にも受刑者に限らず、外国人、労働者、子供、動物、自然・・そういったものたちの権利が当然に守られる社会こそが健全な社会であり、その実現のために貢献することが司法の役割だと思っています。伊藤耕さんの裁判は絶対に勝たねばいけない裁判です。次回、傍聴席がある法廷での裁判はしばらく先になりますが、その時は一番大きな法廷を埋め尽くすよう、多くの国民が強い関心を持って注目しているんだということをアピールするため、引き続きよろしくお願いします」