兵庫県の井戸敏三知事は、7月9日に開かれた県の新型コロナウイルス感染症対策本部の会議で、7月に入り東京で感染者が急増していることについて、「諸悪の根源は東京」と発言したと報じられ話題となった。
井戸知事は会議後に行われた記者会見で、「決めつけるわけにはいかない。(発言を)取り消す」と説明。その上で、「東京で感染者が多くでているので、しっかり対策をとってほしいとの趣旨だった」などと釈明した。
これに対し、東京都の小池百合子知事は7月10日の記者会見で、「発言を取り消されたということは賢明だったのではないかと思う」とコメントした。東京都として、これ以上事を荒立てるつもりはないようだ。
しかし、仮に東京都や都民が法的措置をとるなど反発した場合、どうなるのだろうか。たとえば、「名誉を毀損された」などとして告訴することはできるのだろうか。
●知事の発言は「事実でなく評価と捉えるべき」
刑事事件に詳しい伊藤諭弁護士は、「そもそも『諸悪の根源は東京』という表現自体が名誉毀損罪(刑法230条1項)に当たるのかどうかという問題があります」と話す。
「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損したときは名誉毀損罪、事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱したときは侮辱罪(刑法231条)が成立します。
両罪の区別は『事実の摘示』の有無ですが、法定刑がかなり違いますので、慎重な判断が求められます」
名誉毀損罪は「3年以下の懲役もしくは禁錮又は50万円以下の罰金」、侮辱罪は「拘留(1〜29日の収監)又は科料(1000〜9999円)」であり、まったく罰則の重さが違う。事実を示したかどうかは大きなポイントになりそうだ。
では、「諸悪の根源は東京」という発言は、事実を示したものといえるのか。この点、伊藤弁護士は否定的な見解をとる。
「発言の背景から、『(コロナウイルス感染者増大の)諸悪の根源は東京』と文脈を補えば、この発言は事実の摘示とみる余地はあるかもしれません。
しかしながら、事実の摘示は、どのような犯罪が成立するかという重要な要素ですので、あくまでも表現行為自体から判断するべきで、たまたま問題になっている社会情勢などを補完して判断することはできないという裁判例があります(名古屋高裁昭和50年4月30日判決)。
そのように考えると、『諸悪の根源』という文言は、『事実』でなく『評価』と捉えるべきで、事実の摘示があったとはいえず、侮辱罪の成立が考えられる程度だと考えます」
たとえば、目の前にいる人に対して単に「バカはアンタだ」と発言した場合、何か事実を示してどのようにバカであるかを表現したわけではなく、個人的な評価を口にしただけである。今回の発言についても、事実の摘示の有無に関しては同じように考えられそうだ。
●「東京」が示すのは「東京都」? それとも「東京人」?
名誉毀損罪は成立しないとして、侮辱罪はどうなのか。伊藤弁護士は、今回の発言が「『人』を侮辱したといえるかどうかが問題になります」と説明する。
「ここでいう『人』には、発言者以外の自然人、法人、その他団体が含まれ、国や地方公共団体も対象になり得ます。しかしながら、団体を対象とする場合、特定の団体である必要があり、単なる属性(『関西人』、『九州人』などの表現)では足りません。
今回の『諸悪の根源は東京』という発言は、表現行為として、地方公共団体としての『東京都』に対するものなのか、属性である『東京人(都民)』に対するものなのかがはっきりしません。さらには地域としての『東京』ともいえるかもしれません」
確かに、「東京」が示す意味として、『東京都』とも『東京人』ともとれそうだ。
「『東京人』であれば、そもそも『人』を侮辱したとは言えません。『東京都』であれば、形式的には侮辱罪が成立する余地があります。
しかし、そもそも『誰に対する侮辱なのか』が表現行為自体から明らかでないような行為について犯罪と評価することには疑問があります」
前述の「バカはアンタだ」発言であれば、少なくとも「目の前にいる人に対する侮辱」であり、発言の対象は明らかだ。「諸悪の根源は東京」という発言は、対象すらはっきりしない点で、犯罪としての侮辱行為とは評価し得ない表現なのかもしれない。
なお、侮辱罪は、被害者からの告訴がなければ起訴することができない「親告罪」だ。小池知事の反応からして、告訴する可能性は低く、この点でも犯罪として問われることは考えにくいといえるだろう。