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ダイヤモンド・オンライン連載企画/痴漢冤罪リスクの予防策とは

ダイヤモンド・オンライン連載企画/痴漢冤罪リスクの予防策とは

多くのビジネスパーソンは、毎朝電車で通勤し、電車で帰宅する。そのとき、男性なら誰でも痴漢犯人に間違われるリスクを負っている。もし間違われたら、あなたはどう行動するべきか。よく「駅員室に行ったらオシマイだから逃げろ」などと言われるが、本当にそうなのだろうか。駅員に突き出されたとき、逃げることなんてできるのだろうか。実際の痴漢冤罪事件を例に考えてみたい。

 

◆息子が痴漢で逮捕された!突然痴漢犯人にされた大学生

 

 2011年早春の某日、筆者は訴状作成のために事務所でパソコンを叩いていた。午後8時過ぎ、事務所の電話が鳴った。この時間に事務所の電話が鳴るときは、たいてい緊急案件だ。

 予感は的中した。どぎまぎしたような年配の男性の声が飛び込んできた。

「今日、息子が痴漢で逮捕された――」

 電車通学をしている大学生の息子が、通学途中の電車内で痴漢をしたというのだ。容疑は強制わいせつ罪だという。

 出来るだけ早く面会したほうが良いと考えた筆者は、すぐに事務所を出て留置場所の警察署へ車を走らせた。弁護士は、夜間でも休日でも警察留置場で警察官の立会なく容疑者と秘密に接見(面会)することができる。この秘密の接見の権利は、容疑者の日本国憲法上の基本的人権である。

 筆者は、早く事情を聞いて、早期に被害者と示談交渉し、告訴を取り消してもらわなければならないと考えた。強制わいせつ罪は、親告罪、つまり起訴するには被害者の告訴が必要な犯罪である。容疑者の弁護人になった場合、なるべく早くに被害者と示談交渉し、告訴を取り消してもらうことが主な弁護活動となる。「忙しくなるな」などと考えながら、警察署内の接見室で容疑者の青年を待った。

 警察官に促されて、接見室に入室した青年に対し、筆者は、アクリル板越しに、父親から依頼されて面会に来た弁護士である旨を伝えた。すると青年は、「痴漢は絶対にやっていません」と訴えてきた。

 

◆片手でスカートをたくし上げ、同時にスパッツを下げることができるのか?

 

 青年の話によると、ことの顛末はこうである。

 今朝8時頃、通学の為に乗車した電車は、かなり混雑していた。青年はリュックを背負い、イヤホンを両耳にはめて音楽を聴きながら、右手で携帯電話の画面を見てゲームをしていた。

 電車に乗って10分位した頃、自分の前方に、自分と同じ方向を向いた若い女性が、突然、振り返り、自分の左手を掴み、恐い顔をしながら何か言った。青年は、イヤホンを外して耳を傾けた。

「痴漢しないで下さい!」

 女性の口から発せられていた言葉を聞いて、一瞬、何のことか分からなかったという。

「えっ……、痴漢なんかしてませんけど……」

 青年はそう言ったが、女性は、青年の左手首を離そうとしなかった。仕方なく、次の駅で青年と女性は降車し、青年は駅員に引き渡されてしまった。駅事務室に連れていかれると、間もなく警察官がやって来て、警察車両で警察署まで連行、逮捕となった。

 後に裁判所から取り寄せた書類によると、被害者の23歳の女性は、次のように供述していると考えられた。

「青年がスカートをたくし上げ、スパッツの上から尻を揉み、さらにスパッツを引き下げ、パンティーの中に手指を入れた」

 しかし、筆者の目の前の青年は、「絶対にやってない」と必死に訴えている。筆者には、青年が嘘をついているようには到底思えなかった。

 それに、筆者は被害者の女性の話に、疑問を持たざるを得なかった。混雑した車内で、片手で、女性のスカートをたくし上げて、履いているスパッツの隙間から手指を差し入れることができるだろうか?

 

被疑者ノートに記録。堂々と無実を訴えた

 

 このままでは、青年は明日には検察庁に送致され、検察官の取り調べを受けた後、裁判官によって10日間の勾留が認められてしまうかもしれない。筆者は、青年を元気づけ、検察官や裁判官の質問にどう供述したらよいか、何度も注意事項を繰り返した。特に、「痴漢をやっていないこと」「電車内では音楽を聴き、携帯電話でゲームをしていたこと」、この二つを明確に述べるように助言した。また、納得できない調書には、絶対に署名しないように、と念を押した。

 結局、筆者の予想通り青年は翌日から10日間の勾留、さらに10日延長されて合計20日間もの間警察留置場に勾留されてしまった。青年の弁護人となった筆者は、この間、毎日青年と接見し、青年を励まし続けた。

「被疑者ノート」も差し入れた。毎日の取り調べの状況を記録させるためだ。もし、捜査官による強圧的な言動があった場合、ノートは証拠化される。それに、ノートを取るという「仕事」を青年に与えることにより、青年の主体的な意識を保持できる。ちなみに、日弁連が作成している「被疑者ノート」には、取り調べを受ける際の細かい注意事項が記載されている。

 そして、「勾留理由開示」という手続を請求した。勾留されている容疑者の請求があると、被疑者を勾留した裁判官は、公開の法廷で勾留の理由を開示・説明しなければならない。これは容疑者の憲法上の権利である。

 勾留理由開示の法廷において、容疑者とその弁護人は意見を述べることができ、その意見は裁判所において記録される。無罪を争う容疑者は、この手続きによって自分の言い分を裁判所の記録に留めることができ、有罪を前提に強圧的な取り調べを行う捜査官に対抗することができる。

 筆者は青年を指導して、自分の言い分を書面にまとめさせ、両親が見守る勾留理由開示の法廷で、それを朗読させた。青年は、裁判官の前で胸を張り、堂々と無実を訴えた。苦しい戦いであったが、青年が犯人であることを裏付ける物的証拠はなく、被害者の供述にも不自然・不合理な点が多く、警察や検察は、毅然と自己主張を続ける青年の弁解を排斥できなかった。警察や検察は青年を勾留する合理的な理由はない、ということになったのである。勾留満期日の昼頃、青年は釈放となった。疑いが晴れたのである。青年は、ほどなく、不起訴処分となった。

 

◆着衣の中に手指が入ったか、または上から触ったか、がポイント

 

 痴漢といっても行為態様は様々である。行為の程度に応じて、取り締まりの根拠となる法も違う。以下にまとめた。

  • 迷惑防止条例違反
    地域の条例によるが「6月以下の懲役又は50万円以下の罰金」と規定されている場合が多い。
  • 強制わいせつ罪
    刑法176条:6月以上10年以下の懲役。

 条例違反と強制わいせつ罪との大まかな振り分けの基準は、「着衣の中に手指を入れて触ったか、着衣の上から触ったか」である。先の青年の場合は、パンティーの中に手指を入れたとの疑いをかけられ、強制わいせつ罪として逮捕・勾留されてしまった。

 だが、いずれにしても、痴漢は混雑した電車内で女性の性的自由を侵害する卑劣極まりない行為であり、憎むべき犯罪である。断じて、許されるものではない。その一方で、犯人を特定するのは極めて難しい犯罪である。捜査機関が、被害者の供述を鵜呑みにして、容疑者の弁解を慎重に検討しないと、無実の人が獄に繋がれるという危険性もある。

 

◆“自称被害者”も存在するため捜査機関も慎重になってきた

 

 混雑した電車内で痴漢犯人を識別することは簡単なことではない。混雑しているがゆえに、手や体がたまたま隣に乗り合わせた女性と密着することも、起こってしまう。それゆえ、勘違いもあり得る。

 その状況を利用し、手馴れた痴漢犯人ほど、被害者からの追及を逃れるために自分と被害者の間に他人を挟むようにして、悪の手を女性に伸ばす。そうなると、被害者は、自分に接近して立っていた無実の人を痴漢犯人と思いこんで糾弾するということになってしまうのだ。

 さらに、“自称被害者”もいる。“自称被害者”とは、示談金をねらって、架空の痴漢被害をでっち上げる者のことだ。前述のように、強制わいせつ罪は親告罪だ。仮に本当に犯行を犯した者であっても、被害者に賠償金を支払って示談し、告訴を取り消してもらえれば、罪に問われることはない。逆に、被害者からすれば、犯人に支払能力があれば、相応の示談金を手にすることを期待し得る状況にある。このことが悪質な“自称被害者”を産む背景となっている。

 これまで、捜査機関や裁判所は、自称被害者の言い分ばかりを重視してきた。容疑者の真剣な弁解を簡単に排斥して、自称被害者の供述だけで有罪を宣告してきた多くの裁判例がある。

 ところが、近時、捜査機関や裁判所の態度は、明らかに変わってきた。その要因は、2007年に公開された周防正行監督の映画「それでもボクはやってない」の影響も大きいだろう。この映画は、痴漢冤罪をテーマに、日本の刑事裁判制度の醜悪な現実を白日の下に晒した。

 そして、最高裁判所は、2009年に地裁・高裁が共に有罪とした強制わいせつ事件について、逆転・無罪を言い渡した。事実の認定を巡って最高裁で逆転無罪となるのは、従前では考えられなかったことである。全国の裁判所でも、痴漢事件の無罪判決が増えている。筆者が弁護した青年のように、不起訴となる事例も多くなっている。また、容疑はあっても、勾留されずに在宅で捜査を進める事例も珍しくない状況となった。

 もし、犯人が女性の着衣に触れたのであれば、犯人の手には着衣の繊維片が付着しているはずである。指が陰部に触れたのなら、DNA鑑定によって被害者の体液の付着を証明できるはずである。

 そういった物的証拠がない限り、安易に自称被害者の供述を鵜呑みにするのは危険だということを、関係機関がやっと本気で考えるようになったということだろう。

 

◆間違われたらハラをくくれ!電車内では女性から遠ざかる

 

 もし、あなたが痴漢犯人に間違われたら……。

 考えただけでぞっとする話だ。しかし、毎日、混雑した電車に乗って通勤しているなら、だれにでもその可能性はある。自称被害者だって、痴漢犯人と同じように、電車に乗っている可能性があるのだ。

 そのとき、どう行動すればよいか。

 よく、こんなことが言われる。「駅事務室に行ってはいけない」、「捕まったら最後、徹底的に逃げろ」。

 筆者は、このアドバイスは無責任極まりないものだと考える。現実に、痴漢犯人に間違われたら、逃げ切ることなどほとんど不可能だと考えた方が良い。もし逃げたら、そういう行動を取ったことが有罪の証拠とされるだろう。

 筆者から言えるのは、そうなったら仕方がない、と覚悟を決めることである。そして、落ち着いて、その時の状況を記憶しておくことだ。たとえば、下記のようなポイントだ。

  • 自分と相手との位置関係
  • 自分の両手の位置
  • 周囲にどんな乗客がいたか

 できるだけ詳細に思い起こすことだ。忘れないうちにメモすることをお勧めする。自分は無実なのである。冷静に、毅然と自己主張することだ。

 前述のように、捜査機関の対応も従前とは違ってきているから、希望を捨てないことだ。

 しかし、捜査機関が慎重に対応するようになったといっても、警察はあなたが嘘をついているという前提で、厳しく追及してくることに変わりはない。逮捕・勾留されるという事態になったら、容疑者は孤立無援である。1人で戦い切れるものではない。自白調書を作成されてしまったら、決定的に不利益となる。勾留された場合はもとより、在宅であっても、刑事事件の弁護に精通した弁護士の援助が不可欠である。

 根本的な予防策は、混雑した電車で女性の側には行かないということに尽きるだろう。自分の側に女性が乗り込んで来たなら、できるだけ離れることである。身も蓋もない予防策であるが、それが一番有効だと筆者は思っている。

 もし、痴漢犯人に間違えられ、結果的に疑いが晴れたとしても、疑われることによって被る精神的ストレスや失われる名誉、会社や同僚にかける迷惑、家族、友人に与える心労は、計り知れないものなのだ。

 

プロフィール

萩原 猛
萩原 猛(はぎわら たけし)弁護士 ロード法律事務所
埼玉県・東京都を中心に、刑事弁護を中心に弁護活動を行う。いっぽうで、交通事故・医療過誤等の人身傷害損害賠償請求事件をはじめ、男女関係・名誉毀損等に起因する慰謝料請求事件や、欠陥住宅訴訟など様々な損害賠償請求事件も扱う。

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